『哲学するベートーヴェン』伊藤貴雄・著(KOUDANSHA)【選書・文化】

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『哲学するベートーヴェン  カント宇宙論から《第九》へ (講談社選書メチエ 824)』

簡単レビュー

「われらが内なる道徳法則と、われらが上なる星輝く天空! カント!!!」
1820年、49歳のベートーヴェンは筆談用のノートにこう記した。

《第九》初演のおよそ4年前にあたる。

ここに引用されているのは、ほかならぬカントの『実践理性批判』の結語の一部だが、少しアレンジされている。

そのアレンジは、なぜ生じたのか。そしてベートーヴェンのこの感激は、何を物語るのか――。

その問いは《第九》に込められたベートーヴェンの思いへとつながっていく。


若き日にはボン大学で講義を聴講していたこともあるベートーヴェンと、彼を取り巻く文化的・社会的文脈から《第九》を生んだドイツの時代精神を描き出す意欲作だ、

ベートーヴェン(1770-1827)が生きた時代のドイツ語圏には、ゲーテをはじめヘーゲル、シラー、フィヒテ、シェリングと綺羅星のごとき知性がいた。そのなかでひときわ大きく強い輝きを放ったのが、巨星イマヌエル・カント(1724-1804年)である。


天文学と神学、そして音楽がまだかろうじてつながりを保っていた18世紀後半にあってカントの哲学は、ベートーヴェンの音楽にも大きな影響を及ぼした。哲学と音楽、それぞれの領域でドイツを代表するといっても過言ではない二人が、これほど近接した時を生きたことにこそ、《第九》誕生の秘密はあった。


若き日、ボン大学で講義を聴講していたベートーヴェンに遡り、やがて訪れる「苦悩を突き抜けて歓喜へ」と至る道筋を追いながら、有名無名さまざまな人的・知的交流の網の目を丹念に浮かび上がらせることで「知の歴史」を描くこれまでにない試み。

もくじ
プロローグ
第1講 啓蒙都市ボン
第2講 ボン大学の教授たち(その1)
第3講 ボン大学の教授たち(その2)
第4講 皇帝カンター第5講 歓喜に寄す
第6講 無限と宇宙
第7講 シラーとカント
第8講 危機の時代
第9講 歌劇《レオノーレ》
第10講 苦悩を突き抜けて歓喜へ
第11講 カント宇宙論に挑む
第12講 会話帳をめぐる問い
第13講 星空のエチカ
第14講 第九交響曲
エピローグ

            ★★★

音楽大学に通ってた時に出ていたら、手に取りわりと本気で読みふけったのではなかろうか?

そんな、音楽の巨匠と哲学のマリアージュ?!な一冊。

音大時代に、初歩の哲学を授業で取ったが、浅い知識がお好みだった(笑)から、本格的な哲学みたいな授業に、あまり興味が湧かなかった。

哲学の授業の90分は、一体何をしていたのか?と言えば、1に睡眠!2に睡眠・・・(笑)

余った時間で、当時大好きだったユーミンのあらゆる楽曲を五線譜に書き表わして歌詞をつけて遊んでいたっけ。

ただ、耳だけは授業を聞いているので、最低線の内容は覚えていた。マルチタスクな自分に少々己惚れていた頃の話。

例えば、佐久間象山の幕末の教えとか、今回のカントとは?とか国内外の哲学者を中心に、哲学という教えの入口をサラッと学んだことを覚えている。(時系列ではなかったような)

『哲学するベートーヴェン』なんとも響きが素敵な一書。夫の部屋にあったので拝借してきた。

ベートーヴェンの楽曲に触れ続けてきたし、これからも年末には必ず『第9』を聴いて年越しするだろう。

そんな、楽曲の裏話をこれまで知る良しもなかったから、この夏はいっちょ、「哲学」でも読み込んでみようか!と、ねじり鉢巻き中よ(笑)

まあ、読了はOKでしょう!ただ理解できるのかは無限(笑)

それでは、また!

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『SunTAMA Style』2020年7月28日記事

『SunTAMA Style』2021年7月28日記事

『SunTAMA Style』2022年7月28日記事

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“『哲学するベートーヴェン』伊藤貴雄・著(KOUDANSHA)【選書・文化】” への2件の返信

  1. 「炎天は 水遣り三度 夕癒し」 清流子
    炎天とはよく言ったもの、まさに灼熱の昼間をせっせと水やり作業で費やす。ご褒美か、夏野菜と冷えた飲み物それに花火と。時の悪戯ならん、夕暮れに富士の影が映し出される幸運は殊の外うれしい。これぞ夏の風物だが、これも一瞬の至福。まるでベートーベンの人生のよう。

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