★2024年10月28日更新 ぎりぎりの買い物してる?~一世一代のお金の使い道について考えた【暮らし・お金への思考】

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お金ほど、人の執着や本質をえぐり出すものはない。

昨日、夫の大学病院でのこと。

現在6種類の投薬を受けているが、一つ減って5つとなった。成分の上から見て、もっと良い薬ができたからだそうだ。

薬が減ることは本当に嬉しい。

この5年の間、多額の医療費(入院費、手術代はローンを組んでいる。当日の治療費、投薬費は実費)を払い続けてきた。発病当初、約2年ほどは、毎月投薬費だけでも2万円とか!心臓や脳の病気はお金が底なしにかかる。

病院の通院日、わたしはたいがいお金のストレスから胃がキリキリと痛むのが習慣になっている。

人の身体って心の動きにとても敏感なんだと思い知らされてきたんだ。

そして、夢中で働いたこの5年間。

気づけば薬の量も費用も随分と減り(1ヵ月1200円程度、検診代も3か月に1回ぐらい3000円程度)となり、終わりの見えない暗闇からやっと抜け出したような爽快な気分になている。

私たちにとっては、大きな病気を治す「治療」自体が人生最大の「ぎりぎりの買い物」だったのだ。

結婚生活では、ささやかな持ち家、大型車、子どもの大学入試、親たちの介護や看取りと、お金のかかることばかりだったが、本当にすべてをやり通してきてわかるのは、「途中で投げ出さなければ、必ず勝機は見いだせる」ということだった。

全部、総ざらいをして己の無力さを痛感したあとは、粘り強く知恵と工夫で乗り切ってきた。

小さな敵は「見栄や外聞」なのだろう。

こうでなくっちゃいけない!と、世間との距離ばかりを考える自分から、いわゆる「等身大」の自分をさらけ出して生きることに、まったく抵抗がなくなったのだ。

こうなれば無敵だ(笑)

最近、大きな買い物もとんとしていない。

大きな買い物を考えている時は、すべてを洗い出すチャンスかも。

家でも車でも、ローンを組んだ段階で「ぎりぎりの買い物」だ。

子どもの頃は、月1回発売の月刊誌「りぼん」を買うのが「ぎりぎりの買い物」だった(笑)

今では、「ぎりぎりの買い物」に胸ときめかせるなんてなくなってしまった。

あーでもない、こーでもないと、悩む一世一代の買い物もそろそろやってみたい。

でも、お金でヒーヒーするのは御免だわ。

まったく想像もしないようなタイミングで「ぎりぎりの買い物」をしたい!と願うばかり。


10月27日は「文字・活字文化の日」~雑誌や新聞、書籍が不調でも「文字」はなくなりはしない~【文化・文字・活字と読書週間】

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• 文字・活字文化の日とは

出版文化の推進を目的として2005年に「文字・活字文化振興法」が制定されたことから、読書週間(10月27日から11月9日までの2週間)の初日を「文字・活字文化の日」とした。

               ☆彡

• 活字と本の話

わたしのまわりには読書好きの人がとても多い。

一方、世間ではこの20年あまり「本離れ」が加速してきた。それは言い換えれば「文字・活字離れ」ともいえるのかもしれない。

特に雑誌全般と新聞業界が厳しい。

インターネットの普及により電子出版やスマホなどのデバイスを介して文章を読む等、昨今では紙を介さない媒体がいくらでもある。

この10年ぐらいで時代が求める本の価値や役割が大きく変わってきているのだ。

しかし、活字=文字という観点から眺めたらどうなんだろう?

メールや仕事上の文書、SNSなど文字を使わない事は日常的にまずないはずだ。

わたしは「本離れ」が起っていると聞いた時点でも、「文字・活字離れ」はないんじゃないか?と考え続けている。それは「文字を読む・書く」という観点では広がりは尽きないからだ。

そして「文章を書く」ことについては無限に書き手を輩出できるのだろうと考える。

一生涯、なくならないであろう文字を紡ぐ事で、文字を容易に文章化できるスキルが身に付いてさえいれば、職にあぶれることがあったとしても、ネットという武器を利用してまず道は開けるだろう。

