休みの日はどっぷり村上春樹を読む~すべての細部に村上春樹が宿る雑文集【選書・文化】

【ブログ新規追加279回】

今度の休みは何読もう?

もう、ずっと何十年もこの問いを無数に続けてきた。

で、この飛び石の休みに選んだ本はこれ。村上春樹「雑文集」これは、手に入れてから、すぐに全部読んではいない。

もぅ4年ほど寝かしながら、幕の内弁当みたいな、美味しい短編や息づかいを感じるインタビュー全文をちびちびとウイスキーを舐めるように読んでいた。

どうして、いつものように全部読破しないのか?

それは、村上氏の紡ぎ出す「雑文」の質があまりに高く深いから。簡単に読んじゃったらもったいないもの。

それで、ちびちび・・・という行為になったというわけだ。

中でも、興味を引くのが、「おいしい牡蠣フライの食べ方」と、「壁と卵~エルサレム賞受賞挨拶全文」この2つだ。

村上春樹を知るなら、ぜひ、この2点の視点を知ると、ぐんっと理解度が深まるはず。

村上氏の紡ぎ出す文章の云々、いわゆる二重構造の話は、もう世間的にもだいぶ浸透してきたし、あえて、そういった文体のスキルを語るより、どうやったら美味しい牡蠣フライを頂けるのか?を淡々と語る文章が極めて素晴らしい!と、つい、思っちゃうんだ。

雑文集は400ページ以上にもなる大変分厚い書籍だ。しかし、その分厚さを軽減させるペイパーバックのスタイルが読み手を安心させる。

だが、本題に入ると、小さな文字がびっしり・・・。実はこれがちびちびの原因なのだ(泣笑)

もうね、歳には敵わない。目が、目がついていけないの。

さて、せかっくの休日。明るい陽射しの指す窓辺で、この小さな文字と格闘しよう。そうして、夕方には、満足感たっぷりでつまみなしのハイボールを一杯飲むんだ。

最後に村上氏の言葉を引用する。

「新しい言葉なんてどこにもありはしない。ごく当たり前の普通の言葉に、新しい意味や、特別な響きを賦与するのが我々の仕事なんだ。」 「(小説家は楽観的であると前置きして)

希望や喜びを持たない語り手が、我々を囲む厳しい寒さや飢えに対して、恐怖や絶望に対して、たき火の前でどうやって説得力を持ちうるだろう?」

うん、かっこええ。

郷土のお話を読んで~今、住んでいる所のお話って知ってる?【選書・文化】

【ブログ新規追加253回】

執筆に明け暮れた今週、近所の友達が、こんな絵本があったよ・・・と、届けてくれた。

『ひよどり山物語』三十田 岳・著(市内在住)

へえ~~~、面白そう。

と、その日のうちにパッと読ませてもらったのだ。

絵本というよりは、郷土の山と森の住人たち(ひと・どうぶつ・しょくぶつ)の暮らしと、命を守るために池の鎮守をお守りすることや、山と森を守ることの大切さを延々と説く解説本。

ひとつの話がちょっと助長的で、話の元がなんだっけ?とわからなくなっちゃう(笑)それでも、まじめにその状態で書くものだから、落としどころがまったく見つからなかった。

昔の話が第一章とし、なぜだか、第二章では、現代の中学生男女が話の中心となる郷土の森のお話。そこで完結していた。ちょっともったいないかなあ~~~。

もうちょっと、話を展開すればさらに面白くなりそうな作品だ。

例えば、第一章とか分けずに現代から古代に時代を駆け巡るファンタジーとか、拡大して一本にまとめるとか。

ちょっと、気づいたことを書いた。

⦿『ひよどり山物語』の簡単レビュー

むかしむかし、戦国の世に兵を集めたという里山(兵取山)があった。

そのふもとには日照りに備えた弁天池という沼がある。

沼にたどりつくためには、森の真ん中にある「要石」を通りすぎなければ。

万が一、迷うと恐ろしいオオカミ谷に入ってしまうとさ・・・。

ちょっと怖い沼の話から始まるよ。

                 ☆彡

ひよどり山(都立小宮公園)の名所を案内しよう。

⦿ 弁天池の由来・・・溜池は天明の大飢饉(1782~87)のときに新田開発のため八王子千人同心頭の萩原氏が掘ったものだ。

現在の「ひよどり山」は都立小宮公園全体を指す。物語オオカミの谷は大谷といい、そこにわたし達は住んでいるのよ。

ひよどり山の麓に弁天池は存在する。

池の水も随分減って、木々が生い茂り鬱蒼としてるが、住宅街からも見えるその場所は、昔ほど危険な谷ではなくなったのだろう。

亀が数匹いるだけだが、灰色のヒヨドリが沢山いたとも?

雑木林ホールの展示で過去に熊や狐もいたことがわかる。

数年前には雉やハクビシンをよく見かけたし(笑)

わたしの家の玄関先や駐車場にも雉が遊びにくるような、自然たっぷりな場所だ。

野鳥のさえずりで目を覚ます春が待ち遠しい。

⦿ 東京銘水湧き水・・・東京湧き水57選にも選ばれている郷土の水。

夏には、沢蟹も見かける(驚き!)

弁天池も湧き水もすべて、昔のまま。格別に美しい新緑の季節にどうぞ。

ぜひ、都立小宮公園へお越しください。

⦿ 東京都立小宮公園

所在地 / 〒192-0043  東京都八王子市暁町2-41-6.

