★2025年3月5日更新 言葉の力~言葉は誰もが使える最強の幸せツール【暮らし・エッセイ】

【ブログ新規追加646回】

受けた言葉に泣いたり、笑ったりと、「言葉の持つ力」をつくづく感じた一週間だった。

久しぶりに会う若い女性上司との面談。

コロナ禍で閉店が相次いだ私のエリアを、おもんばかりながらも大いに励ましを受けた水曜日。(懸案だった新しい仕事も頂いた・嬉しい)

上司は来週、人生で最高の日を迎える。わたしからも言葉の花束をめいっぱい贈らせてもらった。

オンライン会議では、同僚に孫が生まれていて、みんなから言葉や書き込みメッセージの贈り物がた~くさん!

観ているこちらまでなんだか、孫ができたみたいな(笑)ほんわか、明るい雰囲気に気持ちがぐん!と華やいだ。

言葉の持つ力を信じていようが、いまいが、相手を楽しませたり、励ましたり、深く癒したり、キラキラさせたり、笑わせたりと、いくらでも言葉を使って人のためになることはできるんだと改めて気がついたのだ。

                   ★

一方で、真反対のことだって起こり得る。

元気づけようとしたはずなのに・・・返って孤独感が増すような雰囲気になっちゃったり(泣)

勇気づけたかっただけなのに・・・自分にも勇気がなくって言い出せなかったりなど、言葉の使い方に迷い、立ち往生するなんてこともある。

現在の「ロシア」はなぜ、「ウクライナ」との対話交渉がなかなか進まないのか?それは、目指すゴールが違うからである。それでも粘り強く徹底して対話での停戦を願うものだ。

ほぼ、すべての人が使える「言葉」にはお金はかからない。また武器も要らない。

こんな素晴らしいもの(言葉)を、「人間に生まれたことで与えられている」っていう感謝の念を「ロシア」のPTは忘れているんじゃないだろうか?

                  ★

自分だけでなく、周りも一瞬で幸せになれるような、言葉を発して行きたい。

なぜなら、言葉の力を信じて使うと、何倍もの結果が出るようになる。

アフォメーションという言葉を使ったものごとを変革させる方法がある。

アフォメーションとは→なりたい自分になるための、言葉による思い込みづくりのこと。「肯定的な自己暗示」「肯定的な自己説得」「肯定的な自己宣言」などとも言われる。資料先;https://life-and-mind.com/affirmation-12198 (アフォメーションを仕事や人間関係に活かす7つの基本と8つの実践例)

                  ★

ブログを書く作業も、一人でYou Tube を撮る作業も、とても孤独なものかもしれない。

しかし、きっと誰かが読んでくれる、誰かが観てくれる・・・と、期待に胸を膨らませて作業に取り組んでいるんじゃあないだろうか?

わたしもまったく同意(笑)

これって、言葉の力を無条件で信じている証拠だね。

しかし、一方的に言葉を発するわけで、一言、一言、悩みながら言葉を紡いでいる時間が圧倒的に多いのね。

それでも、悩まず軽い言葉で埋め尽くされたブログなんて、誰も読みたくはないはずだろうから、悩むのも楽しみの一つとして、来る日も来る日も書き続けてきた。

わたしは、この言葉を紡ぐ作業を「内なる格闘」と呼んでいる。

まさに戦いだもん(笑)

そして、悩みつつも自分の言葉を信じるのは、「カッコいいし美しい」と、思えるようになったんだ。

いつかブログを書かなくなっても、

身近な人に懸ける言葉や自分に向かって懸ける言葉が磨かれていれば、

とりあえずわたしの世界は変わるだろう。

個人戦をどう戦うか?~ブログで次のステージを目指す~弱者のためのブログであるべきという方向♪【紙上講座・ブログ先行き視点】

【ブログ新規追加645回】

個人ブロガーのわたしが目指す視点を書いてみた。

わたしは、企業ブログを書いているわけではない。

身の回りに起こる小さな体験や経験をど真ん中に置いて書き起こすエッセイと情報

あくまでもわたし個人の持ち物だけで書き起こしてきた。

Googleの検索上位の記事などにはほぼ目を通す暇はなく、いわゆる自己流ではあるが「小さくブログサイトを運営する」ことには成功したと言えるのではないだろうか。

なぜ、そこまでGoogle検索上位の記事を読みに行かないのか?と言えば、それはアクセス数をかせぐやり方を徹底的に知り尽くしたプロブロガーを背景に置く企業ブログばかりだからだ。

