『建築家になりたい君へ』隈研吾(河出書房新社)【書評・ワークスタイル】

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建築家になりたい君へ (14歳の世渡り術) 2021/2/26発刊

まだ、刊行されて4か月に満たない新刊のレビューを書く。

~10歳で建築家を志し、国内外で多数のプロジェクトをてがける今もっとも注目の建築家が建築知識満載で綴る10代へのメッセージ。

今年、後半に隈研吾氏の設計したところへ行く予定を立てたばかりで、せっかくなんで前持って勉強しておこうと手に取ったのだ。

建築家とは、そしてこれからの建築とは――。

もくじ

はじめに

隈研吾と主な建築物(写真)

第1章 動物好きから建築好きへ
はじめて出会った建築家
教会と「ぼろい家」
ものすごい「高さ」の衝撃
建築の「追っかけ」になる
家族の設計会議
高さの時代――1964年
食べ物と建築家
建築家と蝶ネクタイ
父の社会訓練

第2章 人間を知らないと、建築は作れない
キャラの濃い神父さんばかりの学校
3日間誰とも話さない強烈な「黙想」体験
「建築を作る」という最大の罪
期待を裏切られた大阪万博
アフリカへの夢
建築と学園闘争の関係
建築の奥にひそむ社会問題
日本の高度成長を支えたnLDK住宅
人間を知り、建築を知る

第3章 夢のアフリカ旅行が教えてくれたこと
偉大な先生との出会い――在来木造と建築保存
変わり者の先生と誰もいない研究室
アフリカへ行きたい
行くまでの準備で学んだ「大人」との喋り方
アフリカで学んだ「人を信じる」こと
建築家をそばで見る大切さ

第4章 アメリカ留学で気付いた日本の魅力
「大人」の勉強をした6年間
時代の変わり目のニューヨークで学ぶ
建築界の神様達の人間らしさ
直接会ってみないとわからない
アパートに敷いた2枚の畳
日本の伝統建築の再発見

第5章 はじめての建築――“脱衣所”みたいな「伊豆の家」
スタートに出遅れたことが役に立った
はじめての建築――脱衣所みたいな家って?
建築は芸術か
脱衣所を現代の茶室に

第6章 予算ゼロの建築――「石の美術館」
「仕事がない」ことこそ大切
建築家は長距離走者
予算ゼロの建築依頼
エンジニアとのチームワーク
恥をかくことは挑戦の第一歩

第7章 日本の田舎から世界の田舎へ――中国の「竹の家」
中国への初挑戦
建築は「流れる」もの
現場で浮かんだ「竹の長城」のイメージ
熱意に応えれば、何倍にもなる
短所も大事な個性のひとつ

第8章 ハコの先の建築を探して
「小さい」事務所から「大きい」事務所へ
キャラ立ちした建築って?
いい建築は、まわりの人に愛されてこそ
建築家とは待てる人
新たな時代の「低い」国立競技場
世界へ飛び出すおもしろさ
「小さな仕事」をやり続ける
「傘」で挑んだ新たな時代の家

ここからはいくつかの章からのレビューをどうぞ↓

● 第1章レビュー

~初めて出会った建築家とは?

1964年の東京オリンピックの時に、父親に連れられて、丹下健三先生の設計した国立代々木競技場を見た時、建築家になろうと決心したという。わずか10歳だった。

その日、初めて建築家という職業があることを知ったのだ。それまでは、漠然とだが、ドリトル先生の影響や猫との暮らしから将来の職業に「獣医」を思い描いていた。

10歳、小学校4年生の時に獣医から建築家への道が開かれたのだ。

● 第5章レビュー

~スタートに出遅れたことが役に立った~あの建築家を超えるエッジとは?

1986年、設計事務所を東京に立ち上げた。当時の日本はバブル経済の真っただ中。土地の値段はグイグイ上がり続け六本木のクラブではボディコンギャルが毎晩踊り狂うという異常な感じの日々だった。

当時、最も流行った建物は「コンクリート打ちっぱなし」というおしゃれというかクールで無機質な建築を大手ゼネコンが次々と建てて行った。

「コンクリート建築」といえばあの人をおいて他には見当たらない。安藤忠雄氏だ。高卒で元ボクサーで、独学で建築家になった類を見ない非凡な安藤氏。

安藤氏、衝撃のデビュー作「大阪・住吉の長屋」は研ぎ澄まされたコンクリート打ちっぱなしの住宅だ。(1976年)時代の先端に立つ安藤氏の建築に誰もかれもが酔いしれた。

「都市ゲリラ」というのが、当時の安藤氏のキャッチコピーだった。消費社会のうわっついた中身のないペラペラな世相に対し、飾り気のないコンクリート打ちっぱなしという素材でクサビを打ち込んだのだ。