そんなひよどり山をつい、先週登ったばかりだ。

記事を再登場させよう。



~自由であること~形式から抜け出し本物を目指すための一冊を紹介『春の海』宮城道雄随筆集【書評/文化・新年の雑感】

【ブログ新規追加232回】

1月4日 朝9時の月。

下弦の月

下弦は6時間進んでいて、0時にのぼり12時に沈む。そのため深夜過ぎや未明に見やすい。夜浅くに西の空に見える上弦の月は、弦の部分が上に見える。(Wikipediaより)

今朝の月は、澄み切った空気のせいか、くっきりと撮れた。

                  ☆彡

さて、2021年は「ノーストレス」を目指すことを決めて眠りについた12月31日。ベートーヴェン交響曲「第9番」の最後はうつらうつらとしながら、2020年にまみれたストレスのアレコレを反芻した。

身体の具合や人間関係や家計など、小さなわたしを苦しめるストレスはいくらでも思い出せるし、そのどれもが場当たり的な対処で乗り切ったものばかりだ。

中でも一番堪えたストレスは、「新型コロナウイルス感染防止対策からの緊急事態宣言発出」だった。

4月~5月のこと。

仕事に出られない・・・はじめての経験。それが、こんなに不安な気持ちにさせるものなのか。2か月の間、片頭痛や胃痛・腹痛などストレスの過大な影響を否応なしに受けてしまった。

そこから、今までのような希望的観測じみた浅い考えは、何一つストレスの解決にはならないという事実が分かった。

自分の浅い思考を立て直すには、巷のビジネス本などまったく役に立たない。永久不滅と言われる哲学や、絶望から這い上がった偉人のエッセイを貪り読んだ自粛期間だった。

それは、このブログでもまったく紹介はしなかった。わたし自身の咀嚼があまりすすまなかったのが一番の原因だ。

やっと、まとまった感じなので、この一冊を紹介しよう。

『春の海』宮城道雄随筆集 著・宮城道雄

お正月を代表する箏の名曲『春の海

作曲者として有名な盲目の箏曲家・宮城道雄氏の随筆集。(文春文庫)

日々の出来事や旅行、季節の移ろいや芸道について、盲目であるからこそ掴める奇跡の音。

毎日、耳にするすべての音を文字に起こし、文章を家族に口述筆記してもらい作品に仕上げた。日々の何気ないことから、こんな悲惨な出来事まで。

タンスの角に目をぶつけてしまい、眼球を潰してしまったので、それを取り出す手術を受ける著者は、自分の眼球を触らせてもらい、その感触までも文章にしている。

「まるで、大きな熟した葡萄が潰れた・・・」など。恐るべしだ。

内田百閒をはじめとする友人たちとの交流も語られ、盲目だから人生が楽しめないか?というとそんなことはまったくない!と豪語する著者に始終圧倒され続ける。

とにかく、その語り口から素直でおしゃれで意気揚々とした人物像が見えかくれする。

著者はもちろん邦楽への親しみも増していくなかで、ラベルドビュッシーの現代ピアノ曲に影響されていく。

また、日常や旅先の出来事などを描いたものには、見る夢も「全く声ばかり」という、音と触覚だけの世界を文章にしたためた、類を見ない傑作エッセイ集だ。

音楽家として、数々の演奏会へ出向く道雄氏だが、ある日、ヴァイオリンの演奏会に赴いた幸福な一夜を辿る「メニューヒンに魅せられて」がわたしは大好き。

                   ☆彡                                                                          

と、この本が一番、当時のわたしの心境に見合った一冊だった。

見えないから」ではなく、「見えないからこそ」最高の人生を手に入れたとまで書かれていた。

わずか、9歳で全盲となった宮城道雄氏

子どもの頃は見えていた目が、段々見えなくなることの恐怖や絶望感は、計り知れない。

翻って、現在、わたしたちが向き合いざるを得ない、新型コロナウイルスの脅威。

たかがコロナとはまったく言えないが、しかし、されどコロナだろう。

自分の置かれている状態を嘆いても、腐っても何ひとつ進展はない。

そんなストレスも、自分の謙虚なる気持ちに従って、淡々と新しい一年を越し続けて行くのだ。

浅い評論家からは、距離を取って、地味に強かにやって行こう。

『FACT FULNESS』ファクトフルネス~学校では教えてくれない世界の教養【書評・文化】

【ブログ新規追加189回】

書籍「ファクトフルネス」は、TEDトークで、伝説のプレゼンテーションを行ったハンス・ロスリング氏が書いた書籍。

ハンス氏のプレゼンテーションは、TEDトークの数ある人気プレゼンの中でも、ダントツの視聴回数を誇る。

教育、貧困、環境、エネルギー、医療、人口問題などをテーマに、世界の正しい見方をわかりやすく紹介するハンス氏。

本書では世界の本当の姿を知るために、教育、貧困、環境、エネルギー、人口など幅広い分野を取り上げている。

いずれも最新の統計データを紹介しながら、世界の正しい見方を紹介している。


これらのテーマは一見、難しくて遠い話に思えるかもしれない。

でも、大丈夫。

著者のハンス・ロスリング氏の説明は面白くてわかりやすいと評判だ。

その証拠に、彼のTEDトークの動画は、累計3500万回も再生されている。

で、こちらが伝説のTED(You Tubeより)

【書籍概要】

ファクトフルネスとは データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。


世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキルが「ファクトフルネス」なのだ。

【もくじ】

イントロダクション
第1章 分断本能 「世界は分断されている」という思い込み
第2章 ネガティブ本能 「世界がどんどん悪くなっている」という思い込み
第3章 直線本能 「世界の人口はひたすら増える」という思い込み
第4章 恐怖本能 「実は危険でないことを恐ろしい」と考えてしまう思い込み
第5章 過大視本能 「目の前の数字がいちばん重要」という思い込み
第6章 パターン化本能 「ひとつの例にすべてがあてはまる」という思い込み
第7章 宿命本能 「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
第8章 単純化本能 「世界はひとつの切り口で理解できる」という思い込み
第9章 犯人捜し本能 「だれかを責めれば物事は解決する」という思い込み
第10章  焦り本能 「いますぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み
第11章  ファクトフルネスを実践しよう
おわりに

