心の洗濯をしに行く場所ではなかった話【暮らし・旅の醍醐味は人のもてなし】

【ブログ新規追加831回】

5年ほど前、わたし達夫婦共通の知人が持つ箱根・宮城野の別荘(東急グループ)へ数回行く機会があった。

それは半年で3回ぐらいだった。

当時、持ち主の知人は海外に住んでいて、年数回帰国していた。

帰国時に別荘には訪れるのだけど、庭の植え込みや裏手の草ぼうぼうの箇所のメンテができなくって・・・と、嘆いていたんだ。

一度、知人の知り合いの演奏家たちと、その別荘で音楽合宿を2泊3日で開催した。

みんなで食卓を囲み、最後は小さな演奏会つきの別荘ステイとなった。

その時、知人が演奏家の女性と、わたし達夫婦に別荘の鍵置き場と、管理棟への連絡、そのほか、温泉の栓のメンテ、イノシシ対策、ストープの利用法など事細かに教え始めた。

その理由は「3か月に一回でもここにきて、窓を開けて、草狩りをしてほしい」と。

それって、普通は管理会社にお願いする部分じゃない?

わたしは、とっさにそう感じた。

知人の感覚はかなり違っていて、「信頼する人に任せておきたいんだよ」と言われていたのが印象的だった。

そして、年末に雪の降る中、息子をともない「家族で別荘ライフを満喫!」と言う名の「メンテ旅」に行ったのだ。

その趣旨は、~温泉付き別荘に無料で泊まれる!そのかわりに家と周辺の「メンテ」をやるのが条件。何日滞在しても構わない~こんな感じ(笑)

それをやっていた時、ふっと、わたしは心に虚無感を覚えた。

「もてなす人のいない別荘の管理なんて、ただの使用人みたい・・・」と。

それで気が付いた、知人の持つ金銭感覚とわたし達持つ金銭感覚の決定的な違いをね。

一瞬で感じた気持ちは、「掃除やメンテばかりで、まるで使用人みたい。ちゃんとお金を払う意味っていうのは自尊心を保つのには絶対必要だし、やっぱりホテルに泊まるほが断然気分がいいもの」だと。

「もう、メンテに行くのはよそう」と決めた。

いくらただで利用できても、もてなす人のいない別荘なんて、わたし達には無用だから。

そこにいる人に会いに行くのが、一番大事なんだ。

きっと、知人はこんな風に思って任せたんだろう。

その音楽家やわたし達夫婦は「与えられる喜び」を感じてもらえそうな人たちだと。

これって、どこかおかしいんじゃない?すごい上から目線でさ。

わたしの考えでは「与えられた人はもらった時はすごく喜ぶけれど、その喜びっていうのは早く消えるもの」だと思うの。

たぶん、メンテをしに来てほしいがための別荘ライフ提案だとすると、本来はそこに「契約」なるものが存在しなければいけない。

人の労力を簡単に操作してしまう、知人の感覚にはとてもついて行けなかったという話。

本当に与えた側になりたいのなら、メンテなどの管理はプロに任せて、「ただただのんびりしに行ってほしい・・・」というのが見合う心理。

人が歳を取って一番楽しいのは「孫にこづかいをあげる」ことらしい。

「ただで利用できる」というのは「孫へのおこづかい」とはまったく違うものなの。

だから、たった1回だけメンテして差し上げただけで、もう近づきたくはなかったお付き合い。

人の感覚と距離の難しさを知った経験になった。

知人はきっと、喜んでくれるだろうと思って提案したのだったが、内心は軽い気持ちで人を使うことに馴れてしまっていたのかもしれない。

人と人を遠ざける、「馴れ」って、とてもこわいね(笑)

“心の洗濯をしに行く場所ではなかった話【暮らし・旅の醍醐味は人のもてなし】” への2件の返信

  1. 「月光に 仮面被って 行く山路」 清流子
    何かを起すには秋はうってつけ。柔らかな光を背に助走して、宵待の満ち足りないところを埋めていく、誰もが未完成にそよぐ仮面の主役。山道を山の背の月光に向かって前のめりに進んでいくのだ。

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