そのぐらい、文章を「書く」ことは「生きる」ことに直接的に繋がっているものなのだ。

また、読書好きの友人は本を読んで、感銘を受けた部分を小さなメモに書き留めていると聞いた。

数々の本が彼女の心に寄り添い、時に支えになってくれたと語る。

同じようにわたしも本に影響を受け、本によって目を開らかれ助けられ、人生さえ変わった。

もしも、本がなかったら・・・わたしの毎日はどれほど味気ないものだっただろう。

想像もし難い。

• 読むことから書くことを「本気で楽しむ」ようになったきっかけは

2015年6月、友人の兄である小説家の男性を紹介された。

小説家としてというよりは、投資家として成功し、投資塾を運営されていた。小説の精進として、かの森村誠一氏を師匠と仰ぎ、直接作品を見てもらっていたようだった。

小説家と2時間ほど歓談させて頂き、意外なほど巷の文学賞などにはまったく興味はないとおっしゃる姿に俄然興味が湧いた。

「へえ~、じゃあ、何で小説を書いているんですか?」と、わたしはとっさに聞き返してしまった。

小説家は「君ね、文章をこれでもか!っと書いてごらんよ。信じられない世界が広がるんだ。いうなればこころの空間みたいなものが手に入るんだよ!」と言った。

「毎日、仕事ばっかりしてちゃあ、こころの空間は手に入らないよ」「文学賞とはまったく無縁でいいんだ」と。

わたしは、この宝のような言葉を聞き出せて本当に良かったと、今でもしみじみ思い出す。

実はその時、小説家は末期がんの闘病中だった。

奇跡的に回復を遂げて、あくる年には2冊目の小説を出版され、紀伊国屋書店新宿店でフェアも開催された。

もちろん、帯のネームは森村誠一氏が書いてくれたのだ。

この小説家との出会いから、「本気で取り組むことがある人にはちゃんと時間や体という資産を神が与えるもの」だと、強く確信したのだ。

そして、小説家がひとこと「あんた、いい目をしてるね。大病をしたそうだが、病気なんか関係ないよ。ガンガン書いて!」と、言って下さった。

その後、小説家は75歳で天寿を全うしたと友人から伺った。

小説家にひとこと。

「ええ、貴方に教えて頂いたように毎日毎日、ガンガン書いてますよ。作家でもなく、ただの文章好きな物書きですが。でも書けば書くほどこころの空間はどんどん広がりました。驚きですね!「本気で書くこと」の楽しいことったら、ないじゃないですか!!」と、熱く伝えたい。

                 ☆彡

さて、今日から2週間の読書週間には何を読もうかな。

大事な時間を読書に費やすなんて、やっぱり素敵過ぎるわ。

今日は、あと2冊の山岳小説を読破して、明日は全く違う分野の本を探そう。

たったこれだけで「ワクワク」できるんだ。

美味しいスイーツもお酒も本には敵わないよ(笑)


「巡礼」がなぜ遠距離でなければならないのか?~それは、これまで関わったすべての〇〇を思いだすため~利に適ったウォ―キングのすすめ【健康・巡礼ウォーク】

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巡礼とは、宗教上の聖地を巡る旅のことだ。しかし、宗教がらみではない個人で巡礼を遂行している人の話を書いた。

一応、巡礼地の紹介をしておこう。

私たちが認知している世界の名立たる巡礼地は、キリスト教の三大巡礼地だろう。

「バチカン市国」イタリア

「エルサレムの旧市街とその城壁郡」イスラエル

「サンティアゴ・デ・コンポステ―ラ旧市街」スペイン

この3つだ。さしずめ、日本人だったら、四国八十八か所霊場を徒歩で巡る「お遍路さん」とかが真っ先にあがるんじゃないだろうか。

お遍路さんにかかる経費や日数は?

お遍路さんの歩く日数は45日。一日8時間~10時間(20~30㎞)を通しで歩くそうだ。

これを、45日とは恐れ入る。しかもツアー代が約50万円!そのほとんどが宿泊費と食事代だそうだ。

四国の一大観光収入となってきたはずだ。コロナ禍でいったいどのくらいの人がお遍路さんを巡行しているのか興味が湧いてきた。そのうち調べてみよう。

1200㎞を45日間かけて歩くロングトレイルだ。

そんな大変なトレイルをなぜ、大金をかけてやるのか?

• お遍路さんをやる理由とは?