かしこい人ほど囚われている10の思い込みはこれだ!1章~10章のもくじにすべての囚われる原因が膨大なデータとともに書かれている。

ここでは、11章の実践編を解説する。

● 11章 ファクトフルネスを実践しよう

著者のハンス氏の本業は医師である。長い間アフリカでの感染症予防対策と、新型の感染症の発見などを手掛ける研究チームで中心的な役割を果たしていた。

この時、とある村で新しい感染症「コンゾ」を発見し、チームは急いで、緊急対策チームとなり、村人が感染症に羅漢していないかを調べるために、村人の採血と診断の準備に入るのだが。

外で、50人ほどの村人が手にナタや刀を持ち、ハンス氏らのチームを奇襲してきたのだ。

彼らは、ハンス氏たちの注射を大量に用意する姿に「血液を抜き売りさばく業者」だと思い込んでしまったのだった。

ハンス氏のチームが、事前にしっかりと丁寧に村人に「新型の感染症が見つかったこと」「羅漢者が出ていないかを調べるために緊急でできる限りの村人に血液採取を願う要請」をせねばいけなかったのだ。

それを怠ったために、緊急チームのテントが奇襲されてしまった。

ハンス氏チームの修羅場を救ったのは、まだ10代のなんの学歴も無い小さな女子だった。

慌てて、すべての説明をするハンス氏の言い分をきちんと聞いて、村の血気盛んで優秀な男たちを一瞬で諭すのだ。

女子「この人たちは悪くない。この人の言う通りだよ。以前、はしかでたくさんの村の人が亡くなったよね。あれをまた、繰り返したいの?さあ、みんな、血液検査を受けて!」と。

以前、村中で苦しみ、悲しんだ記憶をたよりに「はしかの体験から正しいことを正しく判断し皆を導いた」この女子は、ファクトフルネスを大いに活用し、ハンス氏チームメンバーの命を救ったのだ。

このアフリカでの経験から、ハンス氏はデータ分析や人の思考の元になる教養、経験などを一つ一つ洗い出し、さらなる分析を重ねてTEDで発表。

世界的ベストセラー『ファクトフルネス』を生み出したのだ。

お金も権力も一切関係のない、思考と経験=脳内データという人間の持つ宝を自然に使いこなすことですべての問題は解決できる!

やり方は問題に対して→では、どうするか?すべての道すじ、英知を総結集させてものごとに向き合う。

ファクトフルネスをやることで、「勇気」「忍耐」「英知」が自然と身につき、悪いことを考えにくくする。良質な思考を積み上げてゆけば、常に正しい判断ができるのだ。

結論から言うと、この本は「全ての人」が読むべき本だと言える。

本の帯に「賢い人ほど世界の真実を知らない」とある。

いかに日々の報道や幼少期の教育によって、私たちが間違った事実を信じ込んでしまっているかという非常に分かりやすいデータがこれでもか!というぐらいに詰め込まれている。

データとケーススタディ三昧の本書。

ぜひ、一度手に取ってみて。

読むかどうか決めるのはあなた。

〇〇力/キーワードで書かれた本を集めてみた~みんなが寄ってたかったネーミングの根拠はどこにある?【文化・影響力】

【ブログ新規更新181回】

● 「力」というタイトルが流行った背景とは

このブログで取り上げてきた書籍もゆうに100冊は超えているが、「〇〇力」とついた書籍の多いことに気づいてちょっと筆をとってみた。

2012年頃「聞く力」阿川佐和子氏(文春新書)がブームの火付け役になったんでは?と、推測する。

新書ブームが起こったことでも話題になった超ベストセラー。

実際にはご本人のインタビュアーとしての立ち位置に関する事柄が大半で、アイスブレークの仕方や人の本音、以外な言葉を引き出したエピソードが満載だったように記憶している。

さて、ここでは、「〇〇力」とタイトルに「」を入れた書籍の紹介をする。読んだ本だけ。

「断る力」勝間和代氏(文春新書)

「大人の精神力」斎藤孝・著(ベスト新書)

「群れない力」関口智弘・著(経済新書)

「いい加減力」竹村健一・著(太陽企画出版)

などまだまだあげれば切りがない!新書の ” 力ブーム ” が続いていた。

もう、本当に誰もが「」とつく本を書いている。

まるでトレンドキーワード、言葉の力に大きく左右されているなと大いに感じた現象だった。

● キーワードの持つ影響力とは

影響力・・・「他に働きかけ、動き、考えを変えて行く

確かに「聞く力」のように何週間もベストセラーのトップにランクインしていた本は、手に取った人の多さでは影響力を持って世間の新書を求める動向を変えたと思う。

しかし読んだ人が皆、動きや考えを変えたか??という点では分かり得ない。

また「力」に変わるキーワードが出てきたら、皆一斉に有名、無名に関わらず、キーワードに飛びついて執筆、出版されてきたのは明らかだ。

私としては個人の時代になって誰でも自分の記事、作品をアピールできる昨今では「話題の先取り」これに尽きるのではないか、と感じている。

テレビ、新聞などのメディア離れが叫ばれているが、どうしてまだまだメディアの持つ情報量の膨大さや、物事の真意など世間の圧倒的な支持を得ている現実がある。

そこで個人も横並びに勝負できるとすると、「先取り感」「」といったキーワードが一番世間が欲しているんでは?と常に考える。

要するに「誰よりも先に!」が必須で、競合していないかなどのマーケティングがしっかりとなされなければ、もう、個人の記事や無名の作家の作品は読まれない。

● 個人の時代の影響力はネット検索すればわかる

情報」という点で、日常的に私も検索をたくさんかけて情報を集めている1人だが、検索ほど個性がでるアイテムもそうないな、とこの頃感じていた。

例えば今回の「力」に関する情報を集めようとした時に何を中心に集めるのか?これって人によってすべて対照があるので100人いたら100とうりの検索方法がある!ということだ。

