仕事のスタイル変革は自分でできるところからやる!~別にワーケーション制度がなくたってね♪【仕事・個人で取り組むワークスタイル変革】

【ブログ新規追加411回】

ワーケーションといっても、勤め先にワーケーション制度が導入されていなければ、いざ、やりたい!と、願ってみても「絵に描いた餅」よね。

⦿ワーケーションとは
「ワーク」(労働)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語(かばん語)で、観光地やリゾート地でテレワーク(リモートワーク)を活用し、働きながら休暇をとる過ごし方。(基本的には在宅勤務はこれに属さない)資料先→https://ja.wikipedia.org/wiki/(Wikipedia)

巷の雑誌などでは、「今年のワーケーション計画」とか「理想のワーケーション」と、題して働く場所改革をしよう!と、政府のワーケーション推進の後押し=煽り(笑)をトップ企画に組んでいるものが目立つ。

こうしたビジネスパーソンをターゲットにするマガジンは「ワーケーション」「キャンプ」「効率いいガジェット」などの仕事と余暇に必要不可欠な話題と楽しい付録付きで今でも好調に売り上げを伸ばしている。

そりゃ、そうよね。もうすぐ梅雨明けだし、東京オリンピックも始まるし、その東京都は明日から4度目の緊急事態宣言発出されるも、脳内はバカンスムードの人も多いだろう。わたしもその中のひとり。

テレワークに勤しみながら、手元の夏休みを楽しむ企画に余念がないのも当然の摂理だ。

一方で、こんな統計結果があった。

雑誌、DIME誌によると、コロナ禍でテレワークが成功した企業は全体のたった12%。88%もの企業が成功とは言いがたいという結果だった。なぜか?理由としては、ノートPCとWIFIルータさえ渡せば「仕事」が上手く進むといういわば妄想にとりつかれた結果だと推測されると。

また、昨日興味深い新聞記事を発見した。

企業のテレワーク推進の度合いは芳しくないようだが、なんと会社員が子どもたちには憧れの働き方に写っているらしい?!統計の結果だった。

それは、某新聞記事「現在中学1年生の将来職業アンケート結果」(クラレ)では、男子生徒の会社員希望が4位と、依然会社員に憧れを持つ子どもが多いのに驚き注目した。(ちなみに、女子では看護師が依然1位だった。会社員はなし)

なぜ会社員がこれほどまでに人気なのか?

それは、自分の父親や母親のテレワークを真近で体験したからだそうだ。

1、通勤地獄・残業なし

2、面倒なつき合いなし

3、PCやガジェットを駆使する姿がカッコいい

4、適当にサボれる(らしい)→(実際は人材派遣の調査によると(600名を対象に無記名でアンケートを採った)在宅勤務中に14%がサボっているのが判明した。就業時間中になんと7時間もゲーム「ソリティア」をやっていたとか、ネットショッピングに4時間を費やしていたなど・・・。)

まったく、個人事業主や納期の厳しいフリーランスには考えられない、あってはならない!と思った次第よ。

サボりグセのある人はきっと今までもそうやってサボってきたんだろう。テレワークだからじゃないように感じるが。

それと、仕事の内容の問題が大きい。さほど重要性もない仕事では、悠々とサボれるのかも。

しかし、1~4に取り上げた自由な就業形態が組めるテレワークはまさに働き方の夢だったのだろう。

将来の働き方に敏感なコロナ禍の子どもたちには、夢や希望がたっぷり詰まったワーケーション&テレワーク&在宅勤務なのだ(笑)

で、そういうわたしも、今週は2日間の在宅勤務だった。1日は「TVar 番組視聴」という嬉しい仕事(笑)新刊の発売前に著者の背景を知るのが目的だ。

2日めは、研修及び会議で午後いっぱいを使う。サボれやしない。かなりのヘトヘト感だった。

しかし、病後のわたしでもできる仕事があって本当に良かったし感謝以外の何ものでもなかった。

体の調子を図りながらできる在宅勤務ならいいよね。ちなみにわたしの場合は基本が営業職。外で商談が現場だ。テレワークでは何も進まない。

それでも月2日程度は家での仕事になったこの一年。

わたしなりのワーケーションを実施してきたので簡単に披露してみる。

               ☆彡

• 我が家でも充分ワーケーション気分になれる(トカイナカの効用)

キーワードは「トカイナカ」都会と田舎の融合という意味。我が家は中心部から少し離れているが、充分過ぎる自然がある場所に住んでいる。

朝、鳥たちのさえずりで目覚める。周りもほぼ森なのでとても靜か。

⦿ 在宅勤務のリアルな一日

5時 / 起床(通勤でも在宅でも起きるのは同じ。朝食まで仕事のとりまとめや資料の読み込み、ブログの下書きなど一気にやっておく)

7時 / 朝食 (ザっと家事をする。ついでに事務処理も)