そこにある記事の多くは「万人向けに書かれた内容」である場合がほとんど。しかも記事構成も、検索上位になりやすいキーワードを使ったものばかり。

要するに企業の体裁を整えるためにも使えるハイレベルなものだと言えばわかりやすいだろう。

例えば、ブログ初心者の記事がやたら、企業ブログに似せて書いたとしよう。しかし、まず、企業と個人の差別化がされていないと、ただ検索上位の記事を真似てみてもたぶん長続きはしないだろうね。

だって、プロフィールからして違うじゃん(笑)

ここで、出てくるのが「弱者の戦略」という思考法だ。より具体的に述べると、「大きなものと同じ武器で戦わないこと」に尽きる。

資料先→弱者の戦略と強者の戦略「ランチェスター戦略とは」https://www.profuture.co.jp/mk/column/10342

一個人が世間に戦いを仕掛けるときには、より小さく、固有のインパクトを打ち出さねばならない!と言える。

しかし、それもとても厳しい・・・。

そんな時には、万人向けに書かれた簡単正攻法や成功術であっても、こぼれ落ちてしまう少数の方々を掬い上げる記事を書けばいい。

なんにも持たない弱者だからこそ書ける、企業ブログとは違った視点の記事。

こんなところを目指して毎日、淡々と書き続けているんだ。

毎日、誰かの胸襟に触れて、誰かの背中を押せるそんな記事を書いて行きたいと願うばかり。

戦いの相手は、大企業じゃなくて「己心」なのよ。

大きなものを漠然と捉えて、個人が意気消沈し、結局辞めてしまうなんて、本当にもったいないよ。

企業ブログの読者設定は「できる人」向けで、個人ブログはどちらかと言えば「続けるのが難しい、飽きやすい人」向けだろう。

これが差別化だ。

というわけで、「弱者=個人のブログ」の戦い方を書いてみた。

これからも、より小さく、ひっそりと、しかし明るく、前向きに、

ワクワク情報や体験をサクっと発信して行くので、どーぞ、よろしく♪

★2024年3月3日更新 マルチタスクの意味を取り違えていた!~脳が同時にモノゴトを片付けるわけじゃなかった~切り替え上手脳になろう🎶【仕事・マルチタスクを正しく知る】

【ブログ新規追加645回】

マルチタスクって、たくさんの要件を一気に=同時に片づけるスーパー脳のことだとばかり思っていた。

しかも、マルチタスクが得意な人こそが、優秀なビジネスパーソンだとも。

しかし、一昨日運転中にある脳外科医の話を聞いていて「うん?あれ?」って、思ったのだ。

それは、「人間の脳は、完全なシングルタスクである」と言い切っていた。しかも、シングルタスクゆえに、高度な技術を駆使して社会の秩序を守ってきたのだと。

マルチタスク風な行動がいかに脳を休ませられないか!仕事のスキマ時間ぐらいはネットサーフィンはやめよう!という話だった。

「へえ~~~~~」

聞けば、マルチタスクの意味を取り違えているのでは?そういった意見も飛び出した。

例えば、「仕事をいくつも並行してどんどん進めるスタイルが身についている人」のやった仕事は精度が低い場合が多々あるそうだ。

これって、次々仕事を進めていくことに夢中になった結果だね。

確かに、マルチタスクは、元々IBMの唱えたコンピューターシステムのことで、複数のタスク=案件を並行して実行するということを指すものだ。

その言葉がいつしか一人歩きをして、ビジネスパーソンもマルチタスクができるのが優秀と誤解をする人が増えたのだそうだ。

                     ★

ここで、マルチタスク本来の意味を現わしておく。

• 複数の作業を同時に平行して行う

• 複数の作業を短時間で切り替えながら実行する

                     ★

ネットやIT好きな人ほど、マルチタスクを好む傾向があるそうだ。PCや周辺機器の知識に長けている部分がそうさせるのだろう。

一般的なビジネスシーンでも、画面を複数立ち上げて作業する・・・エクセル表とワード文章など。忙しい現代では当たり前の姿である。

それでも、PC画面やソフトを複数立ち上げることって、先の脳外科医の話からすれば、マルチタスクでもなんでもない(笑)

