【ブログ新規追加1574回】

雑誌「GOETHE」2025年版(幻冬舎)の巻頭エッセイのコピー。
作家、村上龍氏が10月17日に亡くなった。(享年74歳)
晩年はテレビ番組『カンブリア宮殿』の長期MCを勇退し、体調面での変化や過去の腰部脊柱管狭窄症にまつわる報道などから様々な憶測や噂も飛びかったが、公式には「自宅で穏やかに亡くなられた」という事実と、遺族の意向を尊重して静かに見送られたことのみが伝えられている。
『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞および芥川賞をダブル受賞し、経済、エンタメ、社会の歪みまでを描ききった巨匠のあまりに早い退場に、惜しむ声が後を絶たない。
村上龍という作家の真骨頂は、甘えを完全に排した「超実利主義・快楽主義・サバイバル美学」にある。
★★★
「わたしが出版社で働くきっかけとなった作家の話」
18年前、わたしは東京丸の内ビルで開催された、村上龍「半島を出よ」出版記念講演に当たり参加した。
わたしはまだ、現在の出版社に席を置いていたわけではなく、ピアノ講師をメーカーで続けていたころのことだ。
真夏の日差しが強い、丸ビルの1階フロアに早めに着いた。その時、フロアで村上龍氏の既刊小説やエッセイなどを平積みしつつ、そこで開催元の幻冬舎の社員さん?が大手の書店様の招待客に商談を持ちかける場面を何気で見ていた。
わたしは「本の営業、そんな仕事があるのね?!」「いいなあ、好きな著者の本を売る仕事なんて!」とかお気楽に考えていた。
幻冬舎の営業マンの中には、ちょっとだけおしゃれで、かっこいい女性もちらほら。
わたしはその女性の商談をまじかで見て、「わたしもやりたい!」「わたしも本の営業マンになる!!」と決めちゃったの(笑)
音楽大学を出てから、まっすぐにピアノ教師を続けていたが、大好きな本を仕事にしたいと、改めて考えた一日だった。
その時、わたしは46歳になっていた。
村上龍さんの講演は一番前で聴いた。
もうね、超かっこいい方で、眼光鋭い中に時折見せる「はにかんだ表情」がなんとも言えず素敵で、今でも忘れられない一コマとなっている。
そして、「半島を出よ」を担当した編集者との絆さえも感じる「編集者と心中する気持ちで、日本中で講演をして、売って、売って、売りまくるよ!」という爽やかなエールを送る姿など、眩しい場面がいくつもあった。
凄い作家魂を見せてもらった。
講演が終わって、まっしぐらに地元駅の図書館に向かった。それは、「朝日新聞・就職情報」をまとめて閲覧しようと思ったのだ。
まず、出版社の就職応募があるか?を調べてみた。
すぐに一社見つかった。(今、勤めている会社だ)
そして、その会社の応募条件にピッタリ合っていたのも奇跡だった。
その新聞応募記事をコピーに取り、履歴書を買って、帰る途中で履歴書に貼る写真を撮り、急いで帰った。
その日のうちに、履歴書だけでなく職務経歴書も作成して完成させ速達で出版社に送った。
三日後、出版社から☎連絡を頂き、翌日、当時JR四谷駅前にあった本社ビルで面接とペーパー試験を受けて、その日の夕方5時だったかしら、「採用」の連絡を受けた。
要するに、大好きな作家「村上龍さん」の講演が当たり、聞きに行かなければ、わたしの人生はまったく変わっていたのだろうな・・・と、村上龍さんに感謝の気持ちしかないのだ。
すべては、タイミング。
しかも、長年、苦労して手にいれた音楽教師という立場を捨ててもいい!と思える仕事を見つけられた喜び。
ひらめきやヒントが一斉に発動した、たった四日間の就活劇だった。
実は、今の会社の応募と合わせて募集のあった「幻冬舎」はすでに予定人数に達してタイムアウト。
的に見事に当たった「たった一社だけの就活」だったのも、己の運の良さに驚きだった。
わたしは、村上龍さんの代名詞でもあるドライブする=疾走する文章が大好きだ。
というわけで、まったく「人生はスピード感とストーリー(物語)で成り立っている」と、痛感した話。
そして、疾走した人生を終えた村上龍さん、どうぞ、ゆっくりとお眠りください。
それでは、また!
★★★
一冊のエッセイを紹介しよう。

簡単レビュー
「おしゃれ」より「普通」のほうがむずかしい。
成功しようと焦ることもない。
「死なないこと」それがすべてだ。(本文より)
『お金で幸福は買えるのか?』そんな問いに意味はない。別に幸福でなくても生きていける。だが、信頼がなければ、人生はひどく辛いものになる。
そして信頼は、絶対にお金では買えない。(村上龍この日本の中で、真の豊かさを得られる44の金言を集めた一冊。

10月15日の花「秋名菊・シュウメイギク」
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