ちなみに私がどういう検索をかけていたかというと「〇〇力 キーワード 影響力」という言葉を切ってやってみた。実際は「影響力」のみにスポットが当たってそれに関する事柄がば〜っと羅列されて出てきた。

まあ、当然だろと思うが、捉えにくい言葉などは思いっきり省かれて出てくる。

それだけでは情報が足りない場合は辞典や過去の関連書籍をあたることとなる。

固有の場所などの検索は比較的簡単だが、キーワードを関連づけて検索をする場合のやり方は人それぞれ。

実はこのことは密かに面白いと感じていて、小説のネタやアイテムになるな、と思っている。

● まとめ 

今週後半は秋旅をする予定で、真新しい情報を集めている。

今では、紙のガイドブックは買わないし、だいたい持ち歩かない。だから、自分の頭に検索した最新情報を詰め込んで、あとはスマホ検索になる。

現場で出会う検索には反映されてはいない真新しい出会いはブログに書く。こういった生の情報は自分の目利きで調べていくしかないのであろう。

わたしは、現場に出て困る!分からないからやみくもに歩き回る!こうした行動がとても多い。

日頃から、正しく調べることに関して「なめてかかっている」のでそのぶん痛手が大きいのだ(泣笑)


自分の持っている情報が必要に応じて「更新」されているか、またそのことに気づけるかが重要だ。

それには普段から知性の土台を築いて(例えば文章やふるまいなどを磨く)、想像力を鍛えていくことが「情報の目利き」に通じていくことではないかと感じている。

流行ってるからって、何でもすぐ飛びつくのはカッコ悪いよね。

でも、真性の先取りだったら、一はやく伝えて行けば、影響力も倍増するだろう。

それが、メディアではなく、個人発信だったら。誰にでもチャンスは足元に転がっている。

※ 最後に斎藤孝氏の「大人の精神力」からの抜粋をひも解く。

「精神」というと、「鋼のごとく鍛えられた揺るぎないもの」をイメージしますが、環境が激変する現代ではむしろ「どんな変化にも対応できる柔軟な精神力」が必要です。

45歳〜60歳までに上手に精神を保つ環境を整える=ギアチェンジをすれば60歳から先が大きく変わる!   斎藤孝

10月27日は「文字・活字文化の日」~本は無限の可能性を導くツール【文化・読書週間】

【ブログ新規追加165回】

10月27日は「文字・活字文化の日」

わたしは普段、某出版社にて出版物を書店等に営業をする法人営業職を担っている。

そのかたわら、書評や本の話を盛り込んだブログ(SunTAMA-Style) を毎日更新中だ。

本が好きで、月間約30冊~50冊ぐらいを読むハードな読書家でもある。

その中には、紙・電子のあらゆる書籍、新聞、雑誌、ミニコミ誌なども含まれて、いわば活字中毒ともいえる。

年齢とともに、目も相当疲労していて、かなりの老眼(泣)

それでも、活字に触れていないと、禁断症状がでるくらいの多読っぷり。

要するに活字を「与えて」おけば大人しい、いい子なのだ・笑

                                                 ★        

こんなエピソードを同僚から聞いた。

あの東日本大震災の直後、食料やガソリンを求めて、多くの人がスーパーやGSに押し寄せたが、書店はどうだったのか?

岩手県大船渡市の河口から4kほど離れた書店が震災後5日後、再開店をしたところ、大勢のお客様で溢れかえったのだそうだ。

まさに本も「生活必需品」なんだと店主はじめ、出版業界の誰もが感じたのだと。

人は水や食料だけでなく、活字がなくては生きてきけない。

しかも大変な時こそ、本を通して心の栄養を満たすことで人間らしい豊かな人生を送れるのだとつくづく感じている。

今年の新型コロナウイルスの感染拡大によってわたし達の生活様式は大きく変わった。

自粛生活を余儀なくされ、読書を始めた人も多いのではないだろうか。翻って、「活字離れ」「読書離れ」と言われて久しいわたし達の業界では、出版物の売り上げが増加傾向にある。嬉しい現象だ。

また、電子出版物は大幅な伸び率を出している。お家時間おそるべし!だ。

               ★

わたしはフリーライターとして書いてきた記事の80%がブックレビューだ。

今では、最新刊のみならず、既刊本でもブックレビューを先に読んでから購入する人が増えているそうだ。

ブックレビューの本意は、その本を購買に結びつけるための文章である。

主におススメの本を教え伝える→店頭で手に取って頂く、またはネットで検索→即購入・・・こういった導きをする。

特に、購買決め手になるレビューを丁寧に書いてきた。

ライター自身が読み込み、心を動かされた本は人に薦めずにはいられないものだ。

また、読書を巡って語りあう読書会などのネタに使ってもらうなどの利用をされてると漏れ聞いた。

ライター冥利に尽きる。

「本を開けば、遠い国まで一気に行けるし、入国できない場所でも楽々入れる」

こんな楽しい活字文化を楽しまない手はないね。

読書と芸術の秋到来!芸術本の紹介~アート思考とデザイン思考の違いも学ぶ【書評・文化】

【ブログ更新134回】

〇〇の秋は多々あるけど、今回は堂々、芸術の秋への挑戦をする。しかも、読書で!心を動かす芸術本の解説をしよう。

● アートのすすめ 秋元 康・著(美術出版社)

