「是々非々」と思う場面に遭遇した時に取る行動とは~不公平を一喝すれば良かった話【暮らし・言う勇気】

【ブログ新規追加526回】

日常には色々な不公平がある。例えば順番待ちの列に平気で横入りしちゃう人とかいる場合。

この時、一言、言えるか?まあ、いいやと、許せるというか見逃すか。

ともすると他人の正義感の問題に片づけられそうだが、不公平に直面した時の反応は、意外なほど心の奥底に残ってしまうと、最近気が付いた。

不公平に感じる振舞いを受けた時のとっさの判断は様々だ。

                   ★

もう6~7年前のこと。

秋の紅葉が素晴らしい風光明媚な場所での飲み会だった。久しぶりに会う男女の仲間たち。年齢も様々だった。

その日、その宴会も終わりの頃、中心的長老が、「今日の飲み代は割り勘で!」と言った。わたしは「はあ?」と、一瞬たじろいだ。

だって、わたしはみんなを車で乗せてきたんだ。(もちろん宿まで送るつもりだから帰りも車)要するに一滴も飲んでないのよ!

だけれど、その場の雰囲気で覆せなかった(言えなかった)のだ。その心は「いい歳をしてお金払いの悪いヤツ」と、思われたくなかったのだろう。

わたし以外の人たちは、新潟の地酒と囲炉裏焼きが美味しい店で、「鳥海山!」「八海山!」「越乃寒梅!」とかを飲みまくったじゃない。

それを見つめていただけのわたしの気持ちはどーなるの?みんなの酒代込みで割り勘だと!あまりにも不公平でしょ(泣)

しかも、その長老、「一番若いメンバーの男子(といっても30代後半・笑)は1000円でいいよ!」と、のたまう。

それに関して、その場にいた酔っ払いは誰も異議なしでスル―。

こんなことってある?

あとで、わたしの後悔はMAXだった。どーして「割り勘に異議あり!それぞれで会計!飲んだ人の分は払わない!」と、言わなかったんだ!

自分の勇気のなさにがっかりした夜。

あれから、そのメンバーと卓を囲むことはなく、平穏で常識的な日常が続いている。

しかし、日常に転がっている不公平の影は、たまたま表に見えないだけなのだ。

いつでも言い返せるように爪を研いでおかないと!と、たま~にこの苦い話を思いだすのよ。

こうしてブログに書き残しておくことで忘れないんだ。

                   ★

この話にはこの言葉が合う。「是々非々」だ。簡単に訳すと、「立場にとらわれず良いことは良い、悪いことは悪いと判断する」という意味になる。

中国は筍子(しゅんし)の言葉。

少し丁寧に解説すれば「是々非々とは、善を善とし悪を悪というのを「智」といい、善を悪とし悪を善とするのを「愚」ということ」となろう。

まさに、割り勘の不公平さをその場で正さなかったわたしの取った行動は「愚」極まりないというわけだ。

「正直者はバカを見る」・・・で書こうと思った話だが、「是々非々」が本質だと気づいた。

少しは日頃の勉強が身についてきたんだと実感するよ。

ちゃんちゃん(笑)

★2024年11月1日更新 「天覧山(てんらんざん)・標高197m」埼玉県飯能市でとっておきの低山に登る~広がる山頂景観とミニクライミングを楽しむ(フォト多め)【風景・天覧山】

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やっと時間が取れた11月1日。

笑っちゃうほど可愛い低山に登ってきた。埼玉県飯能市にゆるやかにそびえる「天覧山(てんらんざん」だ。

緊急事態宣言が解除されたら、まず「他県で足慣らしになる低い山から攻めよう!」と、考えていた。

この山の決めては197mという低さだが、山頂の見晴らしが素晴らしいこと(右手前方に富士山、左手には東京都心・スカイツリーまでが見渡せる)だ。

しかも、登山者が気兼ねなく駐車できる、「飯能市公民館駐車場」は無料(約200台)で、いつでも停められる。

また、天覧山は小さな里山だが、麓の登山口には歴史のある古刹がある。

日本画百景にも選ばれるほどの景観を携える「能仁寺」だ。

さらには、山頂まですぐ着いちゃう!と、油断すると、急登さながらなんと!岩場が現われるのだ。

鎖も随所に見られるほど。

岩場から下を覗くと約150mほどの落差に目がクラクラしそうになる。(ちなみに150mだとビルでは42階相当)

その鎖つきの岩場が50mほど続くなかを慎重に登りつめると、一気に山頂へ!