そんな孤高の存在感に隈氏のまわりの建築家志望の仲間が、どんどん安藤信者となって行く。その中の一人がある日、安藤氏にダイレクトでコンタクトを取り、住吉の長屋を見せて頂ける機会を得たのだ。

もちろん、隈氏も同行した。友人たちは住吉の長屋のディティールの美しさに大絶賛。一方の隈氏は終始白けたムードだった。確かにシンプルで美しい。ただ、すでに住まわれている方は広告代理店勤務の高収入エリート。大阪のど真ん中に土地を持ち、あの建築を建ててもらう、言わば勝ち組だろうと。

隈氏はとっさに感じた。

「どこがゲリラなんだ?!」

「反体制、反資本主義とかポーズじゃないのか?!」

庶民に寄り添う建物の概念がまったく違う建築を目の当たりにして、一気に白けてしまったのだった。

ただ、当時の安藤氏は「住吉の長屋」「光の協会」などコンクリート打ちっぱなし建築においては氏の右に出る者などいない状況だ。

安藤作品との出会いが、独自の路線を歩み始めるきっかけとなった。

ここから、隈氏の一歩出遅れた巻き返しが始まる。透徹した木材や紙など身近な人に優しい素材を用いた建築に没頭していく。

その数年後、石を使った教会を建築するが、基本的には木材を筆頭に竹や段ボール、トタンなどの安い素材も資材として大いに使用していった。

隈氏の一環している建築への着眼点は、ただひとつ。

それは「普通の人、謙虚な人」この目線を持ち続けてきたのだそうだ。

~建築家自身が徹底的に普通の人、謙虚な人でなければならない。独特の考えや美意識を押し付ける人は神であっても建築家には不向きなのだ~

ここまで、読み進めて建築家は神様でも変人でもなく普通の人だったのだと、誤解が解けたような気がした章だった。

● 第6章レビュー

~「仕事がない」ことこそ大切~

1980年、東京でいくつかの都市計画に準ずる建設を依頼されて意気揚々と挑み続けていた矢先、1990年バブル崩壊を迎え、依頼されていたすべての仕事が瞬く間に無くなった。

それから、東京での建築依頼を受けるまでなんと、10年を要するのだった。

しかし、この10年があったからこそ、己の建築技術を磨く最高の暇を天から授かったのだと、心から言えるのだそうだ。

今、建築家を目指す若い人への「メッセージ」を上げるとすればこう言ってあげたい。

~仕事がないことが建築家にとって一番重要です。仕事があると、ついつい仕事に追われてしまう。仕事がないと、いろいろ考えることができ、自分の方法、自分の建築を見つけられるかもしれません~

隈氏の仕事観で最も重要な観点は、「常に長距離走者であれ!」と言い続けているところだろう。「人とモノに興味を持ってしんぼう強く、遊ぶように走り続けよう!」と、若い建築家志望へのエールを贈っているのだ。

最後に

久しぶりに一気読みをした。写真の先週借りた本はすべて目を通すも、レビューを書きたい!と、思えた本はこの隈研吾氏の本だけだった。

わたしが、レビューを書きたい!Amazonの広告を載せたい!と感じる書籍に共通してる視点は、「本の中に埋蔵金=人生の宝が隠されている」と、感じた場合のみ。

誰にでも簡単に埋蔵金を見つけるのはちょっと難しいかも。

それでも、一度騙されたと思って読んでみて!

わたしでも見つけられなかった、埋蔵金を見つけられるかもしれない。

可能性しかないよ(笑)

読書はまったくもって計り知れない、

エルドラドだね。




エルドラド(黄金郷)なのだ。

★2024年6月10日更新 おすすめシネマ~ブックセラーズ~NYブックフェアとは売買と発見の間を走るジェットコースターだ【書籍の文化】

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ブックセラーズ 簡単レビュー

~味わい深くてクレイジー。希少本の世界へようこそ!~

「NYブックフェアとは、売買と発見の間を走るジェットコースターだ」

品揃えで個性を競う老舗書店やブックディーラー、希少本コレクターが集結。その舞台裏を追いながら、ブックセラー奥深い世界をひもとくドキュメンタリーだ。

登場人物は皆「味のある変人」ばかり。

「世の中にはコレクターと、コレクターを理解できない人の二種類が存在するものだ」と、変人たちは口を揃えていう。

見た事のない本、それにまつわる逸話、伝説のディーラーやコレクターのエピソード満載。普通の書店だけが本の流通する世界じゃない。まったく知らない世界が暗躍する。

気のきいたかっこいい編集で99分あっというま!だそう。

しかし、緊急事態宣言下の東京では上映会場が激少ない(泣)

ヒューマンシネマトラスト有楽町とかキネカ大森・・・だけ。

早くTSUTAYAとかのレンタルDVDがリリースされないかな。まだ映画上映中じゃあ、無理だよね。

というわけで、「本好きコレクターが挑む希少本の世界」といったディープな内容の映画の紹介だ。

わたしが日頃感じているのは、本屋は基本的に本好きが勤めている場所なのだ。

本の話ならもれなく聞いてくれるし出版社の話を聞く義務ともいえる使命が存在する。

ああ、この人は本が好きなんだな~と感じる書店員さんに出会えると「同胞感」を感じるほど一定の安心感が漂う。

だから、この映画、本を売るわたしが観なくて誰が観る?

