やった!1076ページの超大作「エヴェレスト・神々の山嶺」を読み終えて/読後レビュー【文化・山岳小説】

【ブログ新規追加522回】

10月12日、図書館でリクエストしておいた山岳小説の大ベストセラー「エヴェレスト・神々の山嶺」を借りたんだ。

その時、1000ページを超えた文庫の分厚さにノックアウト。それだけで1本ブログを書いちゃった。その記事も再度載せておこう。↓

まだ2週間とちょっとしか経過していないのに、エヴェレストの山々に抱かれたかのような本格山岳小説を読破するという「濃い時間」を得られた。まさに戦う読書だった。

1924年、マロリーとアーヴィンがエヴェレスト頂上付近で行方不明となり、登頂を果たしたのかどうか?が謎のままだった、この登山事件を題材に著者 夢枕獏氏は「真っ向勝負」を挑んだ。

徹底した現地取材と構想になんと20年。執筆に3年を費やした超大作だ。

☆彡

• 読後レビュー

迫力満点の描写、読むことがすでに主人公と一緒にエヴェレストを登攀するかのような錯覚を起こさせる名書である。

名クライマーのカメラを偶然ネパールで手に入れたことから始まるサスペンス。そして2人の主人公を支える女性との恋愛劇。

圧巻は、8000m越えからの「登山描写」だ。ただ、本作品を読んでいるだけなのにまるで自分が「氷点下低酸素」の過酷な状況下に置かれてるような錯覚を起こし、感情移入も甚だしいほどだった。

読み終えて、まだ、興奮の残骸が身体にくすぶっている。

この作品のテーマは「人はなぜ山に登るのか?」だ。

なぜ山に登るのか?は、なぜ人は生きるのか?という問いと同意だ。

圧倒的な頂きに立ったからと言って、このテーマの答えは出ない。

山登りも人生も本質は死に際にしかわかり得ないものだろう。

人が亡くなる時、それまでどうしていたのか?ではなく、何かの道半ばだったのかどうか?そういった生き様、道程が大事なんじゃないか?と、著者から突き付けられたと感じた結末だった。

主人公、羽生丈二は天涯孤独の子ども時代を送り、常に人から蔑まれて生きてきた。卑屈極まりない青春のある日、「山を登る」というアクションと出会う。

そこから、彼の持つ強い孤独感が天才と言われるほど独創的なクライミング技術を生み出す。物語のそこかしこに彼のクライミングの描写があるが、どこを取っても鳥肌ものだった。

常に、二人の男(天才クライマー羽生とカメラマン深町)の「ヒリヒリするような」感情の描写に読者は一発でやられてしまうだろう。

そして、山が好きだったら、荘厳で美しい山嶺、ネパールに飛んで行きたい焦燥にかられる。

熱い思いを抱いた男たちの気持ちを胸に、共に挑みたくなるのだ。

羽生が残した手記の最後に書かれていたのは

~強く、こころから思え~という言葉だった。

本当に「追い続けたい何か」があるのなら、心から思い込んで生きろ!という激励の言葉だろう。

圧倒的な熱量が1076ページに詰め込まれている。

著者は「書き残したことはない」と、ペンを置いた。