あの、名クリエイター秋元 康氏が、その時々で刺激を受けてきた著名な俳優、女優、歌手、画家、各界評論家など全29人の老若男女とのデートを実現させてきた。

その場所はすべて美術館だ。秋元康氏が選びセッティングする気合の入ったデートとなった。

先日、わたしも訪れたばかりの「東京都庭園美術館」にも(故)川島なお美さんとデートされていた。

まったく知らない美術館施設も多く、改めて行きたくなったところはインスタグラムのフォローをしたり、WEBで現在の状況などを確かめてあっという間に数時間が経ってしまった。

旅読本ともいえるね。

10月のGOTOキャンペーンにも使えそうな施設も多い。

● 秋元氏が一貫して読者に「伝えよう」としていることとは

まず、ひとつに「ものごとはシンプルに考える」ことだと。次いで、「偶然は必然」であるものだそう。

そして、デートのお相手を想像して、「ストーリーを追うこと」が最大の楽しみ。

さらに、「ストーリーを作り上げる」過程をこよなく愛するという名クリエイターの言葉には、端的で一切無駄のない思考の持ち主だと脱帽したのだ。

で、最後に、これだけは言っておきたいことは「わが道をゆく」ことだと。

  • シンプルに考える
  • 偶然は必然
  • ストーリーを追え
  • 作り上げる
  • わが道を行く

秋元 康氏の思考が散らばった素晴らしい本。自分の思考の刷新をしたい!なんていう場合もいい教科書になるだろう。

また、日本中の素敵極まりない美術館でのデート対談はことのほか素晴らしい。

思考のビルドアップと芸術の一石二鳥な良書だ。

● デザイン思考とアート思考の違いを改めて書き出してみた

秋ならではの「ニンジンと豆腐のスープ」

デザイン思考とアート思考。この二つはよく比較されるものだ。

近年イノベーションの手法として注目を集めているデザイン思考デザイン思考とは、利用者を深く理解することにより、利用者の潜在的な課題にアプローチし、解決策を生み出す思考法。

一方の、アート思考は、自分を起点に、価値観の再定義を繰り返しながら、自分なりの答えを描き出す、よりクリエイター色の出やすい思考法だ。要するにセンスのアップグレードが狙いだ。

より鮮明な考え方になるが、デザイン思考では、基本的にものごとの道筋さえ、しっかりと導ければ、誰でも同じ結論にたどりつけるという思考法。

たとえば、水道の蛇口をひねると水が出る→水を止めるのも蛇口を回すという一連の動作にデザイン思考はふんだんに含まれている。

暮らしや生きるための知恵や常識となる考え方。

一方、アート思考は徹底的にものごとの「違い」を作り出す思考法。アーティストといわれる人は、常に他人とは違うデザインや切り口で作品を創作している。

さらに、芸術といわれる作品の解釈は、観る人にゆだねられているものだ。だから、一つとして同じものはない。

ここで言えることは、アート思考では「同じ」を増やさず、「違い」を増やす思考法なのだ。

この誰でもたどれる道筋も、同じを増やさない考え方も、人間が生きやすくすることに重要な役目があるのだそうだ。

違いを知ることは、知識の泉を何倍にもしてくれる。

最後に紹介したい本をもう一冊。

ハウ・トゥ・アートシンキング 閉塞感を打ち破る自分起点の思考法 若宮和男・著

建築士→アート研究者→大企業での新規事業立ち上げ→起業家
様々な領域を行き来し試行錯誤を重ねた著者。


答えのない時代を生き抜くための1つの答えにたどりついた。

それが、アート・シンキング

なぜいまビジネスにも人生にも「アート」が求められているのか?

アートに精通し、ビジネスの現場にアーティストの思考を取り入れる話題の一書だ。

【お知らせ】

9月21~22日はブログメンテナンスのため、お休みします。再開の時にはどうぞ、よろしくお願いいたします。Miiko



文体を知るには本をしっかりと読むことから始まる~村上春樹氏の文体をひも解く 【書評・文化】

【ブログ更新111回】

クラウドソーシング「ランサーズ」

昨日の某新聞のコラムにこんな記事があった。

このところの読書量の低下が危惧されているという記事。しかも読書量の低下は年代を問わずだということだ。

現代は60代でも本を読まなくなった

20代から60代で1ヵ月に紙の本を読むのは「0冊」と答えた人は、平成25年時には28,1%だったのが、同30年には48,8%に増加。約半数の人が「1冊も読まない」という結果だったと。(国立青少年振興機関調査による)

まったく、本を読まないのではなく、本屋にも行かないのだろうか、また、電子書籍やオーディオブックなどの利用者、そのあたりの動向も合わせて調査してほしかった。

今となっては、書店で身銭を切って読みたい本を買う、このこと自体、精神的に贅沢な習慣であり、文化の継承を担う大切な行為なのだ。

わたしの仕事は書店営業だ。書店へ訪問し、担当という人間を相手に自社の書籍を紹介し売る。書籍は事前に配本制度によって、様々な本が店舗クラス別に数字が定められ、取次から搬入される。

少ない数字なら棚に入ってしまい、売れなければポスで落とされて返品されてゆく。そこを、数の調整をして平積みにしてもらうことや、売れ筋作家のフェアを組んでもらうなど、平常の在庫チェックやストックの管理以外にもやることは膨大だ。