※ 8時過ぎから9時前まで在宅勤務の日は「疑似通勤=散歩」をする。

この疑似通勤という言葉だが、最近知った(企業メディカル医の記事から)

写真はいつも散歩している場所↓

「疑似通勤」とは

~仕事に出ると、意外なほど歩いている。しかも、構えず自然な形で外に出てしまえているハズだ。

仕事先へ着いたら「オン」の状態になる。そして帰宅したら「オフ」という切り替え(緊張と弛緩)のバランスが取れる。

これが、自律神経の調整となるのだそうだ。

在宅勤務だと、脳内だけが「オン」の状態でほぼ歩かない。運動不足になっているのは明らか。これではメンタルにも良くはないだろう。

で、おススメするのが、仕事を始める前の軽い散歩なのだそう。家を出る→家に帰るという一連の「動作」があることで運動不足の解消と脳内の満足度を上げるのが目的だ。心のエネルギーチャージだともいわれていた~

午前9時から午後5時 / やれる仕事(時間があれば読書やブログ執筆)と会議への参加などをこなし5時を迎えたら、家事への切り替えと称する缶ビールを一本自分にご褒美する。

これが、わたしのリアルな在宅勤務の一日だ。

                ☆彡  

せっかくの在宅勤務だからこそ、コントロールできる自分の周辺から気分よく自分を楽しませながら仕事をしたいものだ。

テレワーク制度があって活用できるとしても、無理に景色のいい所を目指して出かける必要はないな。あくまでもコロナ禍での仕事を最適化させるためだから。

わたしは今の環境で充分テレワーク気分を満喫できている。

心の充電をしつつ、仕事もするとかって最高🎶



メタ認知を学ぶ~いかに客観的になれるか?~主観的すぎる日常を見直す(新刊紹介有り♪)【自己啓発・メタ認知】

【ブログ新規追加410回】

ああ~〇〇しなきゃ・・・!あれも!これも!と詰め込むのが得意だ。

しかし、詰め込んだ先が義務的なモノゴトだったりすれば、義務に駆られた行動は失敗しやすい。

今、ほぼ治ったから言えるのだけど、病気にかかりやすい時はたいがい、何等かの目的に向かって驀進している最中だ。

誰も、わたしなぞの驀進に「待った!」をかけられない。

それはそうだろう。本人はある意味必死でそのモノゴトに向かっているのだから。

激励こそすれ、とても「止め!」なんて言えないだろう。

この止め!と言える賢人が「超客観的」にモノゴトを推しはかる資質の持ち主だと言える。

そう、「メタ認知」能力のことだ。

ここで、簡単にメタ認知の説明をしよう。

• メタ認知とは

メタ認知とは、自分が認知していることを客観的に把握し、制御することだ。

要するに「認知していることをさらに認知する」ということ。

• メタ認知提唱者の紹介

ジョン・H・フラベルがメタ認知の基本となる概念「メタ記憶」を定義したのは1976年のこと。

その後、A・L・ブラウンによって「理解への理解」である「メタ理解」や「注意を注意する」「メタ注意」など、「メタ」の概念についての研究が盛んに行われ深まって行ったのだ。

• メタ認知の定義をごく簡単に説明

メタ認知の定義は「認知していることを認知する」である。つまり、「人が認知するに至ったきっかけから結果に至るまでのすべての事がらを、自分自身で把握する」ということにある。

たとえば、自分が何かをしている。その姿を少し離れたもう一人の自分が冷静に見ている・・・こんな感じを経験したことのある人もすくなからずいるようだ。

こうした、「自分が能動的に行っている事がらについて、もう一人の自分が客観的な立場から、その事がらを調整したり、調和したりする能力を「メタ認知」と定義しているのである。

• メタ認知の機縁はソクラテスから

メタ認知概念の起源をさかのぼると、古代ギリシャの哲学者ソクラテスに辿りつく。

無知の知」・・・要約すると、「彼らは何も知らないのに、知っていると思い込んでいる。私(ソクラテス)は何も知らないということを知っている」と。

まさに「自分が認知している内容を認知している」ソクラテスはメタ認知が進んでいたからこそ、生まれた「無知の知」という名言だそうだ。

この考え方がメタ認知の機縁となっているんだと改めて知った。

参考資料→【メタって何?】https://www.kaonavi.jp/dictionary/metacognition/

冒頭の、〇〇しなきゃ!という義務感むちむちじゃあ、とうてい客観的にはなれない。

今朝、まだ病後ゆえ週末の買い出しの時間を遅くして、夫とともにゆっくりと出かけた。

梅雨の晴れ間で、溜まった洗濯や湿ったマットなんかを先にサッサと干したい!のはやまやまだけど、洗濯機を回す時間に買い物をしよう・・・と、いつもより気持ちゆったりめに構えて出かけた。

一つ二つは捨ててもいいくらいが丁度いいのだとわずかに思えた。

これまでは、ぜ~んぶやってから次へ行く、強行スタイルだった。

たぶん、詰め込まずにこうした緩急のつけ方を普段から取り入れていれば、先日来の病気にもかかりにくかったのかもしれない。

反省・反省。

最後に

メタ認知を科学者の視点からギュっと取り入れて、「映画と脚本のしくみ」を解き明かす新刊(2021年/1月30日発行)を紹介しよう。

脚本の科学 認知と知覚のプロセスから理解する映画と脚本のしくみ』ポール・ジョゼフ・ガリーノ+コニー・シアーズ著(フィルムアート社)

• 書籍概要(今朝、読んだばかりのほやほやレビュー)

映画を見る時、頭の中では何が起こっているのか?