                   ☆彡

ここで「天覧山」の由来を少し。

東京都心からもアクセスのよい奥武蔵山城の玄関口にそびえる「天覧山」だ。

名前の「天覧」とは、「天皇がご覧になる」という意味だが、明治天皇が兵役演習を眺め、絶景を賞賛されたことに由来する。

当時、五代将軍徳川綱吉が重い病に罹り、この山麓にある「能仁寺」に泰基和尚が快癒祈願をしたらたちまち回復したことから、それを祝して生母である桂昌院が十六羅漢像を寄進した。今では、岩場のすぐ手前にその十六羅漢像を見ることができる。

いくつか登山ルートがあるのだが、この十六羅漢像(↓画像は拝借)を見ながら、岩場を鎖で登るルートが一番人気だそうだ。

登山口からの風景を写真で紹介しよう。

駐車場から「能仁寺」の横道を上がると登山口が現われる。しばしゆるやかな舗装道路を歩く。

ぜんぜん、登っていないのに、標識ではもう、天覧山山頂という文字が!(笑)

登山口からは舗装されていない山道を歩く。

50mほど登ったら、もう中段まで来た。だいたい100m毎に休憩できる東屋がある。

5分ほど木陰道を登ると、巨石が出現!

急に道幅が狭くなり登りがきつくなった。

十六羅漢像を横目に見ながら鎖場に臨む。

で、岩場からみた景色。もう少し登ったら山頂だ。

岩肌に手を携えながら慎重に登る。時折、足場を覗くとかなり怖い。

岩の階段を昇り切ったら山頂だ。

登山道のでっかい岩場を越えて登頂!

開けた景観が素晴らしい!

山頂から下山途中の東屋でランチ。

今日は、ネットで話題の山飯「かんたんパスタ・ポルチーニ風味きのこのクリームパスタ2人分175g」(業務スーパー178円)を作った。

きれいな東屋

水150mlとかんたんパスタをコッフェルに入れて、バーナーで15分煮る。水分が飛んだら出来上がり。きのこの香りが秋らしい一品だ。

食べ終わって下山。本来なら往復1時間で充分な山行だ。

あまりの速さに物足りなさを覚える。このままとなりの低山「多峯主山・とうのす山」への縦走が簡単にできるのだ。

しかし、夫は「1時間ぐらいで充分じゃん!飯能の街をぶらぶらしよう!」と、譲らないので今回はここまでとした。

帰りに飯能市のお土産屋で、山バッジならぬ小さな山ホルダーを買い求めた。山頂の看板と同じデザインだね。

天覧山は、老いも若きも健康であれば、誰でも登れる山だ。

岩場が凄そうだが、実は「子ども鎖場」と呼ばれている(笑)

今日もご老人や幼稚園児がたくさん登山しに来てた。

ハイキングだから軽装でもOKだが、あれば助かるのが荷物を背負うザック、歩きを助けるトレッキングポールなどかしら。靴はスニーカーでOKよ。

この界隈は、最近ではTVでも良く特集がされている。吾妻峡の紅葉やキャンプ、アドベンチャー気分になれる「ドレミファ橋」を渡りにゆくとか、アクティビティも豊富にある。

吾妻峡の紅葉とドレミファ橋(画像拝借)

森と湖の国フィンランドとの交流も深い飯能市。美しい森が多く週末ハイクにはピッタリの場所だ。

紅葉を愛でにぜひ!行ってみて。

フォトや資料の整理を思い切ってやる月末~2021年もあと2ヵ月🎶【暮らし・写真の片づけ】

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昨日の夕方、わが家からすぐの夕陽のメッカ(笑)に通りがかった。いつも陸橋に数名のカメラマンが富士山の影に夕陽が落ちるシャッターチャンスを狙っている。

わたしもスマホで一枚撮ってみた。カメラだったら、陸橋の上まで登ってカメラマンの間に陣どるのだが、スマホじゃあねえ(笑)

と、こんな日常でも増え続ける写真やデータの整理を今朝は、早朝からやっている。

PC2台、スマホ、カメラの中のフォト合計500枚ぐらい!そんなに溜めてたの?って、夫にガタガタ言われちゃった(泣)

