★2024年7月24日更新 独学すること→ブログで発信~この形でレバレッジを産む~続けられる勉強法【紙上講座・勉強法】

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なぜ、音楽の道を絶ってまで本の道を選んだのか

わたしはこの15年ぐらい、毎年500冊あまりの書籍、その他諸々を読み続けてきた、いわゆるヘヴィーな読書家だ。書籍で独学を続けてきたのでここにまとめてみた。

本が好き過ぎて、ピアノ講師や演奏家の道を捨ててしまった。斜に無に探した出版社での仕事。

斜に無なわりに、図書館の朝日新聞で見つけた求人にすぐ応募→すぐ面接(論文や数学・英語の筆記テスト有)→その日の夜に採用が決まったスピード感。就活期間は3日だった。

どう考えても縁があったというか運命だと。今でも不思議に思う。本当に好きなことに関わる幸せをこの12年間感じ続けている。

● ただ、好きなだけでは勤まらないビジネスとして向き合う本の世界

しかし、ビジネスをするとなったら、毎日、1時間は一定の勉強を続け、週末にはまとまった時間を取り、出版営業情報のとりまとめや翌週の段取りを組むなど、遊んでいる時間はあまりない。

わたしの勉強方法は独学一択

で、わたしの勉強方法は独学一択。若干の無料セミナーも受けてきたが、今はコロナ対策でセミナーもほぼ秋まではない。

しかも、有料系はまず持って受けない。(いずれ詳しく書こうと思う部分)

で、本を選ぶポイントとしては

● 今どうしても必要なことがらの学習ができる本

● 将来、役に立つと思う本

● 憧れや尊敬する人が執筆した本

この3点を基準に網羅的に読んでいる。

※世の中の問題の95%は、書籍に記されているものだと、精神科医;インプット大全などのベストセラーを出し続けている樺沢紫苑氏の無料セミナーで聴いた。しかもこのコロナ自粛期間中に聴いたせいで、影響力がハンパない。

そうか・・・書籍で独学するわたしのやり方には余分も不足もない。費やしたすべてのものが身につく方法だと、ひとり納得と自信を手にしたのだった。万事結果オーライだ。

独学ってどうやればいい?女性のわたしが考える勉強の話を書こう

女性活躍推進法が施行されて早や6年。別に人や社会に活躍せよと言われて、女性が光り輝き始めるわけではない。

生かしてくれる環境整備はもちろん大事だが、一個人の持つ能力やアイデアが生かされれば、自然に俄然として女性活躍の場も現われるのではと感じる。

そりゃあ、好きな事ややりたい事で仕事が得られて、収入があれば言う事なし。でもその前にそういった状況を掴めるチャンスを作る事から始めておかなけりゃお話にならないと考える。

それで調べてみたが、女性の意欲や努力を汲み上げるような仕事術や勉強法って、あるようであまりない。

巷に溢れる様々な勉強法の書籍は、ほぼ男性脳へ向けたものばかり。

男女にそんなに違いがあるの?と思われるかもしれないが、あくまでも理論的に物事を考えて推し進める男性脳に対し、女性脳の場合、ハッキリ言って気分的かつ体験的な部分をしっかりと押さえなければ、新しい勉強など身につくハズもなし。

要するに巷に溢れる勉強法は男のような女になるべし!で書かれているんじゃないかと考えてしまう。

しかし、それでは女性の生涯学習としては成り立たない。勉強はあくまでも筋トレと同じ。普段からやっていなければ何も始まらないし進まない。

では、女性のもつ、優しさや粘り強さ、そういった感性を十分に引き出す感覚の勉強って何だろうか?


一つ考えた。別段新しいわけではないスタンダードなやり方を述べる。それは、知っているようで知らない今まで挑戦した事がないような名著にトライするというもの。

今まで生きてきた人生の経験値を持ちながらインタビュー読みで先を推測していって、毎朝、毎晩でトータル1時間ぐらいは書物をオカズに、目標を決めてストーリーテリングできるぐらい勉強するという方法。

本のあらすじをまとめて、それなりの内容をシンプルに詩的感性で要約できるようになったら、まわりの見る目が変わる。

せっかく大作を読みこなしてもただ、面白かった、よかった、だけでない表現や説明をしてみる事が重要。

夫や子ども、家族が、毎日同じ時間に決まって、難しい書籍を読む妻や母親あるいは娘を見て内心驚くはず。

それでも続けていくうちに何だか真似したくなってくるんじゃないだろうか、きっと素晴らしい習慣となる。

そこで勉強法でのポイントをいくつかあげてみよう。


● 急がず、気張らずに

● 軽やかに、騒がず美しく

● 単純で着実な事を

● 細切れで機転を利かせて


自学自習が身に着くと俄然人生は豊かになるし、一生続ける大事なライフワークになる。

書籍に親しむだけではなく、旅でもスポーツでも手仕事系でも一歩掘り下げた部分で、今までやり過ごしてきた(辞めちゃった)事がらをすくい上げ、新たな形でスタートさせる事で、心機一転はいつでもできる。

だれにも邪魔されない自分だけの時間や城を作る楽しみは計り知れない。
誰かのため何かを得るために勉強する、知的トレーニングをするのではなく、自分のために自ら学ぼうという至極ストレートな勉強法だ。

褒められたいとか有能な人に見られたいという若い頃と違って、表面ばかり取り繕う必要が無くなった淡泊な人生後半、キッチンテーブルでの細切れ時間が豊かな人生を創る舞台となる。


鍛えの夏はあっという間に過ぎちゃうから、ちょっとだけ自分を追い込むスタイルで言い訳なしに今までできなかった事にトライしようという提案だ。

ありのままで・・・は、文字通りありのまま。それだけでは情熱もやる気もいつか失せ枯渇する。

それを溢れる状態に変化させるのは、居ごごちのいいコンフォートゾーンから抜け出すこと。やり始める事しかない。

せっかく独学で勉強を始めたら、そのことをネタにブログやSNSで発信をしよう

ここでレバレッジ(てこの原理)を使って、せっかく始めた勉強に張り合いを産むSNSへの発信を組み込むのが大事。

想像以上の効果に驚くはずだ。ブログに毎日の積み上げや書評を書くのでもいい。

SNSでは勉強の合間での息抜きにちょっと、難しいことなんかをつぶやく・・・とかがおすすめ。

さて、(以前のブログから)わたしの心に火をつけた辛い一言の話をエッセイにした。

「強かな女」


わたしの20代、その頃は音大出たての演奏家でありピアノ教室運営者、25歳からは子育てがそこに加わってまさに戦士のように生きていたわたし。ただ忙しいだけじゃなく、生活の一切が自分の肩に乗っかっちゃった感で毎日、いっぱい、いっぱい。