一本の映画にのめり込むために観客には何が必要か?

認知神経心理学をフル活用した、一歩先に進むための脚本術!

☆彡

目や耳などの現実の情報を知覚する器官の機能から、感情や意思決定と複雑に結びつく脳神経にいたる、人間の知覚認識のプロセスを順に詳細を明らかにして行く内容だ。

これまでにない新しいアプローチの脚本術。

映画「スター・ウォーズ」を例に取り上げながら、「映画を見ている時に心と脳には何が起きているのか?」を科学的に説明する。

必見なのは、「物語を語る手法=ストーリーテリング」の原則とその戦略を明かしているところだ。

映画脚本だけでなく、小説、漫画、ゲームなどあらゆる物語に関わる分野においても多大なヒントとなるだろう。

本書〆のことば

~人間の知覚の限界と脳の認知プロセスの無限の可能性を理解すれば、あなたの脚本は「完璧」になる!~

                 ☆彡

さて、土曜日の夕方、少し病後の疲れが残るところで、「エイ!」っと、ブログは書いてみた。

わたし的メタ認知を働かせてみると、このブログは義務でやってはいない。

なんでもいいから書いてアップするなんてことは絶対にしない。

それゆえ病気の時は休みを取った。

ちょっとだけ客観的になれた(笑)成長できた話。

皆様もど~か、しっかり休んで良い週末をお過ごしください。


『1Q84 BOOK1 4月-6月』村上春樹・著(新潮社)【選書・文化】

【ブログ新規追加409回】

あなたの本棚には、「村上春樹」の本ってある?

あるとすれば、「ノルウェイの森 上・下」とか?

そうそう、あの一世を風靡した「1Q84 1/2/3」もあるんじゃない?

でも、それって読んだ?

わたしの、周りの読書家も、そうでない本好きでも誰も読んでないのよね。

わたしの友だちが言ってたの。

「ああ、あのタイプは本棚のオブジェよ」と。

いうなれば飾り。

現代では、むつかしい世界の文学全集とか、ほぼ見かけなくなった。

それだったら、当代きってのノーベル文学賞にこの数年、毎年ノミネートされ続ける希代の作家「村上春樹」のベストセラーが、部屋の本棚に並んでいるというのが、現代のアカデミズムなんじゃあないんだろうか?

たとえ、読んでなくても「持ってる」ことに意味があるのかも(笑)

              ★

1Q84」→推定部数(シリーズ3作)300万冊を売り切った。要するに大ヒットベストセラーとなった。

こぼれ話だが、2006年に「フランツ・カフカ賞」を受賞して以来、毎年「ノーベル文学賞」を受賞するかもしれない、という話題がある。

その中、この「1Q84」は2009年5月に発売された。当時は発売前の事前注文も空前の冊数を記録したし、どこの本屋でもピラミッドやトーテムポールを狙ったかのようなオブジェを「1Q84」商品で作り、世間をあっと言わせる購買戦略を取った書籍である。

そうそう、売り方もオブジェさながらだった。

書店営業を始めて1年がたった頃だった。

で、わたしもその大ベストセラーを購入しようか?と、ずいぶん迷ったが、なぜかスル―してしまった。

その理由が、「ノルウェイの森」を読んで、気分が悪くなったトラウマからだった。

以外なほど、村上氏の作品には、男女の営みが多く描かれている。その辺だけでも受け付けにくかったのもある。

でも、書かれている場所が新宿だったり、国分寺だったり、知っているというのは馴染みが良く、JAZZの話、バーや喫茶店での過ごし方やJBLのスピーカーから醸し出されるJAZZの音色の話はわたしをときめかせたりもした。

やっぱり、トラウマになった決定打は、この作品全体の持つ「暗さ」だ。「自殺」をテーマにしてるのもねえ。

わざわざ自殺するために読むような本だったとは。(あくまでも個人的見解ゆえ)

でも、「ノルウェイの森 上・下」で村上春樹という作家を認知した人は多いだろう。

で、問題なく大ベストセラーとなり、映画化された。

わたしの気分が悪くなろーが、イヤだろーがそんなのカンケ―ネ~だった(笑)

                ★

先日なぜだか、夫がブックオフオンラインでこの大長編作「1Q84」全3巻を買い求めた。(大人買い・笑)