エクセルで数値入力をしながら、ワードを作ることはできないから。

要するに、厳密には複数の画面を待機させているだけで並行して仕事をしているわけじゃないんだ。

本来のマルチタスクとは、画像の出力処理をする間に、エクセル表を作るような作業状況を生み出すものと言えばわかりやすいだろう。

ほとんどの人はPCに複数の作業を同時にさせることはない(ハズ)

(資料元→https://graceeight.com/time060ビジネスマインド

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このことから、人は本来マルチタスクには成り得なくて、ほぼ、シングルタスクだということだ。

なぜ、ほぼか?と言えば、一部の天才が存在するかもしれないからね。

人間の脳はマルチタスクに対応できず。例えば、「複数の人から同時に質問をされて、同時に返事を返せる?」と。絶対ムリ。

複数の声を認識できたとしても、答える口は一つだもん(笑)

                 ★

わたしのクセのひとつに「何かを観ながら、手を動かす」というのがある。

「何か」はたいがい、You Tubeや映画などの動画を観ることで、「手を動かす」はブログや原稿を書くことだ。

今日の話では、わたしはマルチタスクじゃなくて、ただの「ながら」だったというわけ(泣笑)

  

書斎という自分空間の作り方~畳一畳で充分できる自分の城づくり~既成概念を取っ払たら簡単にできちゃう♪【仕事・マイ書斎を持とう!】

【ブログ新規追加644回】

ノマドワーカー(もう、古い表現・笑)がcafeで仕事をしている姿は、もうありきたりな風景になった。

要するに誰でもやれるようになったらカッコよくはないんだよ。

PC1台とスマホだけで充分仕事ができる。

例えば、外cafe以外にもワークスペースは今やどこにでもある。

昨今、当たり前となったオンライン会議などにも外から参加が可能だし、ちょっとした書き物などもサクっと仕上げられるし、便利になったものだとつくづく思う。

一方で、今日取り上げる「マイ書斎」はノマドワーカーの真っ向から逆を行く発想のものだ。

「書斎」と聞くと、何やら古臭いお父さんやおじいちゃんの時代の「男の居場所」みたいなものを連想されてしまいそう(笑)

本来の「書斎」とは、学んだり考えごとをするための空間だそうだ。現代の知的労働に携わる多くの人にとって、学ぶことや考えることは必須なのではないだろうか?

意外だけれど、ITが進み、誰でもスマホやPCで情報をシャワーのように受け取れる便利な時代になったが、ひとたび裏を返せば、「じっくりものごとを考える」「長編作品を集中して読む」などがなくなってやしないだろうか?

時間軸が断片的といえばわかりやすいかな。

SNSの普及でさらに、一憶総発信者だらけの現在。電車の待ち時間や電車に乗っている間、ほとんどの人がスマホに釘づけなのもうかがえる。

スキマ時間はネットの情報を読む、SNSでのやりとりをするなどに使われてしまうのだ。

で、家では?というと、家でも食事の前後や就寝前まで同じようにネット情報を読み、SNSでやりとりしたりするんだ。

これじゃあ、いったいいつ、ものごとを深く考えたり、長編作品を読むことができる?できないよね(泣)