お遍路さんをやる意味とは、祈願の目的で四国の弘法大師空海が祭られている霊場八十八か所を一番から順々に巡ることで煩悩を払い、願いを叶えるという行いだそうだ。

現代のお遍路さんになる一番の理由は「人生を変えたい!」だとある記事で読んだ記憶がある。

その記事からは「人生に嫌気がさした」とか「毎日がつまらなかった」とか、閉塞感が漂う理由がどんどん上がっていた。

その記事を読んだのがもう20年前のことだ。丁度、わたしの海外渡航熱が高かった頃でもあった。

お遍路ではなく、海外を歩き通すロングトレイルにハマったわたしの話

当時は旅好きが高じて、ツアーではなく個人手配のみで海外へ行っていた。現地ではだいたい路線バスや通勤電車を乗り継ぎ観光へと出かけていたものだった。

それこそ、旅行自体がまさにロングトレイルだった。タクシーとか特急とかには目もくれず、ともかく現地の観光を自分の足でどれだけ周れるか?が旅行のポイントになって行った。

息子が小学一年生になった年、NYを皮切りに毎年、世界の「どこか」へトレイルしに出掛けてきた。そんな「歩け歩け」ばっかりの旅行に息子は呆れていたのだろう、中学二年でリタイアした。

当時部活(サッカー)に夢中だったのもあって「もう!行かないよ!」っていわれちゃった(苦笑)

今、思い出してもあの歩く情熱はいったい何だったんだろう。

そして、今でもわたしの「歩く毎日」はささやかながら続行中なのだ。

• わたしにロングトレイルの意味づけをくれたある知人の話

おっと、話を巡礼に戻そう。

先に取り上げた「スペイン・サンティアゴ巡礼」(一般的な巡礼日数と経費 9日間・398000円)に毎年参加されているわたしの知人の話をしよう。

当時、50代で某大学の非常勤講師をしていた。ある日、わたしの主宰するピアノ教室を訪れて、ピアノが弾きたいので基礎から教えて欲しいと入門された。

その知人は、毎年12月に一か月かけてフランスのピレネー山脈からスペインのサンティアゴ街道を歩き切る「サンティアゴ・デ・コンポステ―ラ巡礼」に出かけている。

毎日、日の出から日没まで延々と歩く。巡礼も終わる頃には足の爪が何枚か剥がれるほど過酷なロングトレイルだと聞いた。

聞けば、NHKの「古寺巡礼」や「シルクロード巡礼」の番組制作にも関わったそうだ。

そこで、彼に「なぜ、巡礼するのですか?」とある日、興味本位で聞いてみたんだ。

すると、返ってきた答えが「今まで、関わったすべての人を一人、一人

思い出すため」に巡礼をするのだと。

究極の目的は、「その一人、一人との出会いに感謝し、安泰を願うのだ」と。

別に宗教上の理由からではなく、一個人がロングトレイルできる、トレイルしやすい環境があるのが「巡礼」だから選んで出かけているのだとも言われた。

「すべての関わったひとを思い出しながら歩くと、とても一ヵ月では足りない!」だからこの数年毎年出かけているのだそう。

今、思い出しても凄いエピソードだと思う。

自分の夢や希望は端に置いて、関わった人への感謝を祈るために歩く・・・。

その彼がわたしに言ってくれたのが「先生のことも感謝していますから、そのうちに感謝の思いを抱いて歩きますよ!」と。

さらにこうも言われた「例えば、巡礼なんて大げさな旅じゃなくても、歩きやすい里山や行きやすい土地を選んで登るのや歩くのでいいんですよ!」とも。

あの頃から、わたしのウォ―キングトレイル熱が高まったのはいうまでもない。

あなたも巡礼の旅がしたい!と思ったら、いつでもできる。

自分の願いや悔い改めたいこと柄を胸に抱き、歩けそうな土地を選んで詣出れば良いのだから。

※ タイトルの〇〇には「ひと」がはいる。

やったもん勝ちかも(笑)

★2024年10月25日更新 「短気」は治せる~いつまでも学び続けるだけ~【健康・短気と学習】

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「ぶん殴りおじさん」って知ってる?