理由は、内容だったようだ。
(リーマンショック後の金融と経済資本主義の行方などから)

わたしは、とっさに「いよいよ、読む時が来た!」と、勝手に夏休みの読書スケジュールに入れようと考えた。

しかし、今回の皮膚細菌感染症の悪化から股関節炎に罹り、丸三日なにもできず、家に籠る日ができたことから「1Q84 1」を読んだのだ。

希代の作家の作品を13年ぶりにひも解いた。

本の帯には「Q なにが起こっているのだろう。」という一文が書かれている。

まるで、わけのわからない細菌に感染したわたしの心境みたいだと思った(笑)

そして、ダブル主人公の青豆(29歳女性)と天吾 (29歳男性)という二人の数奇な運命に翻弄されつつも、スリル満点のサスペンス仕立ての文章がなにより素晴らしい。

エンターテインメントとして、最高に楽しい読書ができた3日間だった。

              ★

簡単レビュー

主人公は2人だ。

青豆(あおまめ)女性で29歳、仕事はスポーツクラブのインストラクターだ。もう一人の主人公である天吾(てんご)男性も29歳。予備校の数学講師をしながら小説を書いている。

これで、何をいわんとするか?といえば、二人が同じ町の同じ小学校に通っていた過去がある。

第1巻の途中にその場面が出てくる。

父子家庭だった天吾。NHK視聴料を集金する父親。その父親に日曜日は集金で一日中連れまわされる。そんな過酷な生活が小学5年生まで続いた。

意外なほど天吾は体が大きく、浅黒く勉強もできたことから、クラスでは一目置かれる状況。しかし、NHKの集金で父親と町中を歩いていた時、クラスメイトにその姿を見られてから友だちはいなくなった。

一方の青豆は「〇〇〇の証人」という新興宗教の信者だった母親に連れまわされ、週末は電車で様々な街へ布教活動に出ていた。それも5年生まで。クラスでは、親しい友だちもいなく、いつも一人でいた。

ある日、理科の実験中に同じテーブルの男子に「こいつんち〇〇〇の証人でさ、手術も輸血できないんだってよ!」と、みんなの前で青豆を非難し始めた。その騒ぎから青豆を救ったのが天吾だった。

同じ境遇を感じたのだろう。

そんな天吾と青豆は孤独な10歳の少年少女として、誰もいない放課後の教室で黙って手を握り見つめ合う。

10歳になった時、天吾は父親に「もう集金には行かない」と宣言した。時同じくして青豆も母親に「もう布教活動に行かない」と宣言し、家を出た。それから行く当てのない青豆の壮絶な人生が始まった。

しかし、そのまま二人はそれぞれの事情で別れ別れになってしまう。相思いながら互いの消息を知ることなく月日は流れていった。

青豆は、いつかどこかで天吾とすれ違う日(出会う日)を願って生きてきた。

1984年4月、2人は個別にそれまでの世界と微妙に異なる「1Q84年」の世界に没入していく。

ある老婦人から依頼を受け、人を始末する殺人鬼となっていた青豆。自分で開発した武器を使って29歳ですでに3人をあっちの世界へ葬った。

小説家になるため、ある編集者から依頼を受け「新人文学賞」ノミネート作品の総書き直しを仕事とする天吾。

青豆は某カルト教団(〇〇〇真理教)のトップリーダーの暗殺を依頼され企てる。

一方の天吾は書き直した小説が見事新人賞を獲るも詐欺行為だと心底思い悩む。

そこから新人賞元作者と元作者の育ての親から聞かされる某カルト教団の胡散臭いというか血なまぐさい活動の全貌を知るのだ。

書き直した新人賞作品に書かれているのは、某カルト教団の真実なのか?

青豆と天吾の距離が少しづつ近づく超大作サスペンス。

ここまでが第1巻。

次も読むか?

当然でしょ!



                

突然、起き上がれなくなった~自分の体と向き合う日々~皮膚細菌感染症は終わらなかった【健康・股関節炎症】

【ブログ新規追加408回】

3日の間ブログやSNSへの投稿を休止して、身も心もリフレッシュした。

しかし、現実はタイトルの通り、突然、足の異変から、歩けなくなり、一度眠ると、朝起き上がれなくなった。

左足の付け根が飛び上がるほど痛くて、寝返りも打てず。夫に助けてもらうも、それすら怖くて思い切って立ち上がれない。

                ★    

と、こんな風に突然、嵐に見舞われた先週末。

と~ぜん、いつもの楽観的観測で「すぐに治るよね」「そうそう、ギックリ腰と似てるし」とかうそぶいて見せていた。

わたしの場合だけじゃなさそうだが、週末って具合が悪くなりやすいのよね。

だから、「ちょっと休んで風邪薬でも飲んでおけば治っちゃう!」というと、

「いそいで、病院へ行け!痛みで頭がおかしくなったのかよ?!」と夫から言われる始末。

そろそろ休め!っという体からのSOSだろう。それを無視してどんどん、週末の用事を詰め込むのが得意中の得意だ。

平日は仕事ガンガン。週末は仕事以外をガンガン。これじゃあ、体は意志とは別の方向に勝手に動いてスイッチを切ろうとするよね。

頭じゃ、わかっていても、「自分は大丈夫だと思い込みたい病」が潜むのがわたし。

今回、事前にちょっと重めな「皮膚細菌感染症」に罹っていたため、もう先週はすでに体調不良だったにも関わらず、薬で症状が急速に緩和したので、月初の仕事に「エイ!」と出た。