今年、緊急事態宣言が続いていたから、さほどどこにも行ってはいない。というか行けなかった。

それでもこれだけ、写真のデータが残っている。11月は少し出かける予定があるから今からその準備をはじめているところ。

仕事のPCのフォトや情報の削除もたーくさんやった。どうしてこんなに溜めておくんだろう?これじゃあ、PCのデータ容量もいっぱいになってるはず。

なかなか、こういった「大事だからと保存しっぱなし」のフォトやデータの整理ってめんどくさい。

11月から毎月、月末は写真とデータの整理を必ずするぞ!っと決めました。

ああ~、PC2台とスマホやカメラの中がスッキリしたよ。まるで体脂肪が減ったかのよう。

めちゃ、嬉しい。これで当分気兼ねなく写真を撮りまくれるわ。

でも、皮下脂肪みたいなフォトやデータを溜め込まないように(笑)

休日のどーでもいい話。

★2024年10月30日更新 日本百名山を眺める、そして歩く~登るだけが山じゃない~ハイキングのすすめ【風景・ハイキング】

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日本百名山をご存知だろうか?富士山をはじめ、八ヶ岳、乗鞍岳、谷川岳、筑波山、浅間山、磐梯山、安達太良山、八甲田山などなど。

日本全国に100座ある名山だ。

近年では、コロナ禍から密を避けられる登山が再びブームとなっている。

そんな中、登って「凄い!」眺めて「美しい」百名山は、登山初心者でも挑戦できる山が多いとあって大人気なのだ。

昨今では、100座登頂を目指して挑戦する人のなんと多いことか!You Tube 動画では探せばいくらでも挑戦している人の画像が見られる。

ガイドを雇っての慎重派から、気軽なソロ登山まで幅が広い。思い立ったらわりと近々で本格的な登山に挑戦できるのも嬉しい。

なにせ、日本の百名山はほぼ無料で登れる。

例えばかのエヴェレストは入山許可として多額の費用(公募隊でも渡航費用や宿泊費込みで400万円から1000万円ほど)がかかる。

それを考えれば、「日本の百名山を1座づつ丹念に登って行く」という趣味は、ハマるのにはもってこい!だろう。

わたしも幼い頃、父と父の職場の後輩2人とともに、百名山の「富士山、蓼科山、霧ヶ峰」と、3座の百名山登山を経験してきた。

今、再び登山熱が高まってはいるが、実際にはすべてを登りきれるとは到底考えられない。またそういった縛りを与えて登山をするのは単なるモチベーション維持にとどまってしまいかねない。

だから百名山にこだわらず、近場の低山から順々に登り始めているところ。また、夫の趣味である「絵」を描いたり「俳句」を詠むには、ゆったりとしたハイキングがぴったりだろう。

大自然をごく堪能するハイキングを目的とするならば、「登るから眺める」へのシフトをしたい!と考えていたのだ。

そんな時に山と渓谷社から出版されている「日本百名山を眺めて歩く」ベストコース30 という本と出会った。

日本百名山を眺めて歩く ベストコース30 (ヤマケイアルペンガイドNEXT)

簡単にレビューする。

昔、百名山の頂きに立ったことを思い出し、ただ、頂上を目指すだけの山登りから一歩進んだ、ゆとりのあるハイキングを味わおう!という画期的な本だ。

特に、首都圏からのハイカーにとって、身近な東日本や甲信越の百名山の山々を眺めながら、自然溢れる里山を歩くハイキングガイドとなっている。

熟年登山者、ハイキング初心者、ファミリーにもうってつけのコースが満載!


※「紹介山岳」一覧

甲信越→富士山、天城山、甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳、蓼科山、霧ヶ峰、乗鞍岳、焼岳、穂高岳、常念岳、五竜岳、白馬岳、高妻山、火打山、妙高山、浅間山

関東→草津白根山、谷川岳、燧ケ岳、至仏山、赤城山、男体山、那須岳、筑波山

東北→安達太良山、磐梯山、蔵王山、岩手山、八幡平、秋田駒ケ岳、八甲田山

全30座のハイキングコースを収録される名書である。

ハイキングで百名山を楽しもう!