で、昨日も感じたのは、今、店頭には第163回芥川賞受賞の2作品が、だいたいどこでもど~んと平積みされている。その中に混じって、今月の売れ筋、例えば村上春樹氏の新刊2冊がこれまたど~んと積まれている状況。

しかし、売れるも売れないも、すべて書店のプロ級の売り場担当のセンス一つだ。本の席は売れる順番がある。このマーケティングの基本を押さえているのがプロなのだ。

京都・三条 丸善書店にて

しかし、以前も書いたことだか、本は売れないのに、書きたい人は爆発的に増えている。なぜなら、SNS効果で、皆が文章に親しんで、ちょっとしたことから深い内容のことまで文章で表現し始めたからだ。

だから、書きたい人はどこかで己の文章を発表するためにSNSを海遊する海遊魚になっているのだと言われている。

アマチュア小説のサイトカクヨム、noteのような独自のセンスを元にアマチュアから一部のプロ達の作品を集め、企業コラボで作品賞を公募するサイトなど、SNS機能をふんだんに利用して沸きに沸いたサイト運営をされている。

思うに、時代は変われど、心に読書と思索の暇を作るのが、書く前の先決ではないかと。

要するにネットであれ、紙であれ、もっともっと本を読もう!という話だ。もう、秋だしね。

● 文体の基本で悩んだらこれ

さて、ここで、文体の話を。

今まで5年ブログを運営してきているが、ごくたまに質問を受ける。

例えば「SNSで何か書きたいのだけど、です・ます調?だ・である調?ここでつまずいてしまい、なかなか書けない」と、自分らしく書けないもどかしい思いを、先日ちょっとした会話の中で聞いた。

この一見基本的な部分でのつまづき、多くのSNS慣れした人ならば、な~んだ!そんなこと!と思うかもしれないが、とても当人にとっては「一大事」な部分。

で、わたしはその質問にこう答えた。

どういった内容で誰に向けて書きたいのか?によります」と、お応えした。小さな子どもにでもわかるように書くなら、「だよね」でもいいが、対大人であれば、「ですよね」となる。この違いを見分けながら書くのが基本だ。

わたしはブログ第1回からずっと「常体」(だ・である調)で書いてきた。はじめは気恥ずかしかったが、慣れるもので今ではこの書き方で統一している。

もし、書き方で悩みがあるなら、編集者と呼ばれる人たちの文章に触れるとよい。彼らは文章のプロだ。わたしもお気に入り編集者3人の記事やブログ、書籍をすべて読んでいるが、本当に役立つ発信ばかり。

限られた時間を無駄な発信を読むことに費やすことはできない。それほど編集者の発信は有益であり、主張でもある。

こうした何気ない勉強と、普段から書籍をしっかりと読み込むことで、文体のあれこれに囚われずに書けるようになるものなのだ。

頭で考えるよりも、触れて感じろって・笑

軽~い内容の文章の末尾が「・・・だ」「である」では重い。そういうことが肌でわかるようになるだろう。

要するに軽いしゃべり言葉の延長なら「だよね!」で充分。

● 書き手と文体の関係性がわかった

文体とはなんだろう・・・ここが自分の頭の中にすっと、浸透するレベルで理解が進んだ時があった。

きっかけは、京都の天王山で頂いたウイスキーを味った同時期に、スコットランドのアイラ島を舞台に書かれたウイスキーと言葉の話という作品に出会い旅先で読んだのだ。

ひとことで言えば、わたしは村上春樹氏のエッセイを旅先でなぞりながら(お酒を頂きながら)の読書旅をしたのだ。アイラ島ではなく真夏の京都で。

サントリー天王山・山崎蒸留所にて

春樹氏の持つ、文体の魔力に一気にやられてしまったのだ。

村上春樹氏がシングルモルトを好んで飲むのは言葉しかない世界で生きるために「自分をほどくため」に飲むのだ語る。また、こんな文章が。

もし僕らのことばがウイスキーであったなら」村上春樹・著

~「もし僕らのことばがウイスキーであったなら、もちろんこれほど苦労することもなかった」はずだ。

ぼくは黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って靜かに喉に送りこむ、それだけですんだはずだ。

とてもシンプルで、とても親密で、とても性格だ。

しかし、残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何か別の素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な時間に、僕らのことばはほんとうにウイスキーになることがある~文中から

~真夏の京都。

ビールは喉に染みわたるも体に素通りしていく水のようなものだ。

しかし、ウイスキーは喉をある意味こじ開け、体の隅々にまで浸透し行き渡る熱を楽しむ飲み物なのだ~

ビールとウイスキーの喉ごしの違いを村上春樹風文体で書いてみた・笑

そして上の文章が、村上氏の書く文章から読みとった感覚だった。

自分流に解釈し、飲み込むことで、そこはかとなく流れる、わずかな幸福の時間を過ごせた。まるで文体がここまで、わたし達を連れてきてくれたような気分。

書きたいことよりも、己の文体=伝わる力を最優先する文章。やはり天才的な書き手だ。

村上春樹氏の作品すべてが、こうも読みやすいものばかりではないことは、世間で多くのハルキストが語れるであろう。

どんな長編小説でもプロットを立てずに一気にどんどん書き、推敲に推敲を重ねる独自のスタイル。文章のリズムが悪い場合は、わざわざ英語で執筆し、それを翻訳する手間を使い、まったく別ものを生み出す。