そして、7月2日 金曜日、昭島のショッピングモールですたすたと軽快に歩いていた時、左足の付け根に微妙な違和感が一瞬走った。

でも、そんなのすぐに忘れて客先へ行き、いつも通りの商談。

しかし、夜、PCで事務処理をしていた時、激しい痛みと怠さが左足の付け根に勃発した。

すぐに、布団に入ろうとするも、膝の折り方が分からなくなって半狂乱。

どっちにどうやって足を向けて膝から下を畳むのかまったくわからない。そうして約30分ほど膝を少しずつ折り曲げながら体を布団に横たえた。もう汗びっしょり。

データで見てみよう。頭は4〜5kg、腕も4〜5kg、は12〜13kgもあるそうだ。(もちろん、総体重からの重量であるが)

脚はすごく重たいのね。以前、脳出血で右腕を一旦麻痺させてしまった時、自分の腕が重くて重くて持ち上がらない!という経験を持つわたし。

いかに、人の神経が隅々まで体を動かす作用をしているのかがわかる。

股関節の神経を何かがダメにしたんじゃなかろうか!?不安が募る。

で、土曜日の朝、タイトルの通り、自分で自分の体を起こせなくなっていた。

しかし一度、痛みをこらえて起き上がってしまえば、なんとなく動けるじゃん!と、キラキラした希望を見出し、怖いものなしでへーきな顔して車に乗り、朝の買い出しをしに雨の中、市場へ行っちゃった。

翌日、やはり炎症なのだろう。熱が出始めたのでさすがのわたしも万事休す。

月曜日には、総合病院で検査をする予定を組んだのだ。

「もう、当分仕事には出られないだろうな」

「骨に何かあったら入院か」

「痛み止めだけ出してくれ!あとは自分で治すからあ・・・」と、

熱と痛みで泣きたくなった日曜日だった。

              ★

やはり検査を受ける間考えていたのだが、事前に罹ってしまった皮膚細菌感染症が一番怪しいと思った。

激痛を伴う、寝て撮るレントゲンでも、きれ~な股関節が様々な方向から写されていた。

要するに骨じゃないということだ。どこにも折れたとかひびがあるわけじゃない。

レントゲン技師のおねえーさんは、痛みに耐えられずにギャーギャー騒ぐわたしにやっさしく「いたいよねえ」「いたいよねえ」と囁きながら何枚も撮る。撮る前は丁寧に介助下さったおねえさん。

終わったら、「あのう、わたし、ひとりじゃ起きられないんですが」というと、すぐに廊下で待つ夫を呼び寄せて、「どうぞ」と。あっさり。

しかし、レントゲンではマンモグラフィーも天下一品の痛さだが、股関節も同じくだった。

もう二度とやりたくないものの筆頭に上がったわけ。

血液検査の結果で、「炎症値が高い」と、言われた。整形外科の医師からは、「打撲しなかった?」と、何度も聞かれたがそんなのまったくしていない。

13年前の脳出血が関係しているとも思えないと。

炎症の原因が見つけにくそうだから、助け船を出したんだ。

「あるとすれば、皮膚細菌感染症に罹っているからじゃないでしょうか」と。

告げると、「それはあるかもしれない」でしょ。

思った通りだった。

しかし、今回の皮膚細菌感染症の発端は5月中旬まで遡る。が、別に何の細菌に感染したのかなんてまったくわからない。

しかも、コロナで、どこに行っても、消毒を一日に何度もするし、マスクは常備だし、体温も計測してきた。

それでも、どっかで細菌の餌食になったようだ。

せめて、どんな細菌にやられたのか知りたかった。必ず仕返ししたいもの(笑)

               ★

近所の友だちに飛んで来てもらい、新鮮野菜や手作りのソース、飲み物を届けてくれ、通院にも連れて行ってもらった。

本当に感謝している。

いくら気をつけていても感染する時はするのだ。

コロナを身近に感じた数日だった。

さすがに薬がよ~く効き、火曜日からはひとりで起き上がれるようになったよ。(パチパチ)

細菌にすったもんだしている間に熱海市での甚大な災害が起こった。今朝は夫の故郷(広島)あたりも避難指示がでるほどの豪雨災害。

TVでは東京のコロナ感染者激増で4回目の緊急事態宣言と。

せっかく調子が良くなってきたのに、また~~!!