やった!1076ページの超大作「エヴェレスト・神々の山嶺」を読み終えて/読後レビュー【文化・山岳小説】

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10月12日、図書館でリクエストしておいた山岳小説の大ベストセラー「エヴェレスト・神々の山嶺」を借りたんだ。

その時、1000ページを超えた文庫の分厚さにノックアウト。それだけで1本ブログを書いちゃった。その記事も再度載せておこう。↓

まだ2週間とちょっとしか経過していないのに、エヴェレストの山々に抱かれたかのような本格山岳小説を読破するという「濃い時間」を得られた。まさに戦う読書だった。

1924年、マロリーとアーヴィンがエヴェレスト頂上付近で行方不明となり、登頂を果たしたのかどうか?が謎のままだった、この登山事件を題材に著者 夢枕獏氏は「真っ向勝負」を挑んだ。

徹底した現地取材と構想になんと20年。執筆に3年を費やした超大作だ。

☆彡

• 読後レビュー

迫力満点の描写、読むことがすでに主人公と一緒にエヴェレストを登攀するかのような錯覚を起こさせる名書である。

名クライマーのカメラを偶然ネパールで手に入れたことから始まるサスペンス。そして2人の主人公を支える女性との恋愛劇。

圧巻は、8000m越えからの「登山描写」だ。ただ、本作品を読んでいるだけなのにまるで自分が「氷点下低酸素」の過酷な状況下に置かれてるような錯覚を起こし、感情移入も甚だしいほどだった。

読み終えて、まだ、興奮の残骸が身体にくすぶっている。

この作品のテーマは「人はなぜ山に登るのか?」だ。

なぜ山に登るのか?は、なぜ人は生きるのか?という問いと同意だ。

圧倒的な頂きに立ったからと言って、このテーマの答えは出ない。

山登りも人生も本質は死に際にしかわかり得ないものだろう。

人が亡くなる時、それまでどうしていたのか?ではなく、何かの道半ばだったのかどうか?そういった生き様、道程が大事なんじゃないか?と、著者から突き付けられたと感じた結末だった。

主人公、羽生丈二は天涯孤独の子ども時代を送り、常に人から蔑まれて生きてきた。卑屈極まりない青春のある日、「山を登る」というアクションと出会う。

そこから、彼の持つ強い孤独感が天才と言われるほど独創的なクライミング技術を生み出す。物語のそこかしこに彼のクライミングの描写があるが、どこを取っても鳥肌ものだった。

常に、二人の男(天才クライマー羽生とカメラマン深町)の「ヒリヒリするような」感情の描写に読者は一発でやられてしまうだろう。

そして、山が好きだったら、荘厳で美しい山嶺、ネパールに飛んで行きたい焦燥にかられる。

熱い思いを抱いた男たちの気持ちを胸に、共に挑みたくなるのだ。

羽生が残した手記の最後に書かれていたのは

~強く、こころから思え~という言葉だった。

本当に「追い続けたい何か」があるのなら、心から思い込んで生きろ!という激励の言葉だろう。

圧倒的な熱量が1076ページに詰め込まれている。

著者は「書き残したことはない」と、ペンを置いた。

★2024年10月28日更新 ぎりぎりの買い物してる?~一世一代のお金の使い道について考えた【暮らし・お金への思考】

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お金ほど、人の執着や本質をえぐり出すものはない。

昨日、夫の大学病院でのこと。

現在6種類の投薬を受けているが、一つ減って5つとなった。成分の上から見て、もっと良い薬ができたからだそうだ。

薬が減ることは本当に嬉しい。

この5年の間、多額の医療費(入院費、手術代はローンを組んでいる。当日の治療費、投薬費は実費)を払い続けてきた。発病当初、約2年ほどは、毎月投薬費だけでも2万円とか!心臓や脳の病気はお金が底なしにかかる。

病院の通院日、わたしはたいがいお金のストレスから胃がキリキリと痛むのが習慣になっている。

人の身体って心の動きにとても敏感なんだと思い知らされてきたんだ。

そして、夢中で働いたこの5年間。

気づけば薬の量も費用も随分と減り(1ヵ月1200円程度、検診代も3か月に1回ぐらい3000円程度)となり、終わりの見えない暗闇からやっと抜け出したような爽快な気分になている。

私たちにとっては、大きな病気を治す「治療」自体が人生最大の「ぎりぎりの買い物」だったのだ。

結婚生活では、ささやかな持ち家、大型車、子どもの大学入試、親たちの介護や看取りと、お金のかかることばかりだったが、本当にすべてをやり通してきてわかるのは、「途中で投げ出さなければ、必ず勝機は見いだせる」ということだった。