今日、客先で聞いたのだけど、駅の構内や店先で急に「ムカムカする!」とか言って、そこにいる人に拳を上げるおやじが渋谷近辺に出没してるんだと。

自分の気分が悪いから、人に手を挙げる・・・という驚きの行動を起こすのだそうだ。

その理由は「ブチ切れた!」堪忍袋の緒が切れたという気持ちだけらしいよ。

ばっかみたいじゃあ済まない。

今日、話を聞かせてくれた書店員さんが言ってたのは、最近は「探している本が見つからない!」と、怒りキレて文句を言いに来るおじさんがいると。

真近でマスクを外して大声で怒鳴るので、もうヒヤヒヤだそうだ。非常識極まりないよね。

で、わたしにも電車での営業には「ぶん殴りおじさん」に気をつけてね ♪ と、気づかってくれたんだ。

幸い、今日の電車営業ではまったくおかしな人には遭遇せず。ほっとした。

                 ☆彡

「短気は損気」ということわざ?言い回しを思い出した。

意味はこうだ。

~辛抱できずに怒ったり事を急いだりすることは自分にとって損である~短気を起こすと損をするという戒めの言葉だ。

しかし、うつ病やアルツハイマー、交通事故、脳梗塞が原因で前頭葉に損傷を受けると短気になりやすい。

なぜ、短気になりやすいのかと言えば、前頭葉と他の脳器官の間が損傷して繋がらなくなっているから。

脳の連携プレーが効かないため、記憶がプッツンと切れたりする。防止するには定期的に脳を鍛える学習をするのが手っ取り早い。

脳トレ、刺し子、麻雀、RPGゲームなどとても脳に刺激を与えて脳の道=シナプスがどんどん成長するのだと聞いた。

                 ☆彡

私事だが、脳出血で脳の一部に損傷を追ったわたしは、やはり以前より「短気」になってしまった。

自分の気持ちが済まない時、急に不機嫌になり、頭の中がぐるぐる沸騰してしまう。

当然大声を出す、物を投げる、壊すとか発病後は頻繁にやっていた。怖いよね。わたしの母はそんな娘の姿を見て、驚きで涙目になっていたもん。

もちろん、とばっちりを受けるのは夫だった(泣笑)

急に怒り出したりするもんだから、「病気で頭がおかしくなっっちゃった?」とか、よく夫から聞かれていたっけ。

それで「おかしくなってなんかいない!」とその場にあったミカンとかメガネを夫に向けて投げつけたこともあった。

もう13年の月日が経って「短気」はほぼ影を潜めた状態。脳がより良い生活を送れるように改善の学習をしたのだと、主治医から聞いた。

こうなれれば「寛解」なのだそう。

何が言いたいのかというと、「短気が目立つ」場合や「異常に不機嫌な気分が続く」場合は病気を疑ってみよう。

もしかすると深刻な脳の病気が潜んでいるかもしれないから。

そして、もうひとつ脳の働きの話をしよう。

前頭葉の働きが損なわれるのは、何も事故や病気ばかりじゃないそうだ。

脳外科の主治医が言ってたのだけど、「脳は使わないと衰えます。逆に使えば使うほど良く働くものです」と。

わたしが「先生、よく使うってどうするんですか~?」と、アホな質問をしたら、「それはね、楽をしないで生きればいいんですよ!」だって。

ああ~、ずっと「楽に生きたい!」と願っていたんだけど、それじゃあ、わたしの脳はどんどん衰えてしまうだけじゃん!

というわけで、日々苦楽を共にすることで、今日も「キレない」一日を過ごせた。

まあ、日ごろから「楽」せず、前頭葉を良く働かせて、泰然自若と行きたいものだ。

※ 泰然自若・・・おちつきはらって物事に動じない。 安らかでもとのまま変化せず平気な様子。

「低山山頂」でコーヒーブレイク~休日は山でお茶する🎶【風景・山コーヒー】

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今朝、近所の低山山頂でお茶してきた。

もちろん、ザックに「淹れたてコーヒー」を作る道具(あらかじめ挽いたコーヒー豆とフレンチプレス)をコンパクトにまとめて出かけた。(ここの山及び都立公園内では火器の使用ができないため、保温ポットに熱湯を入れて持参する)

今月は、緊急事態宣言明けでたいそう忙しく、毎日かなりの仕事疲れを引きずりつつ頑張ってきた。

わたしの友だちが以前言っていた話を思い出した。

「ちょっと忙しかったりして、山登りを怠ると身体が変なのよね。調子が狂って何だかスッキリできないの」と。

彼女の健康法は、ただ山に登ることなのだ(笑)