わたしもまだ観ていない。観たらこのページを更新する使命があるとさえ思っている。

監督 D・W・ヤング

製作 ジュディス・ミズラキーダン・ウェクスラーD・W・ヤング

製作総指揮 パーカー・ポージー

キャスト

~この映画に登場するブックピープルの顔は、どれも例外なく美しい~



★2025年6月9日更新 6月9日はロックの日だから~Van Halen「Jump」を聴く【暮らし・音楽の力】

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6月9日。Rockの日だって知ってた?

今日は世田谷のすぐ隣りまで営業だった。

国道20号も猛暑で、道路が揺らいでいる。6月だよ?梅雨は?

この暑さで、一日快適に運転するためには、音楽の力を借りるしかない!と。

すぐに思いついたのは、ピーカンのドライブにぴったりな曲。

Van Halen の 名曲「Jump」これで行こう!と、音源を用意して、早朝洗車して、

冷たいドリンクも用意して準備万端だ。

自宅から約1時間30分の道のり。その間中「Jump」をかけっぱなし。

今日の暑さに合い過ぎの選曲に自分でも驚きだったよ(笑)

イヤでも元気になる選曲のおかげで商談も大成功。

                  ★

今日はロックの日だからあやかってみたのだけれど、こんな話を聞いたことがある。

ある脳外科や心臓血管外科の執刀医の話だが、手術室で思い切りヘビメタを聴きながら執刀するのだと。

それは、リズムとスピードが重要な手術の現場では、躊躇してる暇はまったくない。そんな厳しい状況をスピード感たっぷりのヘビィメタルを聴き、リズムと共に手を動かすのだそうだ。

そんな、不謹慎な・・・とか言われそうだが、これは利に適った方法だと思った。音楽の持つ底力をも信用して使う外科医の真摯な姿。

絶対に失敗できないし、失敗しないのは、自己コントロールがしっかりとできている上にこうした音楽などのツールを使い切る柔軟性があるからだろう。

これが、スローなおとなしい選曲だったらどうだろうか。一瞬の判断もミスってしまいそうではないか?

というわけで、今日6月9日はロックの日だ。何か好きなロックを聴いてみるのはどうだろう。

すごいアドレナリンが噴き出すかもね(笑)

そうそう、英語で「(貴方は)かっこいいね!」はなんというのか?

You are cool という。

今日はcool を Rockに替えてみよう!

画像付きの「Jump」もどうぞ。


今年のアナベル~開花情報6月8日~そろそろ見頃を迎えて【神奈川県相模原市/相模原北公園内・あじさいの丘】

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神奈川県相模原市の花は紫陽花。(昭和49年制定)その紫陽花をこれでもか!と堪能できる県で唯一の場所、

資料先→ https://www.youtube.com/watch?v=EmX2GuEDI9s (神奈川新聞より)

紫陽花の女王、真っ白なアナベルの開花状況を見に行ってきた。今日も、真夏日で本当にうだる暑さ。

さすがの紫陽花もきれいはきれいなんだけど、雨と共に濡れて輝く紫陽花が見たかった。う~ん、残念!

それでも気を取り直して、かなり人出が多かったあじさいの丘でしばし撮影に没頭した。

約200種類、10000万株の紫陽花の競演だ。お目当てのアナベルもだいぶ白が混じってきて、幻想的な雰囲気。雨の中煙る白い絨毯のようなアナベルは、また来年におあずけしよう。

● 紫陽花の女王アナベルのちょっといい話

梅雨時期のしっとりとした雨露にさらされた紫陽花の青や紅紫の慎ましく靜かな風情は、まさに「これぞ、ザ・日本!」と、言えるほど日本人の好みにマッチした花だろう。

                   ★

 特に、ガクアジサイがわたしは大好きだった。

幼い頃、覚えた折り紙で紫陽花の花を折り目正しくきれいに何十個も折り、青や紫の紫陽花の花をどんどん完成させて、父や母しまいには小学校の先生に見せると、それはそれはいっぱい褒めてもらったものだ。

「丁寧だね」

「角をきっちりと折れてるね」

丁寧さを褒められるのが一番好きだった。

褒めてもらえるのが嬉しくて、花を折るのがどんどん上手になった。

「手先が器用だね」と言われてるのも嬉しかった。

実は、折り紙は今でも得意なの。

たまに、昔を懐かしんで折り紙に没頭するのは一年に一回ぐらいかしら。

ボケ防止じゃなくてよ(笑)