そんな時分、講師たちと2年に1度開催してきた会社伝統のコンサート準備での事。わたしも3回目の出演で先輩も多かったなか、全12曲の演奏曲をプロとしてアレンジ・編曲するといった大役を仰せつかった。

曲にまつわる膨大な楽譜資料を集める事から始まり、パート別人数分の編曲をして、それを練習まで短時間で用意するといったいわば殺人的な時間配分でそれは行われた。


それでも、ひたすら細切れの時間に食い込ませて、5線紙に向かい何とか頭の中の楽曲を仕上げ、練習日に馳せ参じたのだった。ただただ、初めての仕事をよくここまでやり遂げたなあ~~~と自画自賛した。


しかし、10人分の楽譜を配り、早速譜面を読み始めた時、わたしと同期入社のYさんが一言、「勉強不足よ!」と言い放ったのだ。

背中に一瞬、滝の汗が流れた。彼女がなぜそういったのか?今ならよ~くわかる。敗因は曲の背景が浮かぶような音作りをせず、理論攻めで楽譜を書いてしまった事だった。

楽譜アレンジ

今なら時間不足を味方につけ集めた文献などから曲の構想や背景を語り、どのような雰囲気を持ってどこにポイントを置くかをレクチャーできるだろう、今更ながらそこに重点を置くべきだったと。

なんでも一人で抱え込んで、全部自分で納めようとしていた浅はかなわたし。


その日、舞台監督に相談して、アレンジャーをもう1人入れてもらった。それからはわたしの編曲も見違えるような出来に仕上がり、何とか難局を乗り切れた。

わたしはしたたかな女(強かな女)だと思う。

したたかとは粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま、要するにしぶとい性格をしているらしいのだが、さらに今では、周りの評価なんかには動じない、しっかりとした芯を持てるようになった。


でも、あの「勉強不足よ!」の一言がどれだけ、わたしを底辺から引き揚げてくれたかわからない。

そうか、仕事が大変!子育てが大変!って言ったって、わたしはアレンジャーなんだから、編曲の勉強を一心不乱にやり抜けばいいんだし、それ以外は関係ない!と悟った。あれもこれもと集中せずでは何事も成し遂げられない。

このたった一言の言葉だけど、わたしを大きく変えたキーワードとなった。今となっては「強かな女ですが。なにか?」と笑って言える。

さあ、ウイズ・コロナは独学でレバレッジしよう!

★2025年7月21日更新 本土用~うなぎはお持ち帰りするかで迷う・高級食材のお持ち帰りを体験する【健康・旬の食材歳時記】

ふわっふわな関東風うな重

ど・アップで撮りました。鰻の蒲焼

東京三多摩の老舗鰻店の紹介

毎年、土用には近くの関東風うなぎの名店 藤田に関東炊きを頂きに行く。

都心からも高速を飛ばして来るお客様も多く、住宅街にひっそりと佇む名店も土用の時期には大変な混雑を擁するのだ。

東京三多摩きっての老舗鰻店。わたしの数少ない行きつけを少しづつ紹介する。


亡き父の習慣を今でも引き継ぐのが嬉しいし、なにより季節を楽しむ風情がたまらない。

しかし、今年は今までとは全く違う。初めて、この正統派の老舗鰻店のお持ち帰りを計画。新型コロナ感染防止のため、できる限り東京に住むわたしは、外食を控えようと考えている。

先日は、職場の品川で同僚と外食した。いつもなら、ワイワイがやがやのビストロに寒いくらいのエアコンがかかり、店内は閑散としていた。やはり皆、持ち帰りをしているようだ。

さて、お持ち帰りうなぎを求めて、仕事を早めに切り上げて、藤田に開店前の11時に到着。すでに店の前の駐車場は満車。ちょっと嫌な予感が漂うなか、すぐそばの第2Pへと。そこはまだガラガラですんなり駐車できた。が、

なんと、お店の前にいた人から、今日はもう売り切れ!と、言われてしまった。もう、完全に敗者だ。すでに電話予約ですべてのうなぎメニューが売り切れていたそうだ。

ただ、7月21日と8月7日だけだそう。今年のメニューを女将さんから頂いた時、店内をチラっと見て、ああ~やっぱりお店で頂きたい!と願望が揺らめいた。

そう、ここは父の愛した名店だ。土用じゃなくて、お持ち帰りじゃなくて、父を偲ぶ大切な日に予約を入れて出直そうと、留飲を下げたのだ。


こちらのうなぎは蒸して焼く関東風でふわっふわのうなぎに感動する。
タレは甘すぎず濃すぎず程よい感じ。

夏の蒸し暑い日に、キリっとした辛口・剣菱の冷酒と合わせるのが父の愛した食べ方。つまみは肝焼きと鰻卵巻きだった。

今日の藤田
頂いた今年のメニュー

お店で楽しむなら、一人5000円ぐらいがちょうどいい。大人の粋で手頃な贅沢が味わえる名店。

で、今年は、お弁当屋さんで鰻弁当を買ってきて、今、冷えたビールと頂きました。備長炭の焦げた香りは脳内を溶かす勢い。それを冷えたビールで頂く、本土用の醍醐味。

名店ではなくても、焼きたてを食べられる幸せにもう、今日は仕事は半休にしたのだ。

趣味を持つこと~熱中できる幸せはカメラが教えてくれた【暮らし・趣味編】

              「人に会うのが、私にとって最大の趣味だと思う。」
                  田原総一朗 ・ジャーナリストの情報術より 2016年 BRUTUS 6/1号 

職場での休憩時によく出る話、「最近、何かやってる?」「趣味は何だっけ」「何かそこそこ続けられる趣味が1つほしいんだけど」等、
何か、やりたいけど、これと言って思いつかないみたいな話に花が咲く。