その山が低いか?高いか?どのルートをどう登るのか?などには一切こだわっていない。

というより、まさに無手活流で、ひたすら山を目指す。そうすると、おのずから「気」が身体中に蘇るんだという。

要するに何もせずとも、山のほうから勝手に「元気」をくれるのだそうだ。 だから、心身共に健康を保つため、月に二回の登山を計画しているのだと聞いた。

なるほど。

今朝、夫に「外行ってお茶しようよ~」と、話すと、「山以外ならいいよ」と、素っ気ない。

しかし、わたしは「仕事疲れを山の気で追い払うんだから、一緒について来て♪」と、優しく誘った。

案の定、秋の低山は紅葉も美しく気持ちのいい秋晴れに、夫も「森林浴は気持ちがいいねえ」とか言い始めたのだ(笑)

そのぐらい、お天気のいい日の山は素晴らしい。ただ、忙しくて「遠くの少し高い山」には今月は行けそうもないから、「近所の歩きで行ける低山」を登って気持ちをなだめているんだ。

仕事中心の疲れが溜まったら迷わず登山する。

山に元気をもらい、自分を見つめ、気が散っていても本来の自分を取り戻せる。

これが登山の一番の効用だ。

それに山にさえ行ければ、健康は向こうからやってくるのだから。

★2024年10月23日更新 「備えあれば憂いなし」の精神を忘れずに~急に寒くなった10月の教訓【健康・いつもと違うに気づく】

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5年前の10月30日、夫が「急性心筋梗塞」で緊急入院をした。

その日、「いつもと違う」と感じてから12時間が経過していた。夫は自分で119を入れて、相談窓口で相談してから救急車を家まで呼び寄せ緊急入院をした。

その間、わたしは何もできずオロオロしていた。

大学病院に到着後、すぐに診察。家族への説明も「時間がない!」と、担当医師から言われるほど、せっぱ詰まった状況だった。

「あのまま、家にいたら・・・」死んでいたのだろう。

誰にでも、突然起こる「脳卒中」や「心筋梗塞」についてお話しよう。

「脳卒中」も「心筋梗塞」も脳内や心臓内の血管に対する問題が生じて、様々な身体の機能に障害が出る病気だ。

もっとも、ひどい場合はそのまま死んでしまう。(厚生労働省の統計によれば、2019年脳卒中では、なんと11万人近い人が亡くなっている)

コロナも相当怖いが、心筋梗塞や脳卒中も本当に身近で罹りやすい病気なのだ。

夫は、これまで発病からこの5年間に、塞がった血管から固まった血液を直接回収しきれいに除去する「カテーテル手術」を、合計6回受けている。

それからは、仕事も激減させて心臓に無駄なストレスをかけない生活へとシフトさせてきた。

ただ、安静ばかりではダメで、適当な負荷も与えないと心臓筋肉が衰えてしまう。そんなわけで、今ではわたしの趣味であるトレッキングに同行してトレーニングを重ねている状況だ。(通院は3か月に1回でOKになっている)

夫の心臓にはステントと呼ばれる網状の金属が6個挿入されている。この血栓回収療法というのが今では、最も多く一般的だそうだ。

カテーテル手術の何がいいのかって、それは、身体に直接メスを入れず、足の付け根や手首などから、カテーテルを挿入し、悪くなっている患部を画面を見ながらあっという間に除去できる。(まあ、アッという間にできるのは腕の良い医師だ。ドクターXみたいだよ。だって絶対に失敗できないんだから・笑)

こうした、最新の医療のおかげで、夫は当初大量に投薬されていた薬も今では半分ほどに減ったし、何しろ身体に合った投薬と食事療法でスリムになり元気一杯。

しかし、いくら良い薬や治療法が開発されて医療体制が万全でも「いつもと違う」という「まさかの時」を察知できなければ、後の祭りだ。

早く察知して、一刻も速く治療せねばならない。

この「いつもと違う」という感覚を普段から見逃すようなクセのある場合は要注意だ。(さしずめ、わが家ではわたしが見逃すタイプ・泣)

日ごろから、慎重な人は少々口うるさい。十分に注意せねば気が済まないのだろう。

災いは向こうからやってくるんだ!とか言いながら「備えあれば憂いなし」と、ほくそ笑む。

ここで言う「備えあれば憂いなし」は物じゃあないんだよね。気持ちや意識をちゃんと持っているかどうか?というものなのだ。

秋本番、過ごしやすくいい気分。

こんな時こそ、わずかな変化にも気づけるのが大事。

サスティナブルしてる?~わたしのサスティナブルな一週間「月曜から日曜」【暮らし・SDGs】

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SDGsにつながる暮らし方してる?