しかし、わたしのようなハルキストではない、普通の人間であっても、氏の書く豊潤な文章に酔いしれることができた。

すべてが文体に始まり、文体に帰着していることが体でわかったのだ。

それは、氏の持つ緻密な文体構築戦略にハマれるかどうかが勝負だったのかも・笑

「女性の品格」坂東眞理子・著~何度でも読み返し行動を促す~超ベストセラーを紹介【文化・選書】

女性の品格

これまで、3度読み返してきた女性の品格(著)坂東眞理子氏の超ベストセラーの紹介をする。

この品格という言葉は、この書籍が出版された2006年の流行語大賞を受賞した。そこから本書は現在までで、なんと、300万冊を超え売れ続ける名著となった。

タイトル付けが絶妙だ。女性の・・・と付ければ、女性が新しく何か起こそうとする時に決まってぶち当たる、作法や礼儀、様々な接遇に関することが書かれていると、自然と頭に浮かぶお役立ち書だとわかるものだ。

3度読み返してみて気づいたことは、この書籍の内容は、本来女性だけが独占すべきものではなく、男女の境を持たず、いかに人として気持ちよく生きて行けるかというテーマを元に書かれた生き方指南の向きが大きい。

本書は、ビジネスの観点から大事な「話し方」「装い方」「対人・恋愛」に至るまで、あくまでも女性の性を基本において、娘世代にわかりやすく指南されているのが特徴だ。

具体的なアドバイスとしては、「お礼状が書ける」「約束を守る」「型どおりの挨拶ができる」といった教えは、営業マンのわたしが最も重要だと思い、手帳にメモった記憶がある。

こうした普段の行動が人との距離を縮め、信頼をうむのだと実感している。

もくじ

はじめに~凛とした女性に

第一章 マナーと品格

第二章 品格のある言葉と話し方

第三章 品格ある装い

第四章 品格のある暮らし

第五章 品格ある人間関係

第六章 品格ある行動

第七章 品格のある生き方

あとがき~強く優しく美しく、そして賢く

以上だ。発刊が2006年と若干古いので、取り上げている現場の内容にズレもあるが、おおすじ、言われる通りじゃないかと感じる。

わたしは、この本を読んで、花の名前を覚えることや古典に親しむこと、日本古来の行事を大切にすることなどを、生活に取り入れてきた。今ではなくてはならない大切な習慣となっている。

ベストセラーとなる名書には、こういった、何度も読み返すだけの価値が深い作品が多い。

現在、女子大学学長でもある坂東眞理子氏。現代女性が生きるために大切な品格を見事に表現されている。

第三章 装いの章では、見かけだけで無く心持ちもキチンとする事が大事だと。

また、第五章 人との関係を良好にする行動や考え方は大いに共感した。群れない見下さない感謝の意を表す愛されるよりも愛す権利を振りかざさない

一見簡単そうに見えてもわたしにはなかなか難しいことばかりだ。

※ 品格と言えばこの人、オードリー・ヘップバーン。彼女の名言をまとめたサイトはこちら→https://matome.naver.jp/odai/2141440901775820801

さて、ここで、以前のブログで書いた「作法とこころ」を載せる。

 「作法とこころ」

おもてなし

 ~きれいなご挨拶はするほうもされるほうも嬉しいもの~


「でも、人って、話しあってるとき、本当の気持ちは決して口に出さないね。みんな、気持ちと違うことを言うのに、聞く方は本当の気持ちを察してやらないとならないんだよ。」             映画 イミテーション・ゲーム(エニグマと天才数学者の秘密)より

たった一度のお辞儀で、人の心を捉える・・・そんな場面に出くわしたことがある。
その女性は仕事先の所長をされていた40代の独身女性で、正月あけの仕事初めにご挨拶に伺った時のことだ。

お決まりの新年の挨拶をした私に対して、80度の美しいお辞儀を深々とされてから、ゆっくりとだが、しっかりとこちらの目を見つめて、「今年もどうぞ宜しくおねがいいたします」 と言われた。

その間数秒だったが、一生忘れられない丁寧で美しいお辞儀を下さった方だった。

人を大切にすること、思いやることは何も難しいことではないのだと思う。謙虚な気持ちや振る舞いを、言葉や仕草で表現する。

基本は、「人さまにとって見苦しくない」 ように立ち振舞うことだと考える。つくづく、余韻の残る女性になれたらなあ と感じるこの頃である。

思いやりと優しさで忘れられない女性がもう一人いる。私の初めてのピアノの先生だ。

6歳でピアノをはじめた時、近所に先生はいなくて、親戚のそばにあるお教室をおばに紹介してもらった。

バスに乗って15分ほど行ったところだった。先生は、ちょっと太めだが笑顔が素晴らしく、オペラ歌手だったので声も素敵だった。

レッスンはきびしかったが、終わるといつもソファに一緒にすわり、バスの時間までお話をしたり、暑い夏には冷たいジュースを用意してくれ、いつも必ずドアの外までお見送りをしてくださる、それはそれは、優しい先生だった。

私もいつか先生みたいになりたいと憧れて、一生懸命ピアノに通った思い出がある。

 最近、「松平家 こころの作法を読んだ。作法のこころとは、正しいと思う物差しを自分の中の軸とすることである。

こころに自分の軸を持っている人は、いざという時に強い。こう生きるという信念、守りたい人やもの、誰にも攻め込まれまいとする強い心が 「自分軸」 なのである。

自分軸」を持つと、どんなに辛い状況にあっても ”踏ん張れる力” が湧いてくる。「自分はこういう人生を生きたい」「ここまでは許せるけれど、ここからは譲れない」 という自分の城をつくって自分を守るのだ。

今、豊かで便利な時代になったからこそ、礼節と作法の大切さをひしひしと感じている。

丁寧な言葉づかいや謙虚な振る舞いは自分を鍛え、幅のある人生を送ることができる唯一の武器ではないかと思う。

さりげなく、清々としていて、美しい言葉、思いやりのある振る舞いが自然と出てくるようになりたいものである。きっとそんな場面で普通に振る舞えたら、手にはとれないけど最高の宝物が手に入った瞬間なのだろう。