画像を拝

時間を忘れるほど熱中できる趣味が見つかった。それは一昨年のこと。

ブログを書くために、スマホで自前の写真を撮り歩いていた。毎日、営業で出歩いているから、撮るものに困ることもない。そんなわたしを見て夫が、そんなに写真が好きだったら、今、使っていないセミ一眼を貸してあげるよと。

貸す?それはもらったも同然だ。小さめのボディが仕事にも持って行きやすかった。カメラマンではないから、大きなレンズやボディはどことなく気恥ずかしい。

ここから、わたしのマイ・カメラ生活が始まった。ブログに載せるためだけに撮るベストショット。

本当の趣味を持ちたいから、こだわり続けることとは

自分のブログや、SNSの投稿ページを一生懸命飾る楽しみに毎日興奮冷めやらず。しかも、わたしのこだわりは、あくまでも趣味の範囲に留まること。

ここを逸脱してしまうと、本来の物書きになるという願望に対して熱中度が下がることや、文章に親しむ時間が減ってしまうという恐れもあった。

だから、躍起にならず撮りたい時に撮って、自己満足の視点で充分だと考えていた。


しかも没頭できることへ。一つ抜きん出たねえ、なんて褒められながらやれたらいいなぁと思うのはわがままかな。


そして、何事もできるようになるまで修行に時間がかかり、好きになるにもちょっと大きな山になるものがいいなと感じていたからカメラはピッタリだった。

ある程度上達したら、他人に提供でき、共有できて一緒に楽しめる時間を持てたらいいとずっと考えていた。

ある日、ふっと2015年にアカウント登録してまったく死んでいた「note」というコミニュケーションサイトを思いだした。

そして、3月24日から自宅待機となった。いったいこの先、どうなるんだろう・・・と、不安が募った。鬱々とした気分を払拭してくれたのは、早朝散歩で撮る一枚の写真だった。

朝の露や霧、朝日なんかをカメラに納めるのが自粛中の日課になった。

そんな時、「note」の企画のひとつに、みんなのフォトギャラリーというものを発見した。昨年から、今、毎日撮っているものと撮りだめてきたフォトを、WEBサイトのnoteに出展するようになった。

無数に存在するクリエイターさんが、作品のタイトルバックに選ぶ一枚になる企画だ。出展数も見切れない枚数が出ている。綺羅星を探すように見つけ出してもらえたら嬉しいな・・・と、こんな心境だった。

予想に反して、3月末から5ヵ月間21枚のフォトで、141作品を飾った。こんな形で趣味のカメラ撮影にもわずかだが、やりがいと他者との作品の共有とコミニュケーションを持てるように変わったのだ。

今は現状に満足してはいるが、趣味って本当に熱意がいるもの。

しかもわたしの場合はコスパ一択なんで。

★2025年7月18日更新 腸活革命~腸活のおすすめは食事・睡眠・運動から!【健康・腸活】

品川飯店のふかひれラーメン

腸の持つ重要な役割を知る

わたし達の身体は食べたものから作られている。腸には、食べたものを消化、吸収、排出するという役割がある。

他にも、ビタミンや酵素の合成、免疫力の活性化、解毒など身体が健やかに生きるための重要な役割を担っているのだ。

現在人にとって、切っても切れないストレスや体の慢性疲労は腸に多大な負担をかけているのだそうだ。

別にそんなに不規則な生活や乱れた食習慣をしているわけではないと思っていても、意外なほど、ストレスが腸の調子を崩してしまう。

● ストレスと腸の関係は

腸が元気でないと、体の中に大事な栄養素を吸収することができなくなる。そのことから身体に溜まった老廃物も排出できにくくなるのだ。

※ 腸の健康ポイント・・・消化、吸収、排出をセットで考えることが大事!

 不腸の原因は消化、吸収、排出がスムーズに行われていないから。では、どうすれば腸を元気にできるのか。

実は何も難しいことではないのだそう。基本は食事・運動・睡眠(休 息)の生活習慣を整えることだ。心がけひとつで腸の健康は大きく改善できる。

                  (資料先;コロンハイドセラピスト 斎藤早苗氏より)

 就活、婚活、終活等、様々な活動の名称で何でも有りの昨今。そこで自分の経験から、今流行りの腸活に注目してみた。

さまざまな不腸の悩みを抱えている人は、昨今とても多い。腸は ”健康の要” と言われるほど体にとって大切な働きをしていると聞く。

3日間の非常事態な腸炎にかかった体験

一昨年のこと。日曜日で、いつもよりゆっくりとくつろいでテレビを観ていた。突然、お腹がズキズキと痛み出した。しばらく横になって治まるのをまっていたが、どんどん痛みが増してくる。

ちょっと!どうなってんのよ!と大騒ぎ。イタイイタイとテキトーなお腹の薬を飲んで、2時間様子をみていたがどうも痛さが治まらない。

普通じゃない痛さに我慢できず、夫にフォローを頼み駅前のクリニックに向かった。

休日診療だったが、ちょうど消化器内科の先生が待機。触診とレントゲンを撮った。病名は過敏性腸症候群平たく言えばストレス性腸炎との診断だった。

腸の動きが弱く腸内にガスが溜まり張ってくることで他の臓器を圧迫して痛くなるとのこと。

お若い先生は「職業は何?仕事のストレスが強いんじゃないの?」「家族の人は来ているの?」「前回の生理はいつ?」などと、いろいろ優しく話かけてくれたのが激痛に耐える中、とても嬉しかった。

あとで、更年期中だと話したら、「えっ!全然見えませんね。もっと若いと思っていました」と、さらに嬉しいお言葉(笑)

それから丸2日間、先生の言いつけ通り、ゼリーだけの食事と腸内環境を整える薬で対処、あとは水分のみで過ごした。


ヨーグリーナサントリー天然水 ヨーグリーナ (友人の差し入れ)

発病から3日後(ちょうど誕生日だった)の夕方、やっとおかゆを摂った時の美味しさは、今でも忘れられない。

この経験から今では、普段から腸の調子に配慮している。腸の様子がおかしいと思った時はすぐに食事を控え、ガス抜きの薬と水分を多めに取り、体を休めるようにしている。

あっ!ゴロゴロ体操も欠かせない!