全部、総ざらいをして己の無力さを痛感したあとは、粘り強く知恵と工夫で乗り切ってきた。

小さな敵は「見栄や外聞」なのだろう。

こうでなくっちゃいけない!と、世間との距離ばかりを考える自分から、いわゆる「等身大」の自分をさらけ出して生きることに、まったく抵抗がなくなったのだ。

こうなれば無敵だ(笑)

最近、大きな買い物もとんとしていない。

大きな買い物を考えている時は、すべてを洗い出すチャンスかも。

家でも車でも、ローンを組んだ段階で「ぎりぎりの買い物」だ。

子どもの頃は、月1回発売の月刊誌「りぼん」を買うのが「ぎりぎりの買い物」だった(笑)

今では、「ぎりぎりの買い物」に胸ときめかせるなんてなくなってしまった。

あーでもない、こーでもないと、悩む一世一代の買い物もそろそろやってみたい。

でも、お金でヒーヒーするのは御免だわ。

まったく想像もしないようなタイミングで「ぎりぎりの買い物」をしたい!と願うばかり。


10月27日は「文字・活字文化の日」~雑誌や新聞、書籍が不調でも「文字」はなくなりはしない~【文化・文字・活字と読書週間】

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• 文字・活字文化の日とは

出版文化の推進を目的として2005年に「文字・活字文化振興法」が制定されたことから、読書週間(10月27日から11月9日までの2週間)の初日を「文字・活字文化の日」とした。

               ☆彡

• 活字と本の話

わたしのまわりには読書好きの人がとても多い。

一方、世間ではこの20年あまり「本離れ」が加速してきた。それは言い換えれば「文字・活字離れ」ともいえるのかもしれない。

特に雑誌全般と新聞業界が厳しい。

インターネットの普及により電子出版やスマホなどのデバイスを介して文章を読む等、昨今では紙を介さない媒体がいくらでもある。

この10年ぐらいで時代が求める本の価値や役割が大きく変わってきているのだ。

しかし、活字=文字という観点から眺めたらどうなんだろう?

メールや仕事上の文書、SNSなど文字を使わない事は日常的にまずないはずだ。

わたしは「本離れ」が起っていると聞いた時点でも、「文字・活字離れ」はないんじゃないか?と考え続けている。それは「文字を読む・書く」という観点では広がりは尽きないからだ。

そして「文章を書く」ことについては無限に書き手を輩出できるのだろうと考える。

一生涯、なくならないであろう文字を紡ぐ事で、文字を容易に文章化できるスキルが身に付いてさえいれば、職にあぶれることがあったとしても、ネットという武器を利用してまず道は開けるだろう。

