わたしが自分で書いたモノを捨てるタイミングとは?~日記・ブログネタ帳・SNS履歴・スケジュール帳の手放し方【風景・暮らしの思い出】

【ブログ新規追加1349回】

これまで、生きてきて書いてきたモノをどう処分する?全部取っておく?

ある意味、「捨て活」は今や、人生の中でかなり重要な位置を占めている。

わたしの母が亡くなった時、弟夫婦と遺品整理を丸1日ですべて終える勢いでやったのだが、その時、母の結婚当初から綴られていた大学ノートが数冊見つかった。

結婚1年目にわたしが生まれた日のことが一部始終書かれていたそのノートをわたしは、読むすべもなくすべてを葬ったのだ。

なぜ、捨ててしまったのか?

わたしの母が「女性として」の喜びを綴ったモノを読む「気恥ずかしさ」から逃げ出したくなったからだ。

わたしの持つ気質だろうと思うが、クールでありたいと常々願っているので、知らなくてもいいことはそのままにしたい・・・と思っての判断だった。

そして、母自身も、たぶん、自分の書いたモノのこと自体を「忘れていたのだろう」と思ったので、何なく処分することができた。

反対にアルバムの写真は弟たちと、遺品整理の合間にワイワイとみんなで見ながら思い出を語り合い、それぞれが数枚を取り置き、すべて処分できた。

これが、一番楽しかったな。

というわけで、わたしの母のように自分で書いたモノを「忘れない」ために「自分で書いたモノを捨てるタイミング」を考えてみた。

「わたしの場合」

• スケジュール帳→社会人になってからすべての手帳は残してきたが、還暦を迎えた年にすべてを一旦リセットした。

今はそこから数冊溜まってきたが、これはほぼ仕事の内容なので、誰が見ても面白くはないから残している。(笑)要するに「見られてOK」というモノだ。

• 家計簿→これねえ・・・主婦歴40年のわたしは、まったく威張れないんだけど、手書きのモノは1冊も持っていない。

入出金メモはその月に雑記として書いて計算したらすべて廃棄している。(年収表は年末調整が終わったら、会社請求して出してもらっているのでそれが勤続年数分クリアファイルに保存)

沢村貞子さんのように、「家計簿と毎日のお献立を何十年も書いてきた」という本を読んだことがあるが、女優業をこなしながら、「略奪愛の末に掴んだ幸せ」を大切にするには、家計簿とお献立を記載することが一番の支えになっていたようだ。夫婦の健康管理にも大いに役立ったことだろう。

• 日記のあれこれ→家計簿同様、これも1冊もなし。(子どもの頃から、絵など描いたモノや雑文などもすべて学卒時に処分(卒業アルバムだけは残す)

大人になってからも、日記をつけよう!とか、日記をつけたい!とか思ったことがないの。不思議なんだけど(笑)

だから、わたしの過去のほとんどは、あまり知られていくことはないだろうと思う。

自分の過去に執着し浸ることはまずないだろうし、そう願ってきたのだし、それでいいと思うから。

• 勉強系のメモや研鑽ノート・ブログのネタ帳や趣味のノート類→これも同様に1冊もなし。

• 書籍執筆原稿など→これもまったくなし。すべてWEB原稿だからPCのフォルダにあるだけ。

• 2025年1月から始めた「希望・願望を叶えるためのノート」→これは、今年新たな気持ちで始めた夢の企画。たぶん1年後に結果を見たら、捨てて新しいノートにするつもり(誰かが覗いても、あまりわからない書き方をしているから、これも人目に触れてもOK・笑)

もう、紙に書いて残っているモノはほとんどなし!書き出してみて驚きだわ(笑)

要するに、わたしの場合、いざ、書いても不要になったら、潔くすべてを捨てているからだろう。

WEB管理のSNSチャットや写真、資料も時期をみて、削除処分してきている。

それでもスケジュール帳だけはしっかりと管理している。

例えば、何か事件に巻き込まれても、わたしのアリバイは「スケジュール帳」とWEBに毎日書き込んでいる「会社のスケジュール」があるので、だいたいの動きがわかるってわけで、アリバイは成立するもん(笑)

そして、心情というか心の置き所や趣味については、このブログにすべてを投入しているから別の何かに書かなくても大丈夫。

社会的な部分である「倫理・政治・宗教」などの問題は全部、己の頭の中に入れ込んでいるから、ここも軸がぶれることはない。

というわけで、「数冊のスケジュール帳」と「数冊のアルバム」そして、「夢ノート」しか持っていないわたしの書いたモノ歴をまとめてみた。

わたしの遺品整理はほぼ必要ないだろう。

そして、「日記帳や自分が書いたモノを捨てるタイミングの話」をつらつらと書いた。

人それぞれ、「己の書いてきたモノを大切にする」度合いはかなり違う。

一方で、一度書き出し、取っておきたいモノ、捨てていいモノの選別をするのも一案だ。

今回は、「自分で書いたモノ」にフォーカスして捨て活の話を書いた。

「捨て活」には賛否両論あるが、誰でも当てはまるテーマでもあるので、また書いて行こうと思う。

それでは、また!

なんとなく、素敵だった草津湯畑の標識。

---------------------------------------------旧記事更新

『SunTAMA Style』

『SunTAMA Style』2021年5月14日記事

『SunTAMA Style』2022年5月14日記事

“わたしが自分で書いたモノを捨てるタイミングとは?~日記・ブログネタ帳・SNS履歴・スケジュール帳の手放し方【風景・暮らしの思い出】” への2件の返信

  1. 「シラバスで 視座明快に 卯波かな」 清流子
    自らの生涯学習に必須なのは、その方向性を深掘りしたプログラム=シラバスを羅針盤として座右に有する事。マップで進むべき道を探るための最低知識と道具を用意しておかなければ、人生の海でいつ何時に難破するかわからない。時代の変わり目、波立つ異変を乗り熟したいね。悔いを残さぬために!

TanabeYumiko へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です