以下に先の資料の引用から、腸活の要点をまとめる。

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【腸活①食事編
  「夜遅くに食事をしない」
  腸が一番動く時間は、真夜中と朝食後1時間あたり。
  腸が寝ている間に便を作るには、胃がカラになることが必須。
  腸本来の機能を取り戻すために、夜遅い食事はしない。
  「食物繊維を取る」
  穀類を主食としてきた日本人の腸は長いと言われている。
  そのため、腸の動きを活性化し、便通を良くするには、
  食物繊維を取ることが大切。
  特に温めたリンゴ、雑穀米などがおすすめ。

【腸活②睡眠編】
  「ゴールデンタイムを意識する」
  腸の動きを活性化させるには眠りのゴールデンタイム
  (午後10時〜午前2時)が大切。
  この時間帯に、体は老廃物を処理して疲労を回復し、
  明日の準備をする。
  腸の健康のためにもより良い睡眠は大切。

【腸活③運動編】
  
「美腸マッサージをする」
  ストレスがたまっている時の腸さすりマッサージ、寝ながら
  腸もみマッサージ、夜遅くに食事を取った翌朝の腸はさみ
  マッサージなどできることから始める。
  体をやさしくほぐすストレッチも有効。

【補足】
  「日頃からストレスをためこまない」
  ストレスがたまると、自律神経のバランスが乱れ、腸の運動が
  悪くなって便秘が起こりやすくなる。
  腸の健康を保つためには、副交感神経が優位となる「リラック  スして過ごす時間」をバランスよく確保する。


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仕事中のランチでは水分たっぷりで量は少な目

疾患の大半は劣悪な腸内環境が原因だという。炎症を抑えてくれる細菌が不足しているのだ。この腸内の善玉菌を増やすべく家族全員の「腸育」を実践しようといろいろ調べている。

ともかく、顔を洗うようにお腹の中も洗えたら良いな、と思う。おもてに見えないからこそ、意識して体の中からきれいにしたい。

外見を整えるより地道な習慣だけれども、続けていくうちにみちがえるようになるんだと思うと、自然とやる気が出てくるものだ。

     日常生活に於いて無用の贅沢と浪費を憎む精神
THE HATRED OF USELESS AND EXTRVAGANCE IN LIFE
                ラフカディオ・ハーンの言葉より

★2024年7月17日更新 雨の日を活かす術~カラダもココロも休んでいい日【暮らし・雨の効用】

雨に図書室
図書館にて

● もうすぐ梅雨明けか~でも大雨がふるらしい

今週頭に帰ってきた息子。この一週間ずっと雨降りで仕事(営業職)がきついと漏らしていた。わたしも、毎日雨の中、意を決して出るのだが、帰ってきてぐったり。

それもそのはずで、一日中マスクしてるじゃない。あれが、かなりキツイのだ。サングラスの視界が狭くなるみたいな感じで、完全に自分の世界に浸りながら仕事をしている。

最近では、くぐもった声にも慣れてさほど会話にも不自由しなくなっている。慣れってすごい。

 来週半ばからの連休。まだ梅雨明けしそうにない。今朝のTVで26日頃・・・とか。来週の連休は、事前の天気予報をよく見て無理な外出予定を立てずに、家で楽しく過ごせるように準備している。

とか言って、準備している物は、何冊かの小説や美味しいお菓子、ワインやビールなどで、いつもの週末と何にも変わらない。毎日外へ出ている分、休日はドップリと家にいたい。

だから雨続きでも、雨の日は雨の日なりの過ごし方を徹底的に堪能したいと思案を重ねている。例えば、恒例の10時間睡眠を実施すると、どれだけ心やカラダを癒せるか・・・それはもぅ、計り知れないぐらいだもの。

ちょっといい美容液やサプリメントを取り、これでもか!と良~く寝る、美容のために栄養を存分に与える、それが連休最大の楽しみ♪

雨のカフェ

 ほんとのところ、わたしは意外にもの日が好き。なぜか?と自問自答してみたら、雨の日は自分自身を身近な自然と同調させ、疲れた心とカラダを癒して力を蓄えることが可能な、要するに”恵みの雨”なんだと気が付いたからなのだ。

なので雨の日は、自分のカラダをすみずみまで愛する時間を与えてもらったと思って、せっせとお手入れもしている。

 先日、こんな話を病院の待合いで、あるご婦人から聞いた。婦人曰く、「雨が降ると、休んでもいいんだよ~~~!って神様に言われている気がして、気兼ねなく休めてホッとするわ」と。

なるほどね。仕事の外回りで雨に濡れたわたしを見て、いかにもちょっと休みなさいよ-と、言わんばかり。その時はただただ黙って聞いていたのだけれども。

恵みの雨
画像を拝借した
雨のドライブ
画僧を拝借した

雨のもたらすカラダへの良い影響とは

 雨の捉え方一つでも、ずいぶんと気持ちが違うもの。雨がしとしとと降り続くなか、雨音を聞きながらの読書はなんとも心の落ち着くもの、夢見心地でついうたた寝してしまう。

 雨の降る音のリズムには、人に安らぎや快感を与える 1/fゆらぎ になっているものらしい。そして、雨の降る音は雑踏をうまく掻き消すマスキングの役目も果たし、人の交感神経への刺激も減るのだそう。

そうそう、小川のせせらぎ音滝の音なんかも同等だと。行く場所も、できることも限られてしまいがちな雨の日だが、そのぶん集中した最良の時間が手に入る。

 雨だからうっとうしい。洗濯が乾かない!とか色々ネガティブになりやすいものだけど、ちょっと視点を変えて、雨の日を最高のリラックス日・癒しのインプット日にすることで、いつもの喧騒から一時的にでも解放してくれるのが雨の効用だ。

雨の一風景
猫画像を拝借した

雨について、何だか改めて書いてみると、とってもありがたいものに思えてきた。雨の日は、雰囲気も変わり、自分を変えるまたとないチャンス!自分自身のために有効活用したい。
 これからもまる1日休めるんだったら、やっぱり雨音を聴きながら思いっきり昼寝かな~。(笑)