わたしは、仕事でもビジネスタイプのリュックを使うようになって、リュックのポケットにエコバッグも入れている。

エコバッグを使うようになったら、エコバッグ意外、他のバッグは要らないじゃん!って、思っちゃう。

もう、ハイブランドのバッグは要らない。(というか、元々持ってない・笑)

で、今使っているポリのエコバッグがたった一ヵ月でお釈迦になっちゃった。

まあ、次のもあるから全然、大丈夫。仕事の帰りに色々駅で買い物してるとすぐにダメになるんだよ。重いものを入れちゃうからね。

さて、わたしが今、実践しているSDGはエコバッグだけじゃない。

月末に、よくやっていることを日替わりで書き出してみよう。

                ☆彡

(月)週の始まりには、詰め替え用のオイルやフレグランスを買う。(良く使う物は詰め替え用ボトルを使っている。ヘアオイル、台所洗剤、シャンプー、洗濯洗剤、柔軟剤、リフレッシュウオーターとか、ほぼすべて詰め替えができるかが、購入のポイントとなる。

(火)環境に優しい調味料や油を吟味する。(営業先は大型ショッピングモールや駅ビルなどが多い。おしゃれな調味料やオイル専門店などを覗いて「サスティナブルラベル」なるものを発見した。

それは、科学物質に頼らない生産方法やフェアトレードなど、その商品の背景にあるものを知ることで、より、SDGsを浸透させる効果を狙ったものなのだ。

環境に配慮した、オイル、調味料、珈琲など口に合う物を探すのがちょっとした楽しみにもなっている。

(水)フードロス削減を考える動画で食べきるレシピをチェックする。(最近知ったのは、エノキだけの根っこを極限まで食べるとか・笑)

(木)メイクはナチュラルで。(いわずもがな。コロナ禍で化粧品はあまり買わなくなった。反対に「美容液」は天然由来にこだわって、様々な種類を買い込んで、夜な夜なお肌に栄養を与える毎日だ。

仕事でも「BBクリーム、頬紅、ブラウンのアイシャドー、メンソレータムリップ」これだけだもん。

(金)花を買うことは滅多にない。仕事でJRをよく使うが、そういった日に、たまに近県の観光案内キャンペーンで、季節の花を配るキャンペーンに遭遇したらほぼ頂いてくる。

今週は、地元の郵便局で小さな蘭を株分けして頂いてきた。こういうのが嬉しいんだよね。

(土)さあ、週末の買い出しで市場へ行く日。実用的な帆布のエコバッグにマチのついたナイロンバッグをいっぱい詰め込んで、一週間分の食材や日用品を買いだす。

(日)待ちに待った日曜日。やっぱり家電は日曜日に見なくっちゃ。気になる流行りの家電を見に行くの。今じゃ、レンタルとかもあるらしい。今度ちょっと調べてみよう。特にお高い家電が対象だ。

と、こんな一週間。果たしてSDGsにつながる暮らしが叶っているかしら?

まず、意識するところから始めよう。

エコに対するアイデアが身についたら、もう「優しい暮らし」を手に入れた人だよ。

★2024年10月21日更新 ブログの毎日更新をするのは「思考をまとめるため」~苦しまずに更新できる秘訣とは🎶【紙上講座・毎日更新】

【ブログ新規追加514回】

なぜ、ブログを毎日書くのか・・・。

それは、くるくると変わる「頭の中の考えを整理するため」にやっている。

あるブロガーさんが言っていた。ブログを1000日更新して、You Tube もすごい頑張って約3年間毎日更新もして、ただいま音声で発信をこれまた毎日されている。

続けるという行為は、当たり前でそのこと自体に意味はないと言う。「完全に習慣化されれば身につくことはわかっている」からやるんだと。

その方が、You Tubeを夢中でやっている頃も、現在、音声で発信をしている時も、たまに、ブログを更新することがある。

ああ、「思考のとりまとめ」を文章でやってるんだな・・・と、わたしはすぐそう感じた。

やはり、台本をきちんと用意されているYou Tube や 音声でも、しゃべっている間に忘れてしまったり、取り逃がしてしまう情報や、使うツールによって伝わり方の差異を感じるらしい。