目の前の情報ばかり追っていては、思考の浅い考え方になりかねない。

そこで、そんなネット漬けの人に朗報なのが「マイ・書斎」を持つことなのだ。

マイ・書斎」があれば、考えるための時間を取ったり、趣味に没頭したりという、いわば「おこもり」が可能になる。

今では、思考を短くするための、ショートカットを推奨する書籍まで当体している。

しかし、自分の中で考える習慣を捨てたくないし、学ぶスイッチを入れることができる「マイ・書斎」の存在は大きいだろう。

わたしは、毎日ブログを執筆しているがこれは趣味じゃない。れっきとした小さな仕事だ。

毎日1本の2000文字記事をきっちり書き、広告を入れて編集する。そこから、いくつかのSNS、メディアに発信することで小さな仕事は完結する。

しかし、外仕事から帰って来たばかりじゃ、すぐにブログに取り掛かれないもの。切り替えが難しい場合も多々あるのよ。

だから、毎日執筆するには、朝起きたらすぐ「小さな自分空間」で良く考えて、勢いつけてザっと書いておくのが、今の習慣になっている。

引用や資料などは、帰ってきてからで十分間に合うし。

これも、ただの「下手の横好き」で趣味に位置付けていたら、こうまで続けて書けることはなかっただろう。

自分の本当に好きなことを続けたい・・・これは誰もが願うことだろう。

であれば、小さく仕事にしてしまうのが近道だ。

そういった、思考にたどり着いたのは、小さな家の中に自分のクリエイティブを育てる空間「マイ・書斎」を設けてきたからだと思う。

(ほんとに小さな空間を自分流にアレンジして使っている。リビングキッチンのテーブル半分とか・笑)

畳一畳あれば、素敵な「書斎」が作れるよ。

イケアなどで安くてカッコいい机や椅子、テーブルなどを用意してみよう。

少しの労力で、自分のお城を作る・・・ワクワクしない?

デジタルと本で「開かれたマイ・書斎」をぜひ、持ってみて!


★2024年3月1日更新 『ミニマリストという生き方』辰巳 渚・著(宝島社)【選書・文化】

【ブログ新規追加643回】

弥生・3月になった。

新年度を迎える準備に忙しくなる季節の到来だ。

身辺の整理をされる場合もあるだろう。

そんな時に人生を変えるような「振り切った片づけ」をしたい!と思っているなんて方にうってつけの一書を紹介する。

ミニマリストという生き方』辰巳 渚・著

• 簡単レビュー

モノを最小限に減らして暮す「ミニマリスト」という考え方を持つ人たちが最近注目を浴びている。

しかし、ミニマリストが普通と違う考え方や普通の暮らしを避けているわけではない。

本書では、そんな最小限にモノを減らすに至った経過や原因、ミニマリストのゴール、これだけは手元におく、など等身大の5人のミニマリスト達への取材が読めるある意味片づけに悩む人へのサポートとなる一書だ。

本書に散りばめられたミニマルにスッキリと暮らすきっかけや考え方は、ひとり暮らし、夫婦ふたり暮らし、子どもと家族4人暮らしなど、形態別に書かれている。

著者・辰巳 渚さんも元ミニマリストだそうだ。ミニマリストになるきっかけ、プロセス、現在の暮らしぶりや考え方もレポートされた興味深い名書だ。

                    ★

さて、「ミニマリスト」という言葉と考え方を生き方にまで昇華させたのはいったい、いつのことだったのだろう。ちょっと、調べてみた。

『ぼくたちに、もうモノは必要ない』で披露された、ミニマリストの定義は二つあって、① モノは自分に本当に必要な最小限にすること。② 大事なモノのためにそれ以外を減らすことを「ミニマリズム」とし、そうする人のことを「ミニマリスト」と呼ぶ。

自らを定義し、その定義によって自らの存在を宣言する・・・ということらしい。

だって、片づけブームはもうかれこれ20年ぐらい前から始まっていて、モノを減らすことにもすっかり慣れた世間があったハズよね。

それでも、何だろうな「ミニマリスト」は別の空気をまとっているみたいなもので、この呼び名自体に価値を見出した人も多そうだ。

今回取りあげた『ミニマリストという生き方』の中で印象的だったのが、お笑い芸人の小島よしおさんだ。

彼のやっているミニマルな暮らしは、頭と身体を鍛えるべくして用意した、最高の環境だった。ここを読むだけでもこの一書の価値はあるだろう。

さ!3月。

ミニマリストに興味のある人も、反感のある人も、片づけや掃除に動きだそう。

たった一冊の本で人生が変わるかもだし、たった半日家の中を掃除しまくるのでもやや、人生に変革が生まれるかも(笑)