★2025年7月13日更新 発想は書くことで溢れる~毎日文章を書いて起こる好循環を体験中【仕事・書くこと】

文章スタイルは、自分の好きな書き方で続けると好循環する

クラウドソーシング「ランサーズ」

週末にまとめて本を読んでいる。今までは少しづつ毎日読んでいたのだが、最近は目の衰えからか、仕事が終わった夜などは、まったく歯が立たない。

今まで、多読でブイブイ言わせてきた(笑)が、もう無理が効かなくなってきた。

その代わりといっちゃなんだけど、ブログは毎日書いている。平均2000文字~3000文字、65日目となった。

毎日続けている一番の目的は、自分のサイトを自分の文章で育てるためだ。そこに挑戦というワードが組み込まれている。

毎日挑戦することで、己の壁を乗り越えているのだ。小さく低い壁でも、今日もここまで登れた!という満足感がある。

ここでは”書く”ということに改めて注目してみる。

日々いきいきと過ごすために新聞、本、を”読む”ことはとても大事だけれど、”読む”ことは受け身で、今ひとつ、挑戦するためのアクションや刺激に欠けるなと、常々思っている。

能動的になるために、書くという作業を入れることで、頭の中にめきめきと発想が生まれてくるものなのだ。

わたしのブログ構成は4段落で書くスタイル、2000文字前後の情報や自分の体験から書くエッセイが多い。

この長さが、書くにも、きっと読む側にも負担が少ないわたしのブログ継続の鍵だ。

だいたい1つのブロックで500文字前後を起承転結して2000文字でまとめる。資料やテキストがある場合はさらに追加する。

猫画像を拝借する

● 今回、アドセンス申請時に迷ったこと

巷に溢れる情報テキストではなく、情報エッセイという独自のスタイルが果たしてGoogleに認めてもらえるのだろうか?と。

常に一人編集会議をしつつ、いいや、巷の情報テンプレではなく、わたしのスタイルで書いて行こう!と決めて書き始めた。

それは、本気で取り組んで行くブログサイトに気持ちが乗らない記事を書き溜めても仕方がないと考えたからだ。

煽り気味のタイトル~大見出し~中見出し~小見出しが1つのセットでそれを繰り返す大量の目次の羅列~実体験だったらまだしも、どこかから引っ張てきたみたいな情報まで取り揃えてで5000文字とか、絶対に書く側としては楽しくないし辛いだけだ。書籍ならありでもネットでは読むのもシンドイ。

わたしはこんな記事構成ばかりのブログだったらまず読まない。

せめて、自分のブログサイトは他者におもねず、書き手の息づかいまでも感じられるサイト、自分の好きなカテゴリー立てをし、好きな書き方で作り上げて行きたい気持ちが強かった。

危険なのは、ネット上の情報商材や特化された記事ばかりを読んでいると真実がわからなくなることだ。

だから、アドセンス対策の記事を彷徨って答えを求める無駄な時間は使わず、Googleの目指すサイト運営のホームぺージをじっくり読み込んで申請した。

こうした行動や誰かの言う通りではない、文章そのものがGoogleの言う独自性だと自分なりに判断した。言葉の持つ意味を分解できないとまったくわかり得ない部分だけれど。

(Googleの目指すポリシーの10番目に、「スーツを着なくても仕事はできる」と、あった。わたしはこう解釈した。「ブログ運営は普段着でできる立派な仕事です」と。こういったポリシーを深掘りし、独自に言変えることが重要だ)

だから毎日書いて、自分の文章に磨きをかけて行くことでしか、発想を豊かにすることや、言葉の広がりを表現することは叶わないだろう。

わたしが自分で体験した生の情報だけを扱うのは、それなら丁寧にそれなりの内容で、ある程度の長さのまとまった記事が書けるからだ。実にリアル専門(笑)

今のところ書くネタに困るということはない。下書きらしい下書きもしない。「文章の神様は締め切り直前に降りてくる!」そう信じて書いているので、毎日苦しくも楽しい至福の時間を過ごしている。

わたしの文章に対する信条は”飾らない”こと

背伸びをせず、家族や友達と話をしているように思ったことを書く、これを一番心掛けている。

また、気をつけていることは、無理な表現をして心にもないことを書いたり、デフォルメしないこと。等身大で自分の手持ちのカードで勝負する

さらに言えば、なるべくきちんとした内容で「誤字脱字」なく丁寧に書くことで、読者に伝わるよう極めてシンプルに書くよう心掛けている。

ブログ執筆にも大いに役立つ、情報収集でこころがけていることは、貧弱なインプットはしないと決めていることだ。

週末、本を大量に読んでいるが、本の持つ知識や見識は、すべての問題解決の95%を占めるものだと最近知った。だから、本から得る情報を目いっぱい盛り込むことで、わたしのブログは完結する。

浅い貧弱なインプットだと、どうしてもアウトプットも貧弱になってしまうものだ。どんなものごとにも、5W1Hを当てはめて丁寧に書けばそれなりに筋の通った文章になる。そこに、インプットした優良な情報と、自分の経験や希望などを盛り込んで書ければ豊潤な文章に生まれ変わる。

ともかく「書く」ということに注目したわけだが、貯めこんだら、吐き出していくことで心も頭もリフレッシュできる。

長文でも日記でもエッセイでも毎日書いてみることで新しい自分が発見できる。アウトプットすることで、始めて確かな思考を得られるのだと実感している。

最後にわたしの文章との付き合い方はこれ。

シンプルであれ・ショートであれ・スパイシーであれ

これがすべて。

★2024年7月12日更新 ピアノを愛す~変わらぬクラシック音楽で生老病死の苦悩も超える【暮らし・音楽エッセイ】

わたしは音楽大学でピアノを専攻して最初の職業がピアニストだった。クラシック音楽を幼いころから湯水のごとく聴き、弾き続けてきたが、未だにまったく飽きない。それどころか、もっと、もっとと、深淵なる世界への誘いを求めてしまう。

そんな愛すべきクラシック音楽は300年もの時を経て今でも音楽家たちを魅了し続ける。

基本的にクラシック音楽は楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。また、その演奏方法が何百年も変わらないのだ。