あっちもこっちも立たずだ。

わたしは当面、炎症で衰えてしまった左足のリハビリと、12日にはコロナワクチン接種と、ご自愛体制で行こう。

とにかく、細菌にはご用心。


最後に。

明日は痛みが取れた日に読んだある本の話を書こう。

その著名な本の帯にはこう書かれている。

「なにが起こっているのだろう。」

持っている人はかなり多い。でも読んでいる人をあまり見かけない本。

ね、意味深でしょ?(笑)

作法の美しい人に出会った~経験値がもたらす影響とは【作法・Life tuor 21st】

【ブログ新規追加408回】

作法のきれいな人に出会った。

その様は、わたしの笑顔に対する固定概念をガラガラと崩していったのだ。

笑顔・・・これって、普通の行為でしょ。でもたまに、驚くほど輝く笑顔(破顔)を向けられたことが幾度かあった。

破顔とは・・・硬い表情が笑顔に一瞬で変わることを指す。顔をほころばす・にっこりする・笑みがこぼれる・白い歯を見せる・口元がゆるむ・・・など。資料先→https://thesaurus.weblio.jp/content/Webio(類語辞典)

笑顔が作法になる?そうなんだ。美しい笑顔に出会った時、人は(すくなくともわたしは)感動し、胸襟をひらくものだ。

そして考える。

どうしてあんなに素敵な笑顔を作れるんだろう?と。

わたしもそうなりたい。自然で美しい笑顔を手に入れたいと痛烈に願った。

もちろん練習もしてみた。

自分の顔のくせを良く知っていないと、笑顔ってそう容易くはできないという。

それでも、ピアノ教師をしていた頃は「優しい笑顔」だったらしい(生徒の親御さんからよく言われていた。

でも、ちょっと破顔とは違う。

~貴方に会えてわたしは心の底から嬉しい!~という気持ちを一瞬で表現できる破顔は、最高の武器ともいえるんじゃないだろうか。

ああ、今でも憧れる破顔の作法だわ(笑)

               ★

以前のブログにも作法の心得を書いたので、全文掲載する。

「作法とこころ」2015年6月24日Life toer21stより

朝顔2015

我が家の今年初もの朝顔。

一度のお辞儀で、人の心を捉える、そんな場面に出くわしたことがある。


その女性は仕事先の所長をされていた40代の独身女性で、正月あけの仕事初めにご挨拶に伺った時のことだ。

お決まりの新年の挨拶をした私に対して、80度の美しいお辞儀を深々とされてから、ゆっくりとだが、しっかりとこちらの目を見つめて、「今年もどうぞ宜しくおねがいいたします」 と言われた。

その間数秒だったが、一生忘れられない丁寧で美しいお辞儀を下さった方だった。

人を大切にすること、思いやることは何も難しいことではないのだと思う。

謙虚な気持ちや振る舞いを、言葉や仕草で表現する。

基本は、「人さまにとって見苦しくない」 ように立ち振舞うことだと考える。

つくづく、「余韻の残る女性」になれたらなあ と感じるこの頃である。

思いやりと優しさで忘れられない女性がもう一人いる。

私の初めてのピアノの先生だ。

6歳でピアノをはじめた時、近所に先生はいなくて、親戚のそばにあるお教室をおばに紹介してもらった。

バスに乗って15分ほど行ったところだった。先生は、ちょっと太めだが笑顔が素晴らしく、オペラ歌手だったので声も素敵だった。

レッスンはきびしかったが、終わるといつもソファに一緒にすわり、バスの時間までお話をしたり、暑い夏には冷たいジュースを用意してくれ、いつも必ずドアの外までお見送りをしてくださる、それはそれは、優しい先生だった。