                  ★

子どもの頃大好きだったガクアジサイ。大人になった今では、そういった、日本的な美しさとは一線を画した真っ白い紫陽花、生まれは北アメリカ原産のアナベルが大好きになった。

大好きになった理由は、白い花が好きだったある女性の影響から。その人は「私が亡くなったら、白い花でおくってほしい」と、周りに告げていた。

その通りのお見送りとなった。

                  ★

アナベルは、アメリカ原産野生種のワイルドホワイトハイドランジアを園芸種として品種改良したものだそうだ。

純白の花は可愛らしく、6月の花嫁のブーケにも使われるようになったことから一大ブームに。

写真↓は福岡アナベルハウス(ウエディング風景写真を拝借)

ガクアジサイなどの一般的なあじさいの花は、土壌が酸性かアルカリ性かで花の色が決まるものらしい。

しかし、このアナベルは土壌を選ばず、どこででも純白の花を咲かせることから、永遠の清らかさを醸し出す6月の花嫁が携えるブーケに使われるようになった。

花言葉も「ひたむきな愛」とされている。

素敵よね。

● アナベルの見頃はいつ?

アナベルの見頃は、他の紫陽花よりも少し遅めだ。初めは緑一色の幻想的な雰囲気だが、徐々に白く変化するから、期間中、何度もあじさいの丘を訪れる人が多いんだそう。

例年では、6月後半から7月前半に見頃を迎える。

他の品種も同時に楽しみたい!という場合は、6月中旬が狙い目だ。

2021年6月8日は、アナベルはまあまあ、見頃じゃないかな?他の紫陽花もかなり咲きに咲いてた様子。

今年は、暖冬だったために例年より、若干花の動向が早い。タイミングを逃さないようにしよう!

最後に。

以前のブログを再登場させる。詳しい施設案内を書いた。

 

★2024年6月7日更新 神奈川県の郡部に行く~せっかくなので神奈川県の郡部を紹介しよう【写真で綴る旅・神奈川県愛甲郡】

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日本には未だ、市になっていない郡部地域が48もあるそうだ。

わたしの仕事先で、唯一の郡部が神奈川県愛甲郡に一件ある。

東京都の郡部は西多摩郡だけなのだが、現在、その地域での仕事がないため訪問してはいない。

興味が湧いて調べてみたら、神奈川県の郡部は7つもあるそうだ(驚き!)

ここで、郡部の説明を少し説いてみよう。

郡は、行政区画の一種。中国・日本・朝鮮などの漢字文化圏に導入されたものである。(Wikipediaより)

市となるには3つの大きな定義がある。

① 人口5万人

② 各地域の中心となる市街地が6割以上を占める

③ 各都道府県で定められている都市的な施設が存在する(駅、警察署、郵便局など)

このような定義だそうだ。

資料先→市区町村郡の違いとは?定義や要件、人口の基準をわかりやすくhttps://netwadai.com/blog/post-8223

やれやれ、市になるのも大変。

ま、単に人口が規定に満たないだけで市への変更がままならないだけだろう。だからこそ、豊富な山や川などの自然がいっぱいある場所ばかり。

特に神奈川県の郡部は都市からも近く、開けた場所が多いことから、近年、密かなブームとなっている。

で、今日、町田市から愛甲郡愛川町での仕事が早く終わったので、ずっと懸案だった中津川の上流を渓流ドライブしてみた。

さっさと帰るには惜しい夏日となったから。

いったい梅雨はどーなるんだろうね(笑)

                 ★

愛川町の田代という場所に行った。歴史的建造物見事な水田を、上から見渡せるベタ踏み坂を一気に降りるドライブを満喫する。

戦争の傷跡が残るリペット橋 平山橋(国の登録有形文化財)

資料先→愛川ポケットhttps://pocketniaikawa.com/a_016/

ここには徒歩と自転車やバイクの2輪のみが渡れる歴史的な鉄骨の橋がある。

平山橋付近に車を停めて写真撮影した。

次回は、橋を歩いて渡ってみよう。ライトアップも見てみたい。

田代運動公園周辺

この橋の付近にある田代運動公園の駐車場に車を停めて10分ほど中津川中流沿いを散歩。真夏日となった今日は、鮎釣りの釣り人が本当に多い。

実際は、蔓延防止対策で6月20日まで川沿いには一切入れない。釣り人は遊漁券をコンビニなどで購入して、所定の場所でのみ釣りを楽しめる。

箕輪耕地遠望 (車を停められず、写真はWEBより拝借した)

資料先→愛川ポケットhttps://pocketniaikawa.com/a_018/

遥かに広がる田園風景。田んぼをまっすぐに走る道は水道みちと言われ、かつては半原(愛川町)の水源地から横須賀まで水道水が送られていた。

川をわたるたびに鉄骨の橋が現われる。

普段はまったく違う都市部の仕事場ばかりだから、

新鮮な気持ちで、1時間ほどドライブできた。

田代からの帰り、薪と炭の専門店とくらやを訪れた。

針葉樹の薪、一束450円から(安い!)

