【ブログ新規追加1446回】

◎三等三角点のある山頂から、小田原市街を見下ろす見事な景色。
年末最後の山は、箱根ジオパークの延長上に坐する「石垣山・一夜城」となった。
標高は250mに満たない低山だが、誰でも知ってる「豊臣秀吉の世間をあっ!と言わせる一夜城」に一度は登ってみたかった。
12月23日は大晴天で小田原では風も吹かず、穏やかな登山日和となった。
石垣山城は「笠懸山」あるいは「石垣山」と呼ばれる箱根から派生する山上にある。


◎ 登山道にはいたるところに石垣跡が残っていて圧倒された。(南曲輪の石垣)

◎ 歴史好きの夫は、先をスイスイと登って行く。

◎ 曲輪を抜けて二の丸に到着。(駐車場から5分程度)

◎ 二の丸庭園ではまだ、紅葉が見られた。


◎ 本城曲輪の石垣

◎ 三等三角点。山頂に到着。(駐車場から10分程度)
「石垣山城」は、関白豊臣秀吉が天正18年(1590年)の小田原合戦の際に築いた陣城で、徳川家康の家臣 松平家忠の記した家忠日記(6月22日付)には「石かけの御城」とあることから「石垣山城」と呼ばれている。

◎ 下山中のわたし。(見た目より急な木道なので、慎重に降りている)
せっかくなので「小田原合戦と一夜城伝説」をザっとまとめてみた。
小田原合戦(1590年)で豊臣秀吉が築いた「石垣山一夜城」は、一夜で城が完成したかのように見せた伝説が有名。
実際には約80日間(のべ4万人動員)かけて造られた本格的な総石垣の城だった。
秀吉は、林に白紙の壁と骨組みを見せかけ、周囲の木を一斉伐採することで、まるで一夜で城が出現したかのように演出し、北条氏の士気を低下させたことで、降伏を早める心理的効果を狙った。
一夜城伝説の真意はともかく、人員を大量動員した築城を可能とする秀吉の権力と財力が、小田原・北条氏が降伏する決定打となったことは間違いない。
しかし、一晩で築城だなんて、奇想天外な発想!さぞかし、世間をあっと言わせたんだろうなあ・・・凄すぎよね(笑)
今回は歴史のある山だったから、夫はスイスイと登っていったのね。
普段は、「もういいよ・・・」とか「山頂までどのくらいかかる?」のオンパレードなのに。
なるほど、今後も「歴史的な」山を選んで行けば、一緒に登山を楽しめる!と、新境地開拓できた今回の山行。
★★★
そうそう、一夜城といえば、もうひとつ名所があって、「ヨロイヅカ・一夜城ファーム」も訪ねた。
「石垣山・一夜城」駐車場のたもとにある、グランパティシエの鎧塚俊彦氏の店舗がある。美しいケーキ(アントルメ)や焼きたてのパン、アイスなどが頂けtる。(ランチは予約で)

◎ 朝8時だったので開いてはいない。

◎ 店内の様子(画像拝借)

◎ 花畑を散策。

◎ 相模湾が光ってる!

◎ わたしも1枚撮ってもらう。
というわけで、箱根旅の前に小田原を攻めてきた!という旅のはじまり。
くしくも、2026年のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟」!
豊臣秀長(小一郎)と、豊臣秀吉(藤吉郎)の兄弟が、天下統一を目指す“下剋上サクセスストーリー”を、秀長の視点から描く。
面白そう!楽しみにしている。
二の丸で撮ったもみじの紅葉を〆の一枚に。

それでは、皆さま良いお年をお迎えください。
※ 新年は1月3日よりブログアップの予定。
★★★
【番外編】今回の箱根・小田原旅では新しくできていて、まだ行っていなかったスポットや道路ができていたのでザっと書き込んでおく。
★「南足柄」と「箱根」を45分で結ぶ約10.9kmの県道~ はこね金太郎ライン(2021年4月開通)
金時山への登山もギリギリまで迷ったが、やっぱりというか、箱根の寒さで登山道がバリバリに凍っていて装備なしだったので断念。冬山登山装備がいるかも?!


完全に凍っていた登山道。

金時山(標高1231m)を眺めて終わる。

金時山への登山道がある無料P(トイレ無)
★ 駅前に古い町屋が出現!ミナカ小田原(2020年開業)

小田原駅

歩く「二宮金次郎像」

番外編はここまで。
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『SunTAMA Style』2023年12月29日記事