私もいつか先生みたいになりたいと憧れて、一生懸命ピアノに通った思い出がある。

松平家 こころの作法」を読んだ。

簡単レビューと読後感

簡単レビュー

「本来ならお姫様であった人の礼法は、現代の若い女性への最高の贈り物になるだろう」櫻井よしこ(ジャーナリスト)推薦の書。

徳川270年、一流の気品から生れた幸せを呼ぶシンプルな教えだ。必読は、心の整えかた、人付き合い、美しい所作、愛される秘訣。

世界一美しい自分磨きをしよう。

読後感

作法のこころとは、正しいと思う物差しを自分の中の軸とすることである。

こころに自分の軸を持っている人は、いざという時に強い。こう生きるという信念、守りたい人やもの、誰にも攻め込まれまいとする強い心が 「自分軸」 なのである。

「自分軸」を持つと、どんなに辛い状況にあっても ”踏ん張れる力” が湧いてくる。

「自分はこういう人生を生きたい」「ここまでは許せるけれど、ここからは譲れない」 という自分の城をつくって自分を守るのだ。

今、豊かで便利な時代になったからこそ、礼節と作法の大切さをひしひしと感じている。

丁寧な言葉づかいや謙虚な振る舞いが自分を鍛え、幅のある人生を送ることができる唯一の武器ではないかと思う。

さりげなく、清々としていて、美しい言葉、思いやりのある振る舞いが自然と出てくるようになりたいものである。

きっとそんな場面で普通に振る舞えたら、手にはとれないけど最高の宝物が手に入った瞬間なのだろう。


ヘアドネイションをするために髪を伸ばしている~早や15ヶ月、結構伸びるもの【暮らし・ヘアドネイション】

【ブログ新規追加407回】

コロナ禍でヘアドネイション(髪の毛を寄付する)が流行っているのだそうだ。

何を隠そう、わたしもやろうと、昨年4月から本腰を入れて髪を伸ばしてきた。

コロナが終息するのには早くて2年半ぐらいはかかるだろう・・・という専門家の意見を報道で耳にした。

それを聞いた瞬間に、「そうだ!コロナという世界的な感染症が流行った記念?というか証しを何か残そうと思い立った。

それには、お金がかからず、しかも病気で髪を失った幼い子どもたちの役に立つ「ヘアドネイション」という 髪の毛を寄付する制度に参加しようと、準備を始めたんだ。

準備を始めたといっても、わたしはただ伸ばすだけ(笑)

ある日ネットで目にした記事で、「JHD&C」という日本のNPO法人の記事を読んだのが始まり。

今では、ここを通して個人が髪を送るシステムになっているようだ。

               ★


で、現在こんな感じまで伸びた。営業仕事で外へ出てはいるけれど、別にロングヘアで困ることは何ひとつない。

昨年、夏頃は芸人作家の又吉直樹さんみたいな雰囲気になっちゃって、ちょっとどーしようかな?切るか?とか、気持ちは揺れに揺れていた。

しかし、今年になったら、規定の31㎝が取れるまで伸ばそう!と決意した。

で、ヘアオイルやハーブエッセンスで栄養を送りながら丁寧に髪を育てている最中。

これを切ったら、もう二度と髪を伸ばすことはないだろうな。

コロナは憎いが、コロナがなかったなら考えもしなかった、「ヘアドネイション」だ。

いい勉強になるはずだし、

いい思い出になるだろう。

多分、あと8か月ぐらい伸ばしたら行けそうじゃない?


大きな気づき~皮膚炎につき断酒中~このままいけるか?【気づき・Life tour21st更新】

【ブログ新規追加406回】

もう、半月以上、お酒を飲んでいない。当然だが、皮膚細菌感染症になって、たぶん、初めて飲みたくなくなったんじゃなかろうか。

そのぐらい痒みの酷さから、お酒で体の体温を1mmも上げたくなかったの。

もうね。このまま行けるかもしれない。

第一、年々さほど飲まなくてもいい日が増えたし、要するに「憂さ晴らし」はしなくてもいい!という毎日だったんだもの。

ブログを始めた2015年か2016年当初にも確か、こんな風にお酒を絶てるかもしれない・・・といった状況があったの。

心理的なもので、精神的に追い詰められたことに所以したのだっけ。その時もまったくお酒を受け付けなくなった。

このことから、わたしのお酒は「食べ物をより美味しく頂くため」の調味料のようなものだと気がついた。

だから、酔いたいとか、たくさん飲みたいとか、そういった部分に関係がなかったのだ。

体の調子が戻ったら、きっと美味しいお酒が飲めるのだと楽しみにしている。

体の声って大事だ。

では、ここで以前のブログの全文掲載をしよう。

              ★

「エブリディ・ワインだったけど」2015年7月1日

 お酒の話をしようと思う。
私のワイン好きは周りでも良く知られている。

大体、毎晩グラスに1杯のワインをこの30年間(病気以外)欠かしたことがなく、すべてが赤ワイン。

暑い夏や懇親会などでははじめこそはビールを頂くが、すぐに赤ワインを追加する。

会社ではもう誰もが知っていて、ワインばかの上役がせっせと(笑)用意してくれる。

有り難いことだ。

ただ、飲みながらも、「呑兵衛ではないのよ。1杯だけと決めてそれ以上は頂きません!」 なんて言っている。

とても1杯だなんて・・・ワイン好きが集まれば、皆の一押しを頂きながら、某ドメーヌで飲んだ貴腐ワインの「話」だとか、上役から聞くワインばかの話に夢中だった。

気づけばだいたい5~6杯。

人と一緒だとお酒の量は確実に増える。

一人酒はちょっとで済む。

だから家飲みはとっても経済的なのだ(笑)