3月は春の期待と予感の月だから。

★2024年2月28日更新 難しいことがらを言語化する~評論に挑戦してみようかな?~とか考えている話【紙上講座・評論】

【ブログ新規追加641回】

ちょっと前に読んだ小説の話。

主人公は20代後半の男性。大学を卒業後、ずっとフリーで新聞やWEB雑誌にライターとして記事を書いて生活している。

彼は、自分の将来を危惧して、ある編集者に「僕はいったいこの先、何を書いて仕事を得ていけばいいんですか?」と、唐突に聞いたんだ。

そしたら、「ライターをある程度やったら、あとは、詩を書くか、評論を書くか、小説を書くものだよ」と、教えられたそうだ。

そして、物語は「小説家を目指す青年が本当に小説家になるまで」を実に細かくも、見事に描き切っていくのだ。

わたしはこの小説を読んで、自分なら小説家はありだな・・・と、瞬間に思った。

しかし、評論も捨てがたい。だって、難しいことをわかりやすく誰にでも伝わる文章表現で評論が書けたらカッコいいじゃない(笑)

※ 評論とは→物事のよしあし・優劣・価値などについて論ずること。また、その文章。(資料先;https://kotobank.jp/word/コトバンク

「ロシアのウクライナ軍事侵攻」がこれに当たる。要するに難しいテーマについて自分の想いを文章で言語化するのをやってみたい。

わたしは普段、政治や国際情勢について、積極的に感情を表に出すとか、文章にしてつぶやくとか一切してはいない。

専門家でもないし、よりよい発想があるわけでもないだろうから。

そんな立ち位置があやふやなものを、身勝手に書いてしまうのはとても危険だと考えるのだ。

しかし、小難しいテーマであっても、わかりやすい解釈と読みやすく書ける技術があれば、評論の世界も覗けるかもしれないよね。

実際、今回の「ロシアとウクライナ」の関係性やそれぞれの国の歴史など興味があるし、遠く離れた日本も北方領土を抱える身だ。

他人事ではなかろう。

特に旧ソ連・東欧の地政学などが、今ブームになりつつあるという話も聞いた。世界の情勢とか芸能系でもでもいい本があったよね。

一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書

今、まさに勉強するべきは「世界情勢」だとさえ思う。

わかりやすい書き方で「ロシアとウクライナの緊張状態」のとりまとめができたらいいな、とか思っている。

今日、ワクチン接種3回目やってきて、ちょっと怠くなってきたんで、思いついたことを簡単にまとめてみた。

それでは、また。

※ TOP写真は、2月26日の東京スカイツリー。偶然にもウクライナの国旗色。(WEB記事より拝借)

ミニマリストになろうと思った~なぜなら母のことがあったから【暮らし・片づけエッセイ】

【ブログ新規追加640回】

7年前の2月3日、節分に母を亡くした(享年79歳)

余命宣告から、たった2週間で母は旅立ってしまった。

余命宣告の知らせがあったのは、母を介護するために母の家のすぐそばに引っ越して6か月目。

母の病気は「肝細胞癌」で、4度の放射線治療でも癌が消えず、すぐに身体中に逡巡してしまう恐ろしい病気だった。

この病との戦いが始まる数か月前に、母と同居の話しあいをしたのだ。

しかし、母は「自分は最後までひとりで生活したいの」と、強烈に言われてしまい結果、わたし達がすぐそばに住んで介護することとなった。

マンションを引き払い母の家の近所(車で5分)の場所に引っ越した。その間たった2週間。

この時にはまだ「ミニマリスト」という生き方は知らなかった。

ミニマリストとは→不要な持ちものを減らして自分に必要な最小限のものだけで暮らす人のことを指す。 「ミニマル:minimal、最小限の」という言葉から派生したとも言われている。(資料先;https://www.manpowerjobnet.com/haken_guide/improving-skills/minimalist/ミニマリストでスッキリ暮す)

たった2週間で大型3LDKを処分するのは至難の業だった。しかし母のそばで看病する!と決めたわたし達夫婦はこの間、仕事も全部休んで、引っ越し作業と各種手続きに没頭したのだった。