それでもたいがいの演奏家は口を揃えて言う。変わらないのが面白いと。演奏家の端くれであるわたしもそう思う。

クラシックの名曲には、偉大な作曲家のが込められている。その魂の力で300年前の楽曲が、現代でもまったく色褪せないのだろう。

長い時を経ても衰えない。迫力がある本物の世界。一方で変化変化の渦中に生きるわたし達。インターネットが普及してからは、新しい環境、新しい製品が簡単に手に入るようになった。

しかし、今では最新の情報や製品でさえも、すぐに古くなる。しかもそのサイクルはどんどん速まっているのだ。

ここで、変わらぬクラシック音楽を生業にしてきたわたしが感じることは、いかに技術が進歩しても、人間の生き様に関わる生老病死みたいな根本的な悩みはなくならないということなのだ。

だからこそ思うのは、生きた哲学にも通じるクラシック音楽を生活の中に取り入れてみたらどうか・・・という提案だ。

出身の音大ホール

誰でも、一曲ぐらいは、親しみのある名曲がきっとあるだろう。300年もの間、人々に愛され続けた曲。苦しみや悲しみを癒す曲など。

たった一曲持つだけ。これで深淵なクラシック音楽の愛好家になれるはず。

ちなみに、わたしの究極の一曲 バラードOp,2 ショパン作だ。これを弾くために音大へ進んだ。卒業演奏では、恩師の勧めでポロネーズを弾いた。これも時の運。

いつまでも憧れが尽きないクラシック音楽。ぜひ、一曲どうぞ。

ここで、以前のブログからエッセイを1本。

~ピアノを愛す~

●10年前の脳出血での後遺症による体の麻痺で、最近はピアノも前ほど弾かなくなっている私だが、演奏家としてだけでなく教育者としても弾けなくなってしまったあの大病。あの時、私の人生の支えだった音楽家としてのポジションが、心の中でがらがらと音を立てて崩れ去ったのだった。

突然の失意だったが、ハッと!気が付いたことがある。わたしは改めて見直すと、音楽にしみついていただけだったのではないかと。しかもその当時は、生活の糧でもあり、質より量をこなしていた。

音楽教室の運営にも刷新が必要な時期だったこともあり激務をこなす毎日。しばらくして、まったく別の出版社の営業職という形で、ビジネスウーマンとして働くことに決まった。そして発病。

それからは音楽が自分にとって純粋に精神的な支えとなってきたと感じている。

● もう、音楽の仕事にはしがみつかなくてもいいんだ、演奏を自由に楽しもう!と肚に落ちた事だったから、悔しくても後悔することは、当時ほとんど無かったと思う。それからは、毎年、秋には新しい曲を弾くために楽譜を用意する習慣ができた。自分だけの楽しみ。誰かに聴かせるわけでもなく、一人難曲に挑戦する至福の時間だ。

● 楽器が演奏できるということは、言葉にならない自らの思いを音楽に乗せて表現できる事だ。そうする事で、人生をより一層、豊かに魅力的に輝かせてくれるもの。

まるで、野に咲く花のようである。自分の手元になくても、そこにいけば厳然とある。決して摘んだりせずに眺めて楽しむことで十分な世界。音楽も手に取れない。でも音だけが流れる時間がそこにはあって所有しなくても躍動している。

 わたしはそこに深い価値を見出せたから、心豊かに人生を奏でられる音楽を愛おしくずっと携えていける財産だと心から思えるのだ。

● わたしの母は、わたしが学校に行っている時間にひとり弾けないピアノを良く奏でていたと、晩年になって本人から明かしてくれたことがある。

 そういえば、子どもの頃「いいねぇ みーちゃん(私の呼び名)はピアノが弾けるんだもんね」と、良く言っていた。それは自分が弾きたかったんだと思うし、でもだったら習えばいいじゃない!とは、一度も言えなかったわたし・・・。

 多分、厳しい練習やレッスンの現場を、わたしを通して長い間見てきたから自分には到底無理なことだと思っていたよう。また、父が副業で作った零細企業の雇われ社長を任されていて、人も雇っていたから時間的にも無理と諦めてしまったのかも知れない。

もうすぐ新盆なので母のことを思い出して加筆した。

● わたしにとっての楽器とは、特にピアノは弾く楽しみだけでなく、聴く楽しみも与えてくれるもの。偉大な作曲家の書いた楽譜を新たに一から勉強すると、また一つ新しい世界が開けてくるのだ。

 一生かかっても弾ききれない曲の数々。そこから新たに弾きたい曲を、仕事とは関係なく自由に選んで勉強できるだけの素養を、音楽大学で学ばせてもらった。本当に両親には感謝してもしきれない。

 私の専攻したピアノは一人で合奏できる多様な楽器、とても雄弁だな~とつくづく思う。自分の自己表現の手段としても、大切にして行きたい数少ないわたしの無形財産だ。

 6歳から初めて、もう約50年近くも一緒に生きてきた私のピアノ。今でも始めの1音を出すと全身の毛穴が全開するような錯覚に陥る。

そこから始まるわたしだけの音は、やっぱり誰にも譲れない最高の自分時間なのだ。

★2025年7月11日更新 WordPress 基本と極意~なぜ、WordPressなのか【紙上講座・本格ブログ編 ①】

2019年7月。わたしが急にWordpressというソフトウエアの勉強を始める!と言い出したから、元SEの夫が最新版のWordpress手引き書を買ってきてくれた。

ワードプレスの導入は書籍で勉強するのが最適

そもそもWordpressって何をするものか?

こんなところから始めた独学でのWordpress。世界の35%のWEBサイトがWordpressで作成されている!とつい最近の調査で知った。このブルーの本では27%・・・年々増加の一途をたどっている。

WordPressは、Wordpress Foundafion によって開発された無料のブログ作成ソフトだ。HTMLや CSSなどの専門知識がなくても本格的なWEBサイトを簡単に作成できるのと同時に、HTMLやCSSなどを使って自由に編集できる拡張性も備えている。

また、Wordpressのソースコードは公開されているため、世界中のWEBクリエイターによって、作成されるWEBサイトデザインコンテンツやプラグイン、テンプレートなどが無償(一部有償)で提供されていることから、デザイン性でも常に最先端のWEBサイトが独自で作成できるというソフトウェアなのだ。

新刊1
新刊2
新刊3
新刊4

夫が選んでくれたテキスト。ちょっとでも古くなるとWEB専門書は本当に役に立たない。家にある数十冊の専門書が古過ぎて使いものにならないと、仕事の合間に1時間もかけて選んだのだそう。費用は出世払いでいいという(笑)だいたい4冊で9000円前後。