 特に意識して赤ワインを飲むようになったのは、貧血や老化防止にポリフェノールが大変に良いと新聞で読んだ直後だった。

丁度貧血気味だったことからお医者様に薦めて頂いたことがご縁となった。

実際、動脈硬化を防ぐポリフェノールの医学的根拠も常識的になってきている昨今である。

確かに飲み始めてから貧血の症状が出なくなったと実感したことがあった。

大体180㏄ぐらいを飲むので2日で1本。

私は毎週、土曜日の午前中、食品を1週間分まとめて買い出す。その時にワインは何を買うか、マーケットでちょっと迷うのも楽しいものだ。

ちなみに,先週はスペイン産「王様の涙」を買った。まだ飲んでいない。

銘柄には詳しくはないが、あえて言うならば好みは重めのボルドーとライトなカリフォルニアあたりがマスト。

今日はここまで、と1日の区切りをつけて暮らしのけじめをするのにも、お酒の力が必要だと感じている。

 しかしだ。6月28日(日)の午後3時頃一本の電話が入り、痛く、私の自尊心を傷つける話をされたことが心に刺さってしまって、なんと、そこから丸1日何も食べられない状態になった。

他人の身勝手な一言だった。

もちろん、お酒なんてもう全然受付けない。精神的なダメージでお酒が飲めなくなることは、今まで一度もなかったのに信じられないことだった。

否応なしの休肝日だ。今日は7月1日、気持ちを改めて、新しいワインを頂くこととしよう。

うつ病の処方にも1〜2杯のワインを取り入れることがあると主治医から聞いた。

飲み過ぎなければ薬にもなるワイン。なんと素晴らしい飲み物だろう!


 いつかはやってみたい、大人の美味しい修学旅行「カリフォルニア ナパバレー・ワインの旅」(数年前のナパバレー大火災の後、ナパの復活の状況は得ていない。詳細はまたの機会に)

ここでは、ワイン仲間を集めて醸造やテロワールやアロマなど専門の知識も吸収できる、最高の思い出となるワインツアーがしてみたい。

国内では大人の美味しい遠足「山梨ワイナリー巡り」。

ここでは是非ワイン造りを体験してみたい・・・と夢は膨らむ。


どうぞ、ワイン好きの方はこっそりと教えてください。旅はいつになるかはわかりませんが。

それまで、当分はコミック「神の雫」でワインの薀蓄にどっぷりと浸ってみてはいかがでしょう。

※ 少々加筆した。元原稿はこちら→「エブリディ・ワインだったけど

風景を切り取ったら一瞬で気持ちが変わった話~7月・東京オリンピック目前【風景・東京オリンピック】

【ブログ新規追加405回】

7月になった。

東京オリンピックがもうすぐやってくる。

その前には、東京の明日を占う「都議会議員選挙」が告示を5日過ぎて各候補必死の攻防戦を繰り広げている。

どこかの党の「演説」を運転中に聞けば「東京オリンピック反対!」とか言っているけど。

もうね。やるんだってことだよ!って思わず言ってやろうかと思っちゃった。

コロナの進捗と言えば、昨日東京は700人越え。たとえオリンピック中であっても、何度めか忘れちゃう「緊急事態宣言」の発出すると西村大臣は言われた。

そうなれば、また、仕事に出られない営業の宿命だ。

もう、肚をくくってオリンピックもTVで存分に楽しもう!

仕事に行けないのなら、仕事以上の取れ高のある何かを探そう!って、

今朝、味の素スタジアムに着いた時、2020東京オリンピックの垂れ幕を見て、一瞬で気持ちが切り替わったんだ。

ぐずぐず、あーだこーだ言っていても、東京オリンピックを楽しみにしていない人なんて少ないのだろうとも思う。

心では、み~んな選手を応援したいハズだし。

               ☆彡

で、わたしの住む街周辺で開催される競技は「自転車競技ロードレース」だ。

仕事先も多く、東京と神奈川のレース会場などは前持って調べておいた。7月24日からどんどん試合が始まるので、渋滞や人の流れる場所での仕事は23日までに終わらせておかないといけない。

というわけで24日からスタートの調布、小金井での仕事は終わらせてきた。

7月終盤~8月上旬に山梨や静岡にお出かけのある場合は良く調べておこう。東京以外でおもわぬ渋滞や混雑回避のためにもね。

⦿ 自転車競技ロードレース 通過都市名

〈東京都〉 府中市、調布市、三鷹市、小金井市、稲城市、多摩市、八王子市、町田市

 〈神奈川県〉相模原市、山北町

 〈山梨県〉 道志村、山中湖村

 〈静岡県〉 御殿場市、裾野市、小山町 

 コースの総距離のうち、スタート後10キロメートルはパレード走行区間(非競技区間)となり、選手が低速で揃って走行する区間となる。

これを書き出していたら、ワクワクしてきたよ。

今日、味の素スタジアム周辺をスマホで撮ってみた。風景を瞬間で切り取るのが、撮影の醍醐味だろう。

別に、いいショットを撮るとかじゃなくてもいいのだ。

わたしの気持ちはオリンピック開催を喜んでいるようだし、そんな気分を撮影に反映させたいだけだ。

そういえば、生活の風景を切り取るのが上手いなあ~と、思っている星野源さんの曲を思いだした。

梅雨空にぴったりじゃない?

「フィルム」