まず、手始めに引っ越し先(2DK)への荷物の選別。全体の3分の1まで持ち物を減らすというチャレンジを始めた。

これには一週間もかかった。

物への愛着(執着ともいう)がある中、毎日真夜中まで物の選別や引っ越し先のサイズに合わせる家具や電化製品の採寸を続けた。

さらに小さな家のすべてにWIFI環境を張り巡らせる準備なども徹底してやった。

この間、新しい物はほとんど買わなかった。なぜなら、物を減らすために物を買う矛盾にさいなまれそうだったから、あえて避けたんだ。

専門のメーカーや引っ越し業者には頼まず、できることはすべて家族だけでやった。最後に大物だけを引っ越し業者にお願いしただけ。

小さく、小さく、必要な物だけを持って身軽に引っ越しをすることが叶った。

それもこれも、これから長くかかる介護費用の捻出と母の病状改善を助ける「その時一番大事なことに集中する」ことができたからだと思っている。

だから、やみくもに(適当に)物を移動するのではなく、徹底的に「手放せるものは手放す」という信念の元に突き進んだようなものだった。

そして、引っ越して6か月目に母が亡くなり、わたし達の介護という旅も終わった。

身体の水分を使い果たすぐらいに泣いたけど、弟夫婦と母の家をかたずけて家じまいを終えた時、「ああ、母はひとりで丁寧に暮らすことをとことん楽しんだのだな・・・」と、爽快な気持ちがムクムクと沸きあがってきた。ちなみに、隠し財産などまったくなかった(泣笑)

大切な人の荷物をすべてかたずけて一軒の家をしまう。

大切な人達の生活をしまうのは、何とも寂しい作業だとばかり思っていたが、そんなことはない。

反対に一切を任せてもらえて、とことん幸せを感じる数日間だった。

母の思い出を話ながら片づけるんだけど、アルバムはやっかいそのもの!だって片づけの手を止めてしまい、延々見続けてしまうから。

次にヤバイのが日記。

母の日記が出てきた。薄い大学ノートに「〇〇子の育児日記」と書いてあった。

わたしは、母がわたしを生んだ瞬間の喜びから母としての責任、わたしへの願いを書いたその1ページだけを読んで、苦しく辛い想いを受け取り、何ごともなかったようにノートを処分した。

例えば、本は一番大事なことは全体の始め20%に書かれている。残り80%はすべて説明なのだ。

薄いノートにびっしりと几帳面に書かれたノートの始めの1ページだけを写真を撮るように読み込んで鮮明に心に焼き付けた。

家具も荷物も何にも無くなった母の家で茫然としながらも、母の大切な物をきっちり処分できた爽快感に包まれた。

本当に不思議な経験だった。

母が本当に大事にしていたものは、物じゃなくてわたし達家族だ。その想いは物を処分しても消えやしない。

「自分を大切にする、家族はもっと大切に思う」という母の気持ちを受け継いで生きている。

こんな想いで迎えた7年目だった。

これこそが、自称ミニマリストとなったわたしから母へ贈る供養なんだろう。

★2024年2月26日更新 お金を使わないで楽しむコツ~休みの日をどう使うかがキーポイント♪【暮らし・休日の有効利用】

【ブログ新規追加639回】

休日は、夫婦で市場に行き、食品や雑貨を買い出しに行く。ほぼ、毎週。

買い出し後、洗濯、掃除、家具や家電の修理、大方の家仕事を終えたら、近くの都立公園へ軽くウォ―キングをする。

このごろは、「歩きながら瞑想する」とかに挑戦しているよ。歩くために外に出ているから余計なことは考えず、歩みと呼吸を合わせることに集中するの。

あっ!昨日山でも呼吸法やってるって書いたばっかりだった(笑)

しかし、空気は「只」0円。命を繋ぐために一番重要なものが0円とはスゴイ!こんなことを感じながら呼吸法を繰り返していると、何とも言えない充実感に包まれるのだ。

                    ★

休日のランチや夕食もごく適当に。前の週、使い切れなかった食材を使い切る日になる。

もちろん、買い出しで仕込んだワインやビールと残り食材で作る超適当なご飯がいい。

そういった日は、白米は炊かない。パンやお好み焼きとか粉もんに尽きる(笑)

夫は広島出身でだんぜん「おたふくソース派」で東京出身のわたしは「ブルドックソース」で。両方いつでもスタンバイしてある。

ここでも、郷土の味を大切にするお互いの嗜好品を用意するだけで満足な食事が頂ける。

さらに、予定のない雨の休日は、お家cafeの出番。

気になっていたお菓子を買い込み、家で入れる深煎りコロンビアコーヒー(たまにエチオピアにもなる)は、コロナで外国に行きにくくなったからせめてコーヒーで外国気分を味わおうってわけ。