で、すごいのが、薪や炭を購入したら、廃材の詰め放題ができる!

次回、絶対にやろう(笑)詰め放題ね。

資料先→アメブロhttps://ameblo.jp/hbshbs56905/entry-12632862990.html

さて、家まで1時間半。

サッサと帰る♬

おはぎ(ぼたもち)の簡単な作り方~たまに食べたくなるあんこのお菓子【暮らし・おはぎ(ぼたもち)】

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6月、水無月に入って一週間。

関東の梅雨入りは平年だと、今日か明日。でも何だかまだみたい。

暑くもなく、寒くもなく、過ごしやすい毎日だけれど、冷やし中華にはまだ早い。

で、急に思いついて、朝も早よから、「おはぎ(ぼたもち)」を深々と作った。

材料は、昨日のうちに用意しておいた。

国内産もち米+うるち米(190g)

北海道十勝小豆(400g)

糖質制限を続けているけれど、たまに、こうして「チートディ」という、食べたいものを食べていい日を設けている。

一昨日、夫が、「たまにはあんこモノ食べたいよ~」と、言い出した。

もう、そろそろチートディの出番だ。

さて、意外なほど簡単な「おはぎ」の作り方を書いてみよう。

おはぎ(ぼたもち)10個 の簡単な作り方

材料/10個分

もち米とうるち米のミックス(190g)※ もち米1,5合 うるち米1合ぐらい。

小豆(400g)

砂糖(270g)※我が家では糖質制限中でラカントを適当に使っている。

あれば、黒ゴマ、きなこなど適量。

作り方

① お米を普通に炊く。

② 小豆を煮る。(あくを取りながら20分程度煮る。煮えたらざるに上げて冷ます。冷めたら流水で濁らなくなるまで流してざるに上げる。上げたらボールに取り砂糖を入れて良く混ぜる。※半分の量を別のボールに入れてすりこぎで潰しておく)

② お米が炊けたらボールに移し、粗熱を取っておく。粗熱が取れたら、すりこぎなどで好みの粗さに潰す。(地方によってはこの米粒が残っている状態をはんごろしという)

③ はんごろしができたら、10個分に丸めておく。

④ ラップを大き目に広げ、小豆を手のひらぐらいに敷く。その上に丸めた米を置いて、ラップを閉じて茶巾しぼりにする。

⑤ ラップの茶巾を開けたら、簡単おはぎの出来上がり!

ポイントは2つ。

• 炊き立ての米を潰す(はんごろしをする)ことで、ねっとりとした米の美味しさが味わえる。

• お米を丸める時に、少量の塩を手につけて丸めるといい塩梅に美味しくなる。

今日は、小豆をごろごろに煮て、そのままつけてみたのと、潰しあんも作り2種類のあんこが楽しめた。

「おはぎ」とあったかい「こんにゃく柚子みそおでん」で、昼から一杯とか楽しい🎶

でも、今日は予定がいっぱい。

甘さ控えめの自家製「おはぎ」食べて出かけようっと。

★2024年6月5日更新 バランスを大事にしよう~2つの小さな失敗談【仕事・エッセイ】

【ブログ新規追加379回】

何ごとにもバランスが働かないと大変なことになっちゃう・・・といった苦い経験をした話。

紫陽花が雨が必要なように。

改めてバランスの大切さを思い出し書き起こしてみた。

ピアノレッスン時の電話はご法度!

ピアノ教室を丸25年の間、主宰していた。

外で教えるのは週3日。家で教えるのは週6日。ほぼ、毎日朝から晩までピアノ個人教授を続けていた。

1レッスン30分のくくりで、毎日午後3時~7時はラッシュ!8人枠を集中して教える。外では、大人のレッスンが主で、これは午前中が人気だった。

いくら好きな仕事でも、ずっと生徒さんとピアノと向き合う毎日は窒息しそうだった・・・と、当時を思い出す。まったく贅沢な悩みだったわ(笑)

