『秋田のターシャと呼ばれて』佐々木利子・著(主婦と生活社)~我が家の菜園・朝顔の種を収穫した話🎶【選書・文化 / 植物エッセイ 】

【ブログ新規追加1406回】

『秋田のターシャと呼ばれて』佐々木利子・著(主婦と生活社)

簡単レビュー

鳥海山の麓、秋田県にかほ市の小さな集落にあるイングリッシュガーデン。
強い意志を持たないとたどり着けない場所ながら、全国から訪れる人が絶えない名物庭園だ。
荒れた竹藪をひとりで開墾し、美しく生まれ変わらせたのが佐々木利子さん。
夢を叶える不屈の精神と花を愛し育てるグリーンフィンガーを持ち、
訪れる人の心を解きほぐす飾り気のない人柄。
いつしか「秋田のターシャ」と呼ばれるようになった。
けれど、その強さと明るさの裏には厳しい人生の試練があった。
本書はそんな佐々木さんの暮らしの歳時記。美しい庭の四季を1年かけて撮り下ろした。

もくじ
ここは意志を持たないと辿り着けない隠れた花園

●思いが強ければ願いは叶う
秋田のターシャと呼ばれて/自分が生きるためにつくった庭/たったひとりで竹藪を開墾
畑にも花を植えた/転機となったフランス農家民泊研修
◯早春から夏
庭の手入れ/山の畑/花案内
◎4月…球根類が咲き乱れ春の訪れを喜ぶ
◎5月…新緑の頃。可憐な小花を見つける
◎6月…バラやシャクヤク。絢爛豪華な花たちの饗宴
◎7月…緑が深まり、ハーブの香りに包まれる
●鳥海山の麓で生まれ大きくなった
実家を離れ、育ての親と過ごした幼い頃/オニヤンマと父の死、生きる気力を失くした夏
父の一周忌直後に倒れた母と妹の死/憧れは「大草原の小さな家」の暮らし
最初は妹のため、いまは自分のため/ターシャ・テューダーを知らなかったのに
●「ターシャの庭」がつなぐ縁
訪れた人の言葉がつまったノートが宝もの/「癒される」と言ってくれる人に力をもらって
花の声を聴いてつくる庭
◯秋から冬
◎11月…草木を刈り込み冬に備える
いちじく三昧/花案内
◎1月…薪ストーブの前で、手仕事に精を出す
冬の手仕事/みつろうキャンドルをつくる
●村おこし「千年の村大竹」
鳥海山大噴火によって生まれた奇景/自分で調べた「大竹千年の歴史」
そして、道端に花が増えた。

2019年発刊。

               ★★★

「丹精込めた素晴らしいガーデンと畑」「鳥海山の麓での開墾魂」の物語に魅了された。

長年温めていた蔵出しの一冊を紹介した。

いつかは行きたいと願ってきた、秋田のガーデンカフェ「Time」

鳥海山も、このガーデンも、あまりに遠いのでなかなか実現できない(泣)

                 ー--

さて、我が家のベランダ菜園もそろそろ終わり。

先週には、待ちわびていた垣根朝顔と大判朝顔の種を収穫した。

これで、だいたいはじめに蒔いた分ぐらい。まだまだ採れそうだ。

来年まで、ガラス瓶に保存して眠らせておく。そうそうガーゼのお布団も用意しなくっちゃ(笑)

来年には、ずうっと憧れ続けていた「江戸朝顔」の植え付けも楽しみ。

花の世界を身近に感じながら暮らす・・・わたしにとって、かけがえのない時間。

来年への橋渡しというかルーティンを書いてみた。

~冬の間は土を休める(翌年の野菜と草花計画を立てる)~春には土を耕し肥料をやり、準備が整ったら花種を蒔く・野菜苗を植える~初夏から晩夏まで花と野菜を食し楽しむ~晩秋に花の種を収穫する~冬が来る前にはすべてのグリーンを抜き取り処分する~

来年は、「花を探す旅」も再開したい。

原点回帰の年。楽しみで仕方がない。

それでは、また!

※金曜日→書籍紹介・旅の記録をアップ。

---------------------------------------------旧記事更新

『SunTAMA Style』2020年9月26日記事

『SunTAMA Style』2021年9月26日記事

『SunTAMA Style』2022年9月26日記事

『Life Tour 21st』2017年9月26日記事

https://lifetour.blog.jp/archives/1067936771.html 「一歩突っ込んだ趣味を考える」

『みいこStyle』2019年9月26日記事

https://miikostyle.blog.jp/archives/21212856.html 「50代、人生そのものを再考する」

“『秋田のターシャと呼ばれて』佐々木利子・著(主婦と生活社)~我が家の菜園・朝顔の種を収穫した話🎶【選書・文化 / 植物エッセイ 】” への2件の返信

  1. 「コスモスや いのちの起源 求めなむ」 清流子
    ピタゴラスが調和あるシステムに付けた名前がコスモス。星がきれいにそろう宇宙も、花弁が規則正しく整然と並ぶ秋桜も、そう呼ばれている。どちらも生命の象徴として存在していると感じる。乱世の今こそ、マクロとミクロの視点で社会や自然を見てはどうかと思うのだがどうだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です