しかも、外cafeじゃなくって、お家cafeがいいのよ。家で好きな音楽を聴きながら飲む、深煎りブラックコーヒーはいつもより香りが充満していて、いっそう美味しく感じる。

わたしの小さな幸福。

                     ★

若いころは、買い物が大好きだった。

しかし、今、歳を重ねて心地よくやっていることは、ほとんど「お金」のいらないことばかり。

ちょびっといいコーヒー豆を買うぐらいで。あとは、何もお金を使わないという休日が実現している。

わたしは、「特別なことは何もないような休日」に、この上ない幸せを感じている。

何もしない、どこにも行かない時間は、とても豊かで贅沢なものだったんだ・・・と、いうことを実感している。

これこそ、ゆとりでしょ(笑)

※ TOP写真は2月の山野草「節分草」そろそろ、近所の里山で可愛く咲き始めた。

わたしの考えるシンプルライフ【暮らしエッセイ】

【ブログ新規追加638回】

この数年「ミニマリスト」「ナチュラルライフ」「「ロハス」など、様々なシンプルライフを体現され追及される人がどんどん増えた。

では、わたしは?このどの言葉にも当てはまるようで、まるで当てはまらない。

わたしの現在の暮らし方はそこまでミニマムでもナチュラルでもない。要するに何でもないんだ(笑)

                     ★

わたしにとって、一番今興味があって大事なものは「自然」だ。この「自然」をできる限り無理なく満喫できる山や高原へ出かけるのが自分をもっとも満足させる行動になっている。

これは、脳と身体が欲求しているから、別に何かの肩書に見合う道を追求しているわけでないのよ。

そして、さらに大事なのが、今の自分と家族がどのような状態で何を必要としているのか?をよ~く考えて食事を用意したり、衣類の手入れや家の隅々まで丁寧に掃除をしたりすることだ。

だから、不要な物を増やす消費に走らず、シンプルな隙間の多い部屋で深呼吸したり、山登りやキャンプで自然を求めていると、少ない物(安価なもの)と近い場所で充分満足できる。

どうすれば健康で、心地よく楽な暮らし方ができるか?

この視点を考えて実践に移すのがわたしの考えるシンプルライフなのだ。

山登りを頻繁にするようになって、時おり山道でバランスを崩してしまう場合もある。心ここにあらずで「ただ登りたい!」という欲求だけで挑戦してしまった時にバランスを崩しやすいのだなと、最近知った。

ただ、登ればいいんじゃなくて、「ブレス=息継ぎ」がリズム正しく行われているか?「身体の中心がブレない」で歩けているか?こんな2点だけをチェックするために低い山を登っているんだ。

もしバランスを崩してしまったら、状況をよく把握して振り返りをしておくし、身体の中心がブレていたら、ブレている自分を靜かに見守る。

こういったひとつ、ひとつの行動の中に、「自分を静観できる心」を鍛えているんだなあ~と、山登りを始めた頃より一段上の心境に至っている。

                    ★

シンプルライフ~わたしの5箇条

1、心の余裕を目指す

2、自分の時間を家族に使う

3、変化には身軽に・柔軟に

4、お金や情報にとらわれず

5、急な予定にも対応できる

今のわたしが目指すシンプルな暮らしはこの5つがあれば叶うハズ。

無理なく、いいさじ加減でしょ(笑)

※ 今日、今月の仕事が終わって、ちょっとご褒美を。 山パーカを買ったの。3月はこれを着て山に登ろうっと。(夫が先にブルー(35%off)を購入していた。わたしも欲しくなっちゃってオレンジ(なんと70%off!)を衝動買い・笑)

ブログの記事構成と例文を公開~別に特別なやり方じゃないけど~覚えておくと書くのが簡単になるよ♪【紙上講座・ブログの記事構成】

【ブログ新規追加637回】

ブログの毎日更新を始めて637日。

ここまで、夢中で更新し続けてきたが、改めて記事構成を書き出してみようと思い立った。

別段、特別なやり方をしてはいない。

ただ、わたしのブログはほぼ、自身の「経験や体験」から編んでいる。

物販ブログならいざ知らず、ただの日記風ブログや自分語りでは、まず、誰も読んではくれない。

そこで、これまでの経験や体験の成功談、失敗談、誰にでもあるあるな話を取り上げた。

「手の平に乗るほどのちっちゃな話」を、自身の経験や著名人の話、書籍などの情報を織り交ぜて話を拡大し、読み応えもあり?少々役に立つ記事やエッセイを更新し続けている。