そのぐらい、文章を「書く」ことは「生きる」ことに直接的に繋がっているものなのだ。

また、読書好きの友人は本を読んで、感銘を受けた部分を小さなメモに書き留めていると聞いた。

数々の本が彼女の心に寄り添い、時に支えになってくれたと語る。

同じようにわたしも本に影響を受け、本によって目を開らかれ助けられ、人生さえ変わった。

もしも、本がなかったら・・・わたしの毎日はどれほど味気ないものだっただろう。

想像もし難い。

• 読むことから書くことを「本気で楽しむ」ようになったきっかけは

2015年6月、友人の兄である小説家の男性を紹介された。

小説家としてというよりは、投資家として成功し、投資塾を運営されていた。小説の精進として、かの森村誠一氏を師匠と仰ぎ、直接作品を見てもらっていたようだった。

小説家と2時間ほど歓談させて頂き、意外なほど巷の文学賞などにはまったく興味はないとおっしゃる姿に俄然興味が湧いた。

「へえ~、じゃあ、何で小説を書いているんですか?」と、わたしはとっさに聞き返してしまった。

小説家は「君ね、文章をこれでもか!っと書いてごらんよ。信じられない世界が広がるんだ。いうなればこころの空間みたいなものが手に入るんだよ!」と言った。

「毎日、仕事ばっかりしてちゃあ、こころの空間は手に入らないよ」「文学賞とはまったく無縁でいいんだ」と。

わたしは、この宝のような言葉を聞き出せて本当に良かったと、今でもしみじみ思い出す。

実はその時、小説家は末期がんの闘病中だった。

奇跡的に回復を遂げて、あくる年には2冊目の小説を出版され、紀伊国屋書店新宿店でフェアも開催された。

もちろん、帯のネームは森村誠一氏が書いてくれたのだ。

この小説家との出会いから、「本気で取り組むことがある人にはちゃんと時間や体という資産を神が与えるもの」だと、強く確信したのだ。

そして、小説家がひとこと「あんた、いい目をしてるね。大病をしたそうだが、病気なんか関係ないよ。ガンガン書いて!」と、言って下さった。

その後、小説家は75歳で天寿を全うしたと友人から伺った。

小説家にひとこと。

「ええ、貴方に教えて頂いたように毎日毎日、ガンガン書いてますよ。作家でもなく、ただの文章好きな物書きですが。でも書けば書くほどこころの空間はどんどん広がりました。驚きですね!「本気で書くこと」の楽しいことったら、ないじゃないですか!!」と、熱く伝えたい。

                 ☆彡

さて、今日から2週間の読書週間には何を読もうかな。

大事な時間を読書に費やすなんて、やっぱり素敵過ぎるわ。

今日は、あと2冊の山岳小説を読破して、明日は全く違う分野の本を探そう。

たったこれだけで「ワクワク」できるんだ。

美味しいスイーツもお酒も本には敵わないよ(笑)


「巡礼」がなぜ遠距離でなければならないのか?~それは、これまで関わったすべての〇〇を思いだすため~利に適ったウォ―キングのすすめ【健康・巡礼ウォーク】

【ブログ新規追加520回】

巡礼とは、宗教上の聖地を巡る旅のことだ。しかし、宗教がらみではない個人で巡礼を遂行している人の話を書いた。

一応、巡礼地の紹介をしておこう。

私たちが認知している世界の名立たる巡礼地は、キリスト教の三大巡礼地だろう。

「バチカン市国」イタリア

「エルサレムの旧市街とその城壁郡」イスラエル

「サンティアゴ・デ・コンポステ―ラ旧市街」スペイン

この3つだ。さしずめ、日本人だったら、四国八十八か所霊場を徒歩で巡る「お遍路さん」とかが真っ先にあがるんじゃないだろうか。

お遍路さんにかかる経費や日数は?

お遍路さんの歩く日数は45日。一日8時間~10時間(20~30㎞)を通しで歩くそうだ。

これを、45日とは恐れ入る。しかもツアー代が約50万円!そのほとんどが宿泊費と食事代だそうだ。

四国の一大観光収入となってきたはずだ。コロナ禍でいったいどのくらいの人がお遍路さんを巡行しているのか興味が湧いてきた。そのうち調べてみよう。

1200㎞を45日間かけて歩くロングトレイルだ。

そんな大変なトレイルをなぜ、大金をかけてやるのか?

• お遍路さんをやる理由とは?

お遍路さんをやる意味とは、祈願の目的で四国の弘法大師空海が祭られている霊場八十八か所を一番から順々に巡ることで煩悩を払い、願いを叶えるという行いだそうだ。

現代のお遍路さんになる一番の理由は「人生を変えたい!」だとある記事で読んだ記憶がある。

その記事からは「人生に嫌気がさした」とか「毎日がつまらなかった」とか、閉塞感が漂う理由がどんどん上がっていた。

その記事を読んだのがもう20年前のことだ。丁度、わたしの海外渡航熱が高かった頃でもあった。

お遍路ではなく、海外を歩き通すロングトレイルにハマったわたしの話

当時は旅好きが高じて、ツアーではなく個人手配のみで海外へ行っていた。現地ではだいたい路線バスや通勤電車を乗り継ぎ観光へと出かけていたものだった。

それこそ、旅行自体がまさにロングトレイルだった。タクシーとか特急とかには目もくれず、ともかく現地の観光を自分の足でどれだけ周れるか?が旅行のポイントになって行った。

息子が小学一年生になった年、NYを皮切りに毎年、世界の「どこか」へトレイルしに出掛けてきた。そんな「歩け歩け」ばっかりの旅行に息子は呆れていたのだろう、中学二年でリタイアした。

当時部活(サッカー)に夢中だったのもあって「もう!行かないよ!」っていわれちゃった(苦笑)