わたしは、上記の上から3冊をよ~く読み込んで、4つ目の黄緑の🐼でWordpressインストールを始めた。

途中までは、意気揚々。しかし、この本も発売から一年も経っていないにも関わらず、すでに導入画面が違っていた。もちろん、テーマも昨年度版。これは・・・やはり初心者に必要なものは、最も新しいバージョンで書かれた書籍だということは明確だ。

※ ただ、書店に並ぶ書籍の最新版が本当にタイムラグなしで最新版か?書籍の出版では、わたしの経験値からすれば最短でも半年の猶予がいる。

今では、紙の書籍で鮮度を計るのはすでに時代遅れの感ありだ。

そこで、鮮度を求めてインターネットの記事を参考にする人も多いだろう。しかしわたしは、まずきっちりと編集された嘘偽りのない書籍で知識をつけることを主眼においてやっている。

その時に必要なのが、やりたいことややるべき勉強のおおまかな詳細と己の物事の理解度が重要になる。

インターネットの記事でも、己のリテラシー=言葉や説明の読解力によって、良い記事に巡り逢う確率も限られてくるものだ。

実際の立ち位置で、簡単に痒い所に手が届くような記事を漁って彷徨っているよりは、信頼のおける今すぐに使える書籍対価をかけるべきだろう。

しかも、少々高価な専門書籍を買うことで、本気スイッチも入りやすい。受験攻略の参考書を吟味した経験を持つ人ならわかるだろう。

すでに古くて使えなかったWordpress読本

WordPressへの移行を決めた背景は

わたしは、2019年当時、5年目のライブドアブログのユーザーだった。いわゆる無料ブログで3日に1回の頻度で徒然にブログを書き綴ってきた。

ある時、SNS上で見つけた記事に、ブログを書くのだったら、レンタルでサーバーを借りて、独自ドメインを取得してブログを書いた方が良く読まれる・・・といった下だりが目に入った。

良く売れるや、稼げるというのはちょっと知ってはいたのだが、よく読まれるとはどういうことだろう。

それは、SEO検索のエンジンが大きく、強い信号を持つWordPressのようなソフトウェアで作られたHPやブログは検索の上位に行きやすいのだそうで、特定のSNSサービスとは違い、あらゆるネットの流れに乗りやすいとうことだ。この説明には即、納得した。(Wordpressの基本と極意より引用)

しかし、大手の無料ブログサービスでも検索の上位には行けるはず。この点は無料ブログサービスとWordpressの違いはどこにあるのだろう。

どうやら、ドメインの育成をする箇所で起こる様々な要因があるようだ(集客とかこのあたりは、SEO対策となるから次回に)

レンタル?所有?独自ドメイン?ここから、サーバー及びドメインの存在を知ったのだ。そしてなぜ、独自ドメインを取ることや、レンタルでサーバーを借りることが必要なのか?

それは、無料ブログ(ライブドア、はてな、FC2など)は基本的にSEOへの信号が弱いという。現在は圧倒的にシステム運用されたユーザーエクスペリエンスが発揮されたソフトウエア WordPressでブログを書くのが良いのだと知った。(Wordpress 基本と極意より引用)

WordPressは、専門知識が乏しくても、割と簡単な操作で本格的なWEBサイトを作成できるソフトウエアである。

CMSを採用することで、SNSや他のブログサービスのように、HTMLを意識せずに記事作成ができる上、投稿もリアルタイムに反映される。

また、世界中のWEBクリエイターがテーマといわれるWEBデザインと拡張機能のプラグインを作成し、無償で公開してくれている!そしてWordpress本体の導入は無料だ。

これまでのWordpress への移行を簡単に書いてみた。

今なぜ、Wordpressなのか

懐かしのライブドア キッチンで撮ったワンショット

今のWEBデザイナー(クリエイター)に必要な知識を書き出してみる。

アクセス解析・SEO対策・セキュリティ・ユーザーエクスペリエンス・コストカット・トレンドデザイン・この7種の専門知識を持ち、Wordpressを使いこなせるか?いなか?がWEBデザイナー(クリエイター)の分かれ目だ。

さらに収入面でも格差は広がるばかり。

わたしが今からWEBクリエイターになろうとか、なりたい!とかまったく思わないけれど、知識を持っている、すでに独自のWEBサイトをWordpressで構築したという経験はすこぶるいいし毎日快適な使い心地。

稼ぐ道具としての価値しか見いだせない場合は、もっとデザイン性や使用感などに目を向けるといいかも。

1つの業界での革新にすぎないかもしれないが、すでに暮らしの核心部分にあたるソフトウェアの勉強。独学で続けてきたけれど、これからも精進していく。出世払いしなくちゃ(笑)

★2024年7月10日更新 美味礼賛~ワン・プレートの醍醐味と充実感が幸せをもたらす【健康・食エッセイ】

料理は家族のためにするもの・・・独身の頃も結婚してからも、ずっとそう思ってきた。

忙しい時はお惣菜の助けもあり


特に習うこともなく、見よう見まねで食事を作り続けて 早35年〜 週末に一週間分の食材を大量に買い込む。この数年の習慣だ。

買い物から料理の支度、後片付け、あれもこれもこと、食に関してはすべてやるのが当たり前。

残業で疲れていても待っている家族のために急いで作る、これは母親の仕事、これが私の料理観だった。

ひとり息子が25歳で転勤となり家を出た時のこと。私の料理観は一気に変わった。それまでは、何がなんでも手づくりしなくちゃ!っと、勢い込んでいたのが見事に崩れ去った。

疲れて買い物も何もできない時、食材が足りない時・・・今までなら何とかしてでもつくってあげなくちゃ!と頑張ってきたのに、いつの間にかそういう風に思えなくなっている自分がいた。


今では、夫が自分でやってくれるから随分と楽になった。わたしといえば、何も食べずに缶ビール1本で寝てしまうことや、ちょっとグレてちゃんとごはんを作らないことも週に1回はある。