そのへんの内容に厚みを持たせるためにブログにテキストとして残しているようだ。

で、最後には自分が書いてスッキリしたのを言葉にして必ず表現している。

このブロガーさんの記事を読んで、あっ!っと、気づいた。

わたしも「頭の中を整理するため」に毎日、Wordpressを開き、だいたい1000~2000文字程度で、様々な観点から文章で思考を言語化している。

これは、面白いんだけど、絶対毎日書いたほうがいいよ。

ネタが・・・とか、画像が・・・とか、キーワードが・・・とか、そんなの無視して「書きたいこと」をただただ、連ねてみる。

例えば、「その日食べたもの」や「その日出会った猫」とか、まあ、無数に出てくるだろう。もちろん写真ばっかり、文章ばっかりでもかまわない。

そういった「書きたいこと」をばばば~~~っと、書き出す。それこそ猛スピードでね。

毎日、「書ける時に書けること」を書こう。そのうちに驚くほど、頭の中がスッキリするはずだ。

こうなれば、「毎日更新なんて、絶対ムリ!」から「案外、できるじゃん!」に変われるんだ。

                ☆彡

ブログ毎日更新の秘訣(技)

あと、これだけは押さえておこう。

文章の配列だ。

一番はじめに書くのは「結論」

二番めに書くのは「その理由」

三番目に書くのは「その詳細(書ける限り)」

これを押さえておけばあとは、どーでもいい。

朝や夕の挨拶とかムダかも(笑)

だって、友だちはみんな忙しい中、ブログを開いて読んでくれるなんて「神」だとしか言えない。

せっかく読んで頂くのだから、文章は明瞭かつわかりやすい「ノンストレス文章」をめざそう。

何となく、「継続が苦手な人」「飽きっぽい人」にはぜひ、一度試してもらいたいと思って書いてみた。

これは、文章だけじゃないかも。

好きなことで頭の中がスッキリするんだったら同じだ。わたしは大の掃除好きだが、料理や掃除も同じ感覚がするんだよね。

というわけで、ブログを毎日更新する理由を話した。

カメラを持って山に行く醍醐味~ふとした気づきを撮る楽しみを知った話【風景・山とカメラ】

【ブログ新規追加513回】

あっ・・・と、気づいた瞬間にシャッターを切っている。

これは、山では当たり前の風景だ。山には信じられないくらいの気づきがある。

だから、常に立ち止まってしまい、ちっともタイムコース通りには登れないんだ(笑)

物陰に小動物や野鳥を見つけてしまったとか、雨のしずくや木漏れ日ごしの光のシャワーなんかが、わたしの足を留めさせてしまう。

これが、わたしの大好きな山歩きの風景なのだ。

写真を撮る・・・それだけのためにわざわざ山に登っている。

山歩きは発見の連続だ。山歩きを始めた時は、「もう、早やく帰りたいなあ」と、密かに考えるほど、疲れることを厭っていたのに、今では、カメラというお供を得て、登るたびに新たな発見があり中毒気味。

これだから、山とカメラはやめられない。

まるで山の一部になってしまったかのような植物の香りを吸い込みながら、自分の10m先も見えないガスや霧で視界が遮られた瞬間。

こんな体験はなかなかできないだろうなと、思いながらシャッターを切る。たぶん、その時はその場に溶け込んでいるのだと感じる。

しかし、山は基本的には危険なところだ。撮影の注意やルールをしっかりと頭に叩き込んでおかなければいけない。

⦿ 撮影登山の注意点

• 装備を整える

• 登山届けを出す(山岳保険に入る)

• 低山ハイクからスタートしよう。いきなり高山には挑まない

• 天気が悪ければ延期する。途中で悪天候になったらあっさりと引き返す

• 地図・コンパス・ヘッドライトは必須携帯品

• 撮影は時間がかかるので、コースタイムは多め(1,5倍ぐらい)に取る

• 事前に地図でルートの確認や時間の把握をする

• 午後3時になったら下山

と、だいたいの撮影登山の注意点を書いてみた。

⦿ 撮影時の注意点

• ファインダーを覗きながら歩かない

• モニター画面の確認をする時は、後から登ってくる登山者の邪魔にならないように避ける

• カメラが邪魔になるような険しい道を歩く場合は、カメラはザックへしまう。

• 撮影後、すぐに立ち上がったりしない。常に後ろの人がいるかもしれないという危機感を忘れずに(ぶつかり防止)