そんな時、地域の某グループの責任者になりグループ員さんとの関わりが始まった。

部員さんはいつでもわたしが家にいると思い込んでいて「話を聞いて欲しい!」と、電話をかけてくる。

まだ、メールもSNSもなかった時代。唯一の濃い繋がりが電話だった。

わたしがやってしまった大失敗は「電話での話をずうっと聞いてしまい、レッスンを忘れてしまった」のだ。

レッスンの途中で出てしまった電話。その内容は「ヤバイ」ものだった。

生き死にを匂わせるような。

今、ちゃんと彼女の話を聞かなければ!と、レッスン中の男の子の存在を忘れてしまった。

ドア越しに見える、足をブラブラさせる男の子の暇そうな姿・・・。

なんで、相談相手の彼女に、「今、レッスン中だから後でかけ直すね!」と、言えなかったんだろう。

今だに謎。

その日、レッスンにならなくなった男の子のお母さんから「先生はひどい!ずっと電話してたんですってね。」と、怒り心頭。

男の子の自宅へ伺い何度も謝り、もちろん振替レッスンを2回ほどさせて頂いた。

本来やってはいけないこと。

でも、苦しい気持ちを話したくって電話をかけてきたその女性を無下にできなかった。すべてのバランスを一気に崩した失敗談だ。

たった一回だけれど失敗は失敗。

その日から、わたしは二度とレッスン中の電話には出なくなった。

                 ★

介護の仕事は忙しいの!~板挟みを防いだ叔母の話

先日、介護サービスの仕事を担う叔母との話の中に、わたしの失敗のような話が出てきた。

それは、施設やディサービスに勤めていると経験している人は多いと思う、「利用者さんから声をかけられたら、その場でずう~~っと、話を聞いてしまい周りのスタッフに負担や迷惑をかけてしまった」というくだり。

しかも、利用者さんが、スタッフに声をかけてくるのは、たいがい忙しい食事の時間だったりする。

たぶん、優しい物腰の叔母は、良く声をかけられていたんだろう。施設のリーダーから、「その時の状況を第一に考えて!」

「目の前の人から声をかけられてもね!」

と、厳しく叱咤されたのだ。

叔母は単純にも「せっかく、自分を頼って話を聞いてほしい!と、声をかけてきたのにそれを断るなんてできないわ!」と、その時は逆ギレしたほどだったという。

話をしたい利用者さん、話を聞いてあげたい叔母。それでも時間が許さない!完全に板挟みになってしまった。

利用者さんも、コロナ禍で唯一ディサービスの日が人と話せるチャンスなのだろう。

しかし、食事中であれば、食事介助や服薬介助、口腔ケアやトイレ介助もあり、だいたいはチームで動くのだ。だから、ひとりにかかりっきりにはなれない。

叔母は、この日から一つの決断をしたそうだ。

「まず、相手の目をしっかりと見て、そのお話、後でゆっくり聞かせて頂けませんか?」と、丁寧に対応すると、固く決めたそうだ。

その後、利用者さんから声をかけられたら、先の一文を伝えると、利用者さんは一瞬寂しい表情になるが「そうなの。じゃあ後で、お部屋で待ってますね」と、良い返事を下さったのだと。

介護の現場で「今、どうすることが一番重要か?」という瀬戸際の判断を常にしなけりゃいけない、厳しい仕事なんだと、叔母の話から改めて思い知った話。

                   ★

2つの失敗から学んだポイント

~目の前の人にとらわれず、全体を意識しよう!~

★2025年6月4日更新 Miiko流 いまさら本の読み方~年間300冊を読んでわかったこと【紙上講座・シンプルな読書術】

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わたしは、年間だいたい300冊近い本を読む。

本格的な大量読書に踏み切ったのは、ピアノ講師から出版社での営業職に代わった40代中盤の頃。

速読はやってはいないし、第一やり方を知らない。

以前より時間が取れるようになった今は、できる限り熟読するように心がけている。

● 大量の本をどう読んでいるのか?タネ明かししよう

年間300冊の本を隅から隅まで読み込んではいない。

3割ないし5割程度は必ず目を通しているが、ハズレだった場合は即撤収してしまう(笑)

個人のニーズに合わせた「読みたい・読むべき」本を教えるサービスをWEBで展開中の方が言われていたのが、「せっかく選んだ本だからと、無理に読まなくてもいいんです」「目次と見出しだけ」「導入とあとがきだけ」これだけでも充分に内容は伝わるハズですと。

わたしもこの発言に同感だ。

さらには頭から100ページは我慢してでも読もう!と、言いたい。

身銭を切った本なら絶対にまず、100ページ読み倒す。表紙、奥付けの1ページも入れて、とにかく買ったらすぐ読むのがいい。どこかお茶が飲めるcafeとかがいい。

で、100ページ読んだら、この先読み続けるか決めておこう。

積読が溜まるのは「すぐ手をつけない」のが大きな原因なのだ。

書店では、あの手この手で面白そうな本に感じてもらえる仕掛けがいっぱいだ。紹介文のボードや書店員さんの熱い手書きメッセージのポップなど。

どれも、これも読みたい!と、読みたい気持ちも手伝って手に取ってしまうものなの。

しかし、一旦自宅へ帰れば、その本をおススメするポップもメッセージもない。そこから重い腰をエイ!と上げて読み始めるだろうか?