                    ★

さて、記事構成だが、ざっと順番に書き出してみよう。

① 話(テーマ)の結論

② ① の理由

③ 自身の経験や体験 A

④ ③ の理由

⑤ 自身の経験や体験(失敗談とかあればなおさらいい・笑)B

⑥ ⑤ の理由

⑦ 自身の経験や体験(経験や体験からの心情や感想がベター)C

⑧ ⑦ の理由

⑨ 記事の伝えたかったことのとりまとめ(結論としての提案や改善など前向きな話にする)

こんな感じでだいたい2000文字前後でまとめてきた。

                     ★

経験や体験をふんだんに取り入れて書くのがわたし流。

ちょっと、このテンプレ通りに一文(話はほぼ展開させない)を書いてみるね。

タイトル「エッセイは朝、書くのが一番いい

① (結論)エッセイや小説などは毎日書くのがいい。しかも朝が一番いい。

② (結論の理由)朝は、使える時間が限られているので、メリハリの効いた文章が書ける。

③ (自身の経験や体験 A)ブログにエッセイを書き始めてもう7年。しかもこの2年は、毎日更新するために早朝に書くようにしてきた。

④  (自身の経験や体験 A の理由)朝、出勤前のわずかな時間にザっと、テーマを決めて書いてしまうのだ。もちろん、構成や推敲はせず。それでもザっと書いてあるという安心感がなんとも気持ちがいい。

⑤ (自身の経験や体験 B) ブログ更新が身についてきた2年目あたりで、そろそろネタ(経験や体験)が底を尽きかけたのだ。どーも、同じような内容が増えて来ちゃった。心の中で「少しぐらい休んでもいいだろう・・・」とか考えるようになるり、精神の自堕落に陥っちゃったのだ。

⑥ (自身の経験や体験 B の理由)だって、週3日も書いてたら、誰だってネタ切れするんじゃない?という一般常識(笑)にとらわれてしまっていた。何とかネタ切れを起こさない解決策を練らなくては!

⑦ (自身の経験や体験 C) そこで、思いついたのが「ネタを多角的に見る=因数分解する」という方法だ。

これなら、たった一つのテーマでも可能な限り、視点をずらしつつネタを増やせるし、しっかりとしたテーマが背景にあるから、文章のキレも悪くなりにくい!

わたしの言う因数分解は、数学的見地からはズレているのだろうけど、一般に因数分解はできるだけ(各因数がそれ以上因数分解できないまで)分解することが普通であるのだそうだ。(資料先→https://kotobank.jp/word/ コトバンク

だからこれでいいのだ(笑)

⑧(自身の経験や体験 C の理由)そうそう、芥川賞作家の綿矢りささんが以前話されていた「文章をいつかくのか?」では、やっぱり早朝(5時起床)にがが~~~っと、書き始めてしまうのだと。

お子さんが小さいので、早朝しか集中できない!という切実な話だった。

この話を聞いてから、わたしも!っと、完全に綿矢りささんのように、早朝ダッシュでザザっと書き始めるようになったってわけ。お手本が素晴らしいでしょ?!(笑)

⑨ (結論・この話で読者さんに伝えたかったことは?)ブログ更新もエッセイや小説も、朝書いてしまおう!いや、朝書くべきかも。

それは、朝はダラダラできないから限られた時間で集中できるようになる。

そして、一晩眠ったあとの脳細胞は朝、最高の働きをするのだそうだ。

最高の脳を使うには朝が一番いいのだ。

文章を書く人に強くすすめたい。

「朝、一番に書こう!朝は脳の働きが最高だから」とね。

                  ★

どう?こんなスタイルで毎日書いているの。

話を膨らませたり、端折ったりするにも、こういった構成があれば安心なもの。

さあ、わたしもまだまだ書くわよ(笑)