スティル・ライフ ~自分の生き方に暗中模索する「ぼく」と、すでに生き方を掴んだ「佐々井」の物語 【書評・文化・中編小説】

スティル・ライフ

はじめに

毎年、6月~7月、わたしは短編小説を書いている。一昨年は「植物図鑑の扱い方」なる短編、昨年は「三か月であることを実行し達成する到達点」やはり短編を書いた。(未発表)

わたしの書く小説のほとんどは短編小説だ。大量のブックレビューを書いた経験から推測すると、現在、小説の需要はとても限られていて、ほとんどがあまり知られていない作家の作品ばかリ。しかも、未だに小説といえば長編が横行する閉じられた世界観なのだ。

無事に発売までこぎつけた作品でも、書店等で長編小説を読者が手に取り、購入し、最後まで読んで頂くのはかなり難しい分野になっているのが実情だ。

有名大家の作品こそ、大々的にリリースされ、書店頭にもど~んと平積みされるが、今ではそういった作家も村上春樹氏ぐらいかもしれない。

村上春樹氏6年ぶりの短編小説が昨日発刊されたばかり。そうか・・・時はやはり短編に向いてきたか、と。わたしは自分の狙いがちょっとだけ当たった感を持ってほくそ笑んだのだ。

さて、今年も芥川賞の発表があったばかり。毎年綺羅星のごとく舞う新人作家の作品を真っ先に手に取る楽しみは計り知れない。そんな中、歴代ベストセラーで、わたしの最もおすすめする芥川賞作品の紹介をする。

スティル・ライフだ。作者は池澤夏樹氏。第98回芥川賞受賞作品である。この中編小説はこれまで2回読んでいたが、3回目を昨日の午後、一気に読み通した。この一気に読ませる、読者を物語の森に誘い出す上手さに舌を巻いた。

※スティル・ライフ導入から

~この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを受け入れる容器ではない~中略~大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ一つの世界の呼応と調和をはかることだ。

たとえば、星を見るとかして。

【スティル・ライフ・物語の背景】

● 登場人物は主人公「ぼく」と「ぼく」が圧倒された生き様を持つ年上の「佐々井」のふたりだけ

「ぼく」に「佐々井」という年上の男が持ちかけた、ある壮大な計画というか仕事。それは三か月間で達成する予定だ。

「ぼく」は宇宙や微粒子に詳しい魅力的な「佐々井」の申し出を、一つ返事で受ける。そこから「ぼく」の人生の経験が積まれてゆく。ただ、三か月という時間はとても短い。

※「佐々井」が「ぼく」に持ちかけた、ある壮大な計画が物語のすべてである。

ある日、「ぼく」の前に「佐々井」が現われてから、ぼくの世界を見る視線は変わって行った。

「ぼく」は彼が語る宇宙や微粒子の話に熱中する。「佐々井」が消えるように去ったあとも、「ぼく」は彼を、遥か彼方に光る微小な天体のように感じるのだ。

科学と文学の新しい親和を感じた部分だ。「佐々井」という男がバーで飲むウイスキーの氷の光の中から、数万回に一回の確率で現れる光を見つけようとしている姿は、きっと男性だったら、真似したくなるスタイルだ。

「ぼく」という主人公が探しているものは

※ 常々、「ぼく」が感じていたことを文中より拾う。

~寿命が千年ないのに、ぼくは何から手をつけていいのかわからなかった。

何をすればいいのだろう。仮に、とりあえず、今のところは、しばらくの間は、アルバイトでもして様子を見る。そういうことだ。

十年先に何をやっているかを今すぐに決めろというのはずいぶん理不尽な要求だと思って、「ぼく」は何も決めなかった~文中より

この物語は青春小説などではなく、社会派小説と言えるのではないか~それは佐々井の持つ壮大な計画から読み取ることができる

自分の生き方にある種の諦めを感じながらも、若者らしく飄々と振舞う「ぼく」と天涯孤独で星や宇宙や山を愛する「佐々井」という年上の男。

彼らが出会う場所は、染色工場だ。作業要員として扱われ、それでもそんな仕事に若干のやりがいを見出す「ぼく」。

そして、染色工場を辞めてしばらくして現れた「佐々井」。「ぼく」に手伝ってほしいと頼まれた、ある壮大な計画。

この物語の最大の山場は、このある壮大な計画を「佐々井」が「ぼく」に告白し、淡々と緻密な計算を元に「佐々井」の思惑通りに計画を達成させる場面だ。あまりにも静寂すぎて見事な光景が文中に広がる。

※ 壮大な計画のキーワード・・・公的横領 株式投資 時効 この3点。

読後感を語る

わたしが最初に読んだ当時は気づかなかった部分が、「佐々井」という男の生活スタイルだ。究極のミニマリスト。持ち物は登山用のナップザック2個。計画のために必要なPCは買ってからタクシーで運ぶ。

友達はいない。銀行口座は持たない。所定の場所に長く住まない。要するに今でいうノマドライフの実践者にどことなく似ている。

著者の池澤夏樹氏は、遥か先数十年後を見据えて「佐々井」という男を生み出したとしか思えない。

芥川賞作品を最後まで読んだことがない人におすすめの一作だ。どんなに素晴らしい賞を取った作品でも、あまりに長い長編とか、小難しい表現、言いたいことを煙に巻く文章が過ぎる作品は、最後まで読み切れないものだから。

どうぞ、「ぼく」と「佐々井」のある壮大な計画と三か月を一緒に体感してみて。

そして、たまに星を見るとかして・・・。