毎月数回、わたしの作る天ぷらや煮物を食べに帰ってくる息子の存在と、もう自分の生活中心でいいんだよと、言ってもらいながらも美味しいものが好きな夫、余裕ができた今だからこそ、我が家の味を追求していきたいものだ。

仕事帰り。今日はお肉!にしよう。

料理って冷静に考えると、最低限の投資と努力で自分も家族や他の人も「幸せにできる最高の技術」だと思う。

 だからたとえ気が乗らなくても、何とかしてもっと料理の幅を広げ、以前のように楽しく美味しいゴハンを作りたいなあ、と思い直した。

今は、帰宅後、荷物を置いたら、すぐに手洗い、うがいして、腕まくりで、そのままお夕飯の支度をする。例えば、帰りに新鮮なお肉を見つけちゃったから買ってきた。すぐにハンバーグを作り野菜をグリルして大人の1プレートに仕上げる。

ただ1皿しか作らない。あとスープぐらいは付けるが、でもこれでちゃんと作った感じがするからよし!とする単純なのだ(笑)

このところ朝晩は1皿メニューを充実させる事で、何とか辛くなく、美味しく乗り切れている。

お料理上手な人、もてなし上手な人は本当に素敵。尊敬する。
上手な人は義務的にやってあげているとかまったく思わないで作り続けていけるのだろうな。

そして、誰もが喜び、唸る美味礼賛。

わたしなどは、この境地には至れない。だから、自分のためにやっているという気持ちに切り替えて自分の体調に合わせて、食べたいものを作ることでいいんじゃないかと考える。


なんだ,かんだ言っても今日もおいしく食べられれば言うことなし!
1皿で相手を自分を幸せにしよう・・・

ある有名料理店のワンプレートを撮る

赤毛のアンを翻訳したことで有名になった作家・村岡花子さんの作品に素敵な食に関する描写がある。ここで紹介する。

~エッセイ・美しくいきるために~

” かさねがさね “  ついこの間のことであった。
或るところへ数人の友だちと招かれて行った。素朴な手料理ではあるけれども、実に心のこもったもので、それぞれに美味がこもっていた。

次から次と心づくしの品が出された時、私の隣のK女史は美しい声で 「重ねがさねありがとうございます。」 と感謝した。

私は飛び上がるように感激した。 「重ねがさね」 とは実に時にかなった美しい感激の言葉であったのだ。


  日本の言葉のほのぼのとした美しさと暖かさを感じたのである。慎ましやかに頭を下げて 「重ねがさね」 と言葉で感謝する。

そしてその言葉は心にくい程の表情を持っている。
                 村岡花子・著  

★2025年7月9日更新 名言は自分を勇気づける言葉を選ぶ~宝物の名言たち【暮らし・智慧】

「知恵の殿堂にいたる道は、自分の無学を知るところから始まる」
                    ベンジャミン・フランクリン(米国・科学者)の言葉より

雨だからこそのフォトを撮る

座右の銘や名言を好む人、人生の指針にする人など様々だが、わたしは名言に関して思うことは、言葉や名言は機知だと考えている。機知とはその場に応じてとっさに働く鋭い知恵でありウイットに富んだものだとも言える。

例えば、ムーミンの最高のともだちはニヒリズム全開なミィ。彼女のひねり出す名言は誰の心にもチクっと刺さるものばかり。

誰にも真似できないミィの名言を拾ってみる。

画像を拝借

● ミーの名言

~時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。それね、本当のこと言われてるからよ~

~見てるわよ、あなたがしていること。あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね~

もうね。ぐうの音も出ない(笑)他の仲間だちの名言も秀逸だ。

名言に気づき、励まされる日々

人には誰でも、本来言い尽くせないほどの様々な人生経験があるはずで、土砂降りの雨にあったり、晴天の晴れ間が覗いたりとそれこそ人生色々だ。

思うにわたしなど、実に弱い生き物で逆風が吹けば「どうやって逃げようか?」また、失敗をすれば「どうやってごまかそうか?」などと、困難に遭遇した時、ついつい思いめぐらせてしまう。

それでも立ち止まることなく、なんとか歩き続けることができてきたのはなぜか?それは、自分を勇気づけ、ときには自分を律するような言葉を持つようにしてきたからだと感じている。

例えば、人の話を聞いて感動した言葉、哲学者の言葉、宗教からの言葉、歴史的人物の言葉などをいつもメモしておき、常に参照し、自分を鼓舞していくように仕向けながら毎日を送っているのだ。

 ● わたしが今まで書き残してきた 「名言」と「言葉」を紹介

◇ 楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなく今、現在の「ここ」だけを観るのだ。   A・アドラー(オーストリア・心理学者)

◇ 煩悩を断つのは大変だ。でも、逆に煩悩を断ってしまうと、エネルギーがなくなってくる。煩悩はいい意味で利用することが大切です。   梅原猛(哲学者)

◇ 高みに登る人は皆、螺旋階段を使うものだ。   F・ベーコン(英・哲学者)

◇脱皮できないヘビは滅びる。   ニーチェ(独・哲学者)

◇生きることは呼吸することではない。活動することだ。  ルソー(仏・哲学者)

● 言葉や名言はどんな栄養剤よりも効く

梅雨の晴れ間が待ち遠しい

言葉名言が自分を支え、元気をくれることに気づいてからは、意識的に仕事の現場や生活の上で口に出すようにしている。

人から教えてもらった言葉、本やメディアからのヒントになる言葉、自分の中からささやかだが血のにじむような体験から生まれた名言など、ただ、頭で思っているだけでは効果は半減である。

声に出して自分に言い聞かせ、実践に応用することで、トリガーとなる生きた言霊として胸に響くようになるものだ。

そうしていくとその振る舞いを見て、周囲にも少なからず良い影響が出てくることが多いと感じる。

楽しむために生まれてきたのだった

 最近は哲学的な言葉が好きになってきている。

歳を取り、古今の英知が少し分かってきたんだろうか・・・最近、とくに強く思っていることは、うまく行っているときほど従来のやり方を捨てることが肝心だと感じている。

こんなふうに先見の目を養いつつ、自分の将来を思い描いている。

まだまだ、新型コロナウイルス感染にも予断が許さない昨今だが、せめて名言を自分に与える行為で、気持ちの余裕を持とう!という提案だ

 ともかくも、「人生は楽しむためにある」のだから。