たいがいは熱が下がっているから、「まあいい。後で読もうっと・・・」となる。

もうひとつ、なぜ、最初の100ページ読みをおすすめするのか?といえば、これまただいたいだが、本の急所(重要ポイント)って、最初の方に80%書かれているのだ。

残り20%は補足に過ぎない。

でも、あれ?ミステリーや長編小説は?

そういった文章形態でも、だいたいは始めのほうに重要なことがらや人物などが書かれている。それでも、展開や話の落とし処を知るために必ず最終章は読むようにするといい。

長年ブックレビュ―を書き続けてきたが、ベストセラーと呼ばれる良書はたいがいこのパターンで書かれている。

あまりに長編過ぎて、助長性の高い小説などは、せめて「問題が勃発するところ」まで我慢して読んでみよう。

その場面が頭に残ってさえいれば、その続きも容易に読み進められるだろう。基本の読書法だとも言える。

わたしの読書法は「すべて読む=読了」に囚われない、「自由な読み方=斜め読み」で年間300冊を読み続けてきた。小さくタネ明かしをしたよ(笑)

● 年間300冊~どのような本を読んでいるのか

年間300冊の本について内容を書き表してみよう。

① 気に入った作家や気になる作家の本を借りられるだけ借りる(図書館で10冊程度+電子書籍2冊はWEBで借りる)

とにかく、ひとりの作家の作品をシャワーを浴びるように読み倒す。これは、もう完全な趣味の領域だ。

面白そうかどうか?とかはまったく気にせず、もちろん巷のブックレビューなどもまったく読まない。要するに読む前に評価を入れずに読む。

ハードカバーが気に入ったら、同じ作品を文庫でも借りる。編集が違うから、新たな書き下ろし文とかが「おまけ」でついてる場合もあって一粒で二度美味しいワケ。

この10冊借りるのは一年中、毎週一回続けている。

今は緊急事態宣言中で30冊借りられるから、夫とふたりで部屋の中はさしずめ図書館みたいだよ(笑)

10冊積んでどんどん片っ端から挑む読み方が大好きで辞められない。

② 表紙やタイトルがひっかかった本をまとめて5冊買う。

今なら、山やキャンプ、トレッキングなどアクティビティ関係が多し。まず、写真が美しいし、ライフスタイルに結びついているから、読んで見て心地よい癒しの時間が持てるのだ。

この場合は、意図的にジャンルをバラバラにして「よろず屋」的な読み方をして楽しんでいる。

③ 勤め先の出版物を読み込む。

これは、仕事だから読書ではない。事前に読んでおかなければ商談にならない。同僚もみんな、ちゃんと読んでいるのかな?謎。

④ 新聞やWEB上で記事になっている本を取り寄せる。

だいたいは、ブックレビューの記事が魅力的だった場合だ。ここで気をつけたいのが、ブックレビューを書いたライターさんの筆力がその本の著者より勝っている場合がある。

これ、実は大問題なのだ。だって売り込み文が本書より面白かったらど~なる?

(こういった内側の話は、もっともっと展開できるのだけど止めておこう)

まあ、真っすぐにこねくり回していない正当なブックレビューを読んで、それでも読みたい!と、思ったら迷わず購入だ。

⑤ amazonのレコメンドを見てついポチっちゃうのもある。

これは、Amazonだけでなく楽天ブックスでもあり。要するに溜まったポイントの端数を期限中に使い切る時に「本」がいい対象品となるから。まんまとAmazon楽天の営業戦略に載せられてしまってるの。電子書籍が多いかな。

● 何年も年間300冊を読み続けてわかったことが2つある

それは、ある日突然感じた感覚だった。

「言葉が次から次から溢れ出てくる」感覚。

どこかに何か書かなければ!という一種の焦りと書ける感覚がわかったから、衝動的に「ブログ」に手を出したのだ。

たぶん、ずっと書き続けられるだろうと踏んで。

まったく根拠のない自信を持っていたね。

その根拠のない自信は7年経った今も変わらず、こうして毎日文章をしたためられている。

つくづく読書の力の凄さを実感している最中だ。

もうひとつは、溢れる読書量があると、良い本に出会いやすくなるのだ。そもそも、良い本に出会うために読んでいるわけじゃあないのだけれど。それでも出会っちゃうのだ。

毎年300冊読んで、本当に心の底から「読んでよかった」と思える書籍は約30冊。10%の出会い。90%は無いものだ。それでも、まったくムダはないよ。

結局のところ、数の勝負を本気ですれば、「読む力」と「良い本に出会える力」とついでに「書く力」もついてくるのだ。

一生、挑戦できる「戦う読書」の醍醐味を知ったら、もう辞められない。

● 最後に

わたしは、若い頃目上の人や、音楽関連会社の社長などからおススメのビジネス本や小説を教えて頂き、すぐに書店で買ってすぐに読んで感想を電話で伝えていた。

たいがいは、「本当に読んだんだね~~」と喜んで下さり、感想を述べると、「そんな風に読んだのか!面白いね!」と、おススメ読書の話で盛り上がったんだ。

目上の人に「本」好きがいたら、聞いてみるといい。

「今、何を読んでいるのか?」

「これまでで良かった本を5冊教えて!」と、甘えてみよう。

きっと、一生懸命、考えて教えてくれるはずだ。

こんなやり取りは、好きじゃないとできないでしょ。

読書が日常の延長上にある人は、

複眼的な目線が得られるチャンスよ。

  