今、思い出してもあの歩く情熱はいったい何だったんだろう。

そして、今でもわたしの「歩く毎日」はささやかながら続行中なのだ。

• わたしにロングトレイルの意味づけをくれたある知人の話

おっと、話を巡礼に戻そう。

先に取り上げた「スペイン・サンティアゴ巡礼」(一般的な巡礼日数と経費 9日間・398000円)に毎年参加されているわたしの知人の話をしよう。

当時、50代で某大学の非常勤講師をしていた。ある日、わたしの主宰するピアノ教室を訪れて、ピアノが弾きたいので基礎から教えて欲しいと入門された。

その知人は、毎年12月に一か月かけてフランスのピレネー山脈からスペインのサンティアゴ街道を歩き切る「サンティアゴ・デ・コンポステ―ラ巡礼」に出かけている。

毎日、日の出から日没まで延々と歩く。巡礼も終わる頃には足の爪が何枚か剥がれるほど過酷なロングトレイルだと聞いた。

聞けば、NHKの「古寺巡礼」や「シルクロード巡礼」の番組制作にも関わったそうだ。

そこで、彼に「なぜ、巡礼するのですか?」とある日、興味本位で聞いてみたんだ。

すると、返ってきた答えが「今まで、関わったすべての人を一人、一人

思い出すため」に巡礼をするのだと。

究極の目的は、「その一人、一人との出会いに感謝し、安泰を願うのだ」と。

別に宗教上の理由からではなく、一個人がロングトレイルできる、トレイルしやすい環境があるのが「巡礼」だから選んで出かけているのだとも言われた。

「すべての関わったひとを思い出しながら歩くと、とても一ヵ月では足りない!」だからこの数年毎年出かけているのだそう。

今、思い出しても凄いエピソードだと思う。

自分の夢や希望は端に置いて、関わった人への感謝を祈るために歩く・・・。

その彼がわたしに言ってくれたのが「先生のことも感謝していますから、そのうちに感謝の思いを抱いて歩きますよ!」と。

さらにこうも言われた「例えば、巡礼なんて大げさな旅じゃなくても、歩きやすい里山や行きやすい土地を選んで登るのや歩くのでいいんですよ!」とも。

あの頃から、わたしのウォ―キングトレイル熱が高まったのはいうまでもない。

あなたも巡礼の旅がしたい!と思ったら、いつでもできる。

自分の願いや悔い改めたいこと柄を胸に抱き、歩けそうな土地を選んで詣出れば良いのだから。

※ タイトルの〇〇には「ひと」がはいる。

やったもん勝ちかも(笑)

★2024年10月25日更新 「短気」は治せる~いつまでも学び続けるだけ~【健康・短気と学習】

【ブログ新規追加519回】

「ぶん殴りおじさん」って知ってる?

今日、客先で聞いたのだけど、駅の構内や店先で急に「ムカムカする!」とか言って、そこにいる人に拳を上げるおやじが渋谷近辺に出没してるんだと。

自分の気分が悪いから、人に手を挙げる・・・という驚きの行動を起こすのだそうだ。

その理由は「ブチ切れた!」堪忍袋の緒が切れたという気持ちだけらしいよ。

ばっかみたいじゃあ済まない。

今日、話を聞かせてくれた書店員さんが言ってたのは、最近は「探している本が見つからない!」と、怒りキレて文句を言いに来るおじさんがいると。

真近でマスクを外して大声で怒鳴るので、もうヒヤヒヤだそうだ。非常識極まりないよね。

で、わたしにも電車での営業には「ぶん殴りおじさん」に気をつけてね ♪ と、気づかってくれたんだ。

幸い、今日の電車営業ではまったくおかしな人には遭遇せず。ほっとした。

                 ☆彡

「短気は損気」ということわざ?言い回しを思い出した。

意味はこうだ。

~辛抱できずに怒ったり事を急いだりすることは自分にとって損である~短気を起こすと損をするという戒めの言葉だ。

しかし、うつ病やアルツハイマー、交通事故、脳梗塞が原因で前頭葉に損傷を受けると短気になりやすい。

なぜ、短気になりやすいのかと言えば、前頭葉と他の脳器官の間が損傷して繋がらなくなっているから。

脳の連携プレーが効かないため、記憶がプッツンと切れたりする。防止するには定期的に脳を鍛える学習をするのが手っ取り早い。

脳トレ、刺し子、麻雀、RPGゲームなどとても脳に刺激を与えて脳の道=シナプスがどんどん成長するのだと聞いた。

                 ☆彡

私事だが、脳出血で脳の一部に損傷を追ったわたしは、やはり以前より「短気」になってしまった。

自分の気持ちが済まない時、急に不機嫌になり、頭の中がぐるぐる沸騰してしまう。

当然大声を出す、物を投げる、壊すとか発病後は頻繁にやっていた。怖いよね。わたしの母はそんな娘の姿を見て、驚きで涙目になっていたもん。

もちろん、とばっちりを受けるのは夫だった(泣笑)