• 登山道から外れない

• 自然や野獣にダメージを与えるような撮影はしない(植物を折る、餌をやるなど)

• 他人の通行の妨げになったり、他人を勝手に撮影しない

• 撮影場所は立つ位置に最も注意が必要

• 撮影のためにぎりぎりまで粘らない

と、山での撮影に大事な点を抜き出してみた。

               ☆彡

山はリスクが高い所だ。怪我や下手をすると遭難という死の危険すらある。だからこそ、こういった、撮影登山の注意点をこれまで幾度も参照してきた。

道迷い、滑落、天候悪化からの遭難は決して他人事ではない。身近にあるもの。

山の中での写真撮影は重要度は低いものだから、安全な登山を最優先させることが肝要だ。

しかし、健康のためだけに山にはなかなか登れない。

山の自然を撮影する・・・といった動機があるから山へ行けるんだ。

しっかりと安全点検して、ルールを守って山の撮影に行きたいものだ。

山にはそこにしか感じることができない発見が無数にある。

秋の一日、ぜひ紅葉を愛でに撮影登山と洒落込んでみては?

「最高の一日」はすぐそこにあるもの【風景・旅再考essay】

【ブログ新規追加513回】

長かった東京の緊急事態宣言が明けた10月。

あれだけ訪問不可だった客先が、ほぼすべて戻ってきた。

以前の忙しさが戻ったわけだが、疲れが妙に心地よい。

それぞれ苦しんだ分、解禁の喜びには計り知れないものがある。

さて、明日は勤務先の「創立記念日」で全社員が休日を取る。(取らなくっちゃいけないので・笑)

毎年、たった一日だけど、この日だけは思いっきり羽を伸ばして前泊してホテルステイするとか、優雅なコースでの食事をするとか、趣味を楽しむとか、思う存分昼寝をするとか(笑)、溜まった日報を仕上げる(泣く)など、会社員ならではの休暇をそれぞれが過ごす。

わたし?わたしもどーするかな。会いに行きたい人もいるし、遠くへは出かけられないけどお天気次第では近所でトレッキングでもするかな。

山の本(エヴェレスト)も読了寸前だし。読み切ろうっと。

で、一日休暇を目前に「旅」のアレコレについて考えてみた。

                 ☆彡

人はどうして「旅」を続けるのだろう?

それは、まだ見ぬ世界に出会うため?もっと美味しい物に出会うため?

いずれにしても、「最高の時間を過ごすため」に「旅」をするのは間違いない。

さらに続けると、どんな小さな旅でも数日、家から離れて戻ってくる場所は、何ら変わりない「いつもの風景」だ。しかし、その「いつもの風景」の持つ、優しげな安心感は絶大なものだ。

帰る場所のあること、戻る仕事のあること。

当たり前の日常がおかえり~♪と、「旅人」を出迎える。これが、喜びでなくて何なんだろう。

いつものご飯の美味しさにほくほくし、家の植物に水をやり、しみじみ「家はいいなあ」を繰り返す(笑)

たぶん、この平凡な日常を「最高の一日」に変えるのが「旅」の本質なのだ。

また「旅」に出ると、生きる意味がどんどん深くなる。それは、より鮮明にクリアになるんだ。

要するに、「幸せのカタチ」がハッキリと見えてくるのが「旅」の究極の目的だと思う。

一番行きたかったところや一番食べたかった物との出会い。

それらを取り巻く人との出会い。

こういった細やかな出来事が多ければ多いほど、人生の引き出しは、ぱんぱんに膨れるだろう。

それが得たいから「旅」に出るのだ。と、「旅の目的」を解釈し着地した。

              ☆彡

もう、若い頃のようにハチャメチャな行動はできないし、したくもない。

それよりは、夫とふたりで山のような思い出を築く「旅」であればいいな。

そのためには「健康」でなくてはならない。

さて、明日の休暇を楽しむ前に今日もがっちりと仕事をしよう。

そして、明日の休暇を「最高の一日」となるようにストーリーを描いておくの。

そうすれば、ストーリー通りの「最高の一日」がやってくるのだから。

事前準備まで楽しみは尽きないわ(笑)