『1945年8月6日あさ8時15分、わたしは~原爆を体験した子どもたち』言葉/原爆を体験した子どもたち・絵/いわさきちひろ(童心社)【風景・平和】

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『1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは~原爆を体験した子どもたち』言葉/原爆を体験した子どもたち・絵/いわさきちひろ (童心社)

1945年8月6日、あさ8時15分。

当時の子どもたちが書き残した言葉を、いまを生きるすべての人へ。


日本で初めて戦争をテーマに、青少年の子どもたちに向けてつくられた絵本『わたしがちいさかったときに』(童心社)の刊行から58年。

この本に収録された、原爆を体験した子どもたちの言葉をいまにつないでくれるのは、児童文学作家のあまんきみこ、詩人のアーサー・ビナード、当時の執筆者の小川俊子が語る言葉と、いわさきちひろが描いた絵。

とどまることのない時間の流れのなかで、時をこえて当時の子どもたちと出会い、わたしたちは今日を、明日をどう生きるのかをともに考える絵本である。(amazonレビュー引用)

                ★★★

広島県出身の夫と、広島に本籍を持つわたしたちにとって、8月6日は特別な日。

偶然にも原爆投下を免れた義父の体験は、幼い頃から聞いてきたという、夫の話をまとめて以前のブログに書いてきた。

戦後80年。

途方もなく遠い記憶ではなく、現代まで様々な形で語り継がれてきた「負の遺産」だ。

この日は、戦争で亡くなった多くの命を悼みつつ、今が幸せであることに感謝をする。

こんな敬謙な思いをさらに強くしている。

この1年の間には、本籍を広島に持つ息子夫婦を伴い、家族で広島帰省を果たしたい。

今、一番「訪れたい旅先」であることに間違いはない。

家族が増えた喜びを墓前に報告すること、そして「HIROSHIMA」で平和を皆で語りあう。

8月6日は「恒久平和」を願い語る日。

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“『1945年8月6日あさ8時15分、わたしは~原爆を体験した子どもたち』言葉/原爆を体験した子どもたち・絵/いわさきちひろ(童心社)【風景・平和】” への2件の返信

  1. 「原爆忌 八十年後の 人影址」 清流子
    私は広島生まれ広島郊外育ちだが、広島特有の同和教育で衝撃の被爆物を目の当たりにして、子供ながらも悪夢に苦しみ、用事で市内へ赴く際も常にこの意識から離れられなかった。路面電車乗車中も街角を歩く際も、ここで皆苦しみながら逝ったかと思うといたたまれなかったのだ。

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