急に怒り出したりするもんだから、「病気で頭がおかしくなっっちゃった?」とか、よく夫から聞かれていたっけ。

それで「おかしくなってなんかいない!」とその場にあったミカンとかメガネを夫に向けて投げつけたこともあった。

もう13年の月日が経って「短気」はほぼ影を潜めた状態。脳がより良い生活を送れるように改善の学習をしたのだと、主治医から聞いた。

こうなれれば「寛解」なのだそう。

何が言いたいのかというと、「短気が目立つ」場合や「異常に不機嫌な気分が続く」場合は病気を疑ってみよう。

もしかすると深刻な脳の病気が潜んでいるかもしれないから。

そして、もうひとつ脳の働きの話をしよう。

前頭葉の働きが損なわれるのは、何も事故や病気ばかりじゃないそうだ。

脳外科の主治医が言ってたのだけど、「脳は使わないと衰えます。逆に使えば使うほど良く働くものです」と。

わたしが「先生、よく使うってどうするんですか~?」と、アホな質問をしたら、「それはね、楽をしないで生きればいいんですよ!」だって。

ああ~、ずっと「楽に生きたい!」と願っていたんだけど、それじゃあ、わたしの脳はどんどん衰えてしまうだけじゃん!

というわけで、日々苦楽を共にすることで、今日も「キレない」一日を過ごせた。

まあ、日ごろから「楽」せず、前頭葉を良く働かせて、泰然自若と行きたいものだ。

※ 泰然自若・・・おちつきはらって物事に動じない。 安らかでもとのまま変化せず平気な様子。

「低山山頂」でコーヒーブレイク~休日は山でお茶する🎶【風景・山コーヒー】

【ブログ新規追加517回】

今朝、近所の低山山頂でお茶してきた。

もちろん、ザックに「淹れたてコーヒー」を作る道具(あらかじめ挽いたコーヒー豆とフレンチプレス)をコンパクトにまとめて出かけた。(ここの山及び都立公園内では火器の使用ができないため、保温ポットに熱湯を入れて持参する)

今月は、緊急事態宣言明けでたいそう忙しく、毎日かなりの仕事疲れを引きずりつつ頑張ってきた。

わたしの友だちが以前言っていた話を思い出した。

「ちょっと忙しかったりして、山登りを怠ると身体が変なのよね。調子が狂って何だかスッキリできないの」と。

彼女の健康法は、ただ山に登ることなのだ(笑)

その山が低いか?高いか?どのルートをどう登るのか?などには一切こだわっていない。

というより、まさに無手活流で、ひたすら山を目指す。そうすると、おのずから「気」が身体中に蘇るんだという。

要するに何もせずとも、山のほうから勝手に「元気」をくれるのだそうだ。 だから、心身共に健康を保つため、月に二回の登山を計画しているのだと聞いた。

なるほど。

今朝、夫に「外行ってお茶しようよ~」と、話すと、「山以外ならいいよ」と、素っ気ない。

しかし、わたしは「仕事疲れを山の気で追い払うんだから、一緒について来て♪」と、優しく誘った。

案の定、秋の低山は紅葉も美しく気持ちのいい秋晴れに、夫も「森林浴は気持ちがいいねえ」とか言い始めたのだ(笑)

そのぐらい、お天気のいい日の山は素晴らしい。ただ、忙しくて「遠くの少し高い山」には今月は行けそうもないから、「近所の歩きで行ける低山」を登って気持ちをなだめているんだ。

仕事中心の疲れが溜まったら迷わず登山する。

山に元気をもらい、自分を見つめ、気が散っていても本来の自分を取り戻せる。

これが登山の一番の効用だ。

それに山にさえ行ければ、健康は向こうからやってくるのだから。