★2024年6月3日更新 アルコールとカフェインとの距離が少しづつだけど、できてきた~無理に飲まなくなった理由とは【健康エッセイ】

【ブログ新規追加376回】

わたしは、お酒もコーヒーも大好き。

それでも、身体のためにと、アルコールとカフェインを減らす毎日だ。

週末だけ、飲酒する習慣を持とうと決めてかれこれ5年。

始めた当初はノンアルビールやノンアルワインを用意して騙し騙しやってたが、

すぐに、美味しくないノンアルに投資するのは辞めたんだ。

今では、週末と記念日やTVでのサッカー観戦にはお酒を用意することにしている。楽しみに花を添えるお酒の数々。それは、なくてはならないものだ。

で、今晩も【6月3日放送】日本代表vsU-24日本代表|地上波テレビ(TV)中継を控えている。朝、仕事前におつまみとお酒を買い出してきたのだ(笑)

ああ~~、楽しみ♪

と、いうわけで、アルコールの制限がある程度できつつある今、次はカフェインとの距離も取って行こうと目論んでいるのだ。

夫の糖質、脂質、塩分制限を続けているが、今では、調味料の塩や醤油、砂糖はほぼ使わず、オリーブオイルや美味しいお酢とかでアクセントをつけて何でも食べられるようになった。

少量のチーズも塩分調整してあるのを食べて、パンには何もつけないのが美味しくなってきた。食材の持つ旨味だけで充分食べられる。

こうなると、あれほど飲んでいたコーヒーも一日多くて2杯。

たった1杯や2杯なら美味しく飲めるし、胃もやられにくいのね。それ以外は白米はお弁当を持って行く日だけ。だから、白ご飯を食べない日のほうが多くなった。

白米も「おかず」と一緒の感覚になっている(笑)

明らかに体質改善してきたみたい。夫のためだけじゃなかった。一緒にやってよかったと心底感じている。

何しろ、一番の変化は、アルコールや刺激の強い食材、調味料、そしてカフェインに身体が敏感に反応するようになったのだ。

それ以外でも、あまり口にしない、レトルト食品を食べると、すぐに満腹になっちゃう。たぶん味が濃いからだろう。

市販の食品の味が相対的に濃い!ということを改めて舌で知った昨今。

以前より、各段にお酒に弱くなったしね(笑)

もう、食べ放題とかは行かない。

身体に適性な量の食事を心がけてきて胃が正常値になったら、アルコールもカフェインも早い段階で分解できるようになったのだろう。

嬉しい変化だね。

これで、120歳まで生きられるかしら。

ただし、アルコールもカフェインも辞めようとは思っていない。

ただの長生きじゃなくって、心から好きなものをいつでも食べたり飲んだりしたいから、舌の幸せを奪うのだけはイヤ。

これまで、ジャンクフードやお菓子類もせっせと食べ、炭水化物も大好きで麺類も同じく大好きで。甘いジュースも飲んでた。

それが、今では、ほぼ食べなく(飲まなく)なったんだから、わたしの執着はそ~でもなかったんだと気づいた。

いったい、何を食べてるの?とよく聞かれるが、

「たっぷりの野菜と肉、魚かな」と、答えてる。でもね、実は何でも食べて飲んでるのよ。問題は「適切な量」か「味が濃すぎないか」どうかだけ。

ここを、押さえれば案外やれるし、続けられる。

というわけで、

わたしの制限食生活の途中報告でした。

また、変化があったらここに書く。

小説読んでる?~「純文学を読まないと人間として成長しないよ」と言われたらどうする?~わたしの場合【紙上講座・読書論】

【ブログ新規追加375回】

「純文学を読まないと人として成長しないよ!」と、言われてしまったのは藤原和博氏。(元公立中学校校長、著述家、教育改革実践家。 東京都初の中学校の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めた。)

藤原氏がリクルートで営業として働いていた頃、ある編集プロダクションの社長が話の途中で、

「ところで藤原君、純文学、読んでる?」と、社長が聞く。

当時の藤原氏、ほぼ読んではいなかった。なんと答えたのか。

「誰の作品ですか?」と、返す。直感的にこの場面では「本を読む習慣がないことをごまかさなければ!」と、藤原氏。

社長は「そうだなあ、今は宮本輝連城三紀彦とかかな」

藤原氏は、名前は聞いたことがあっても、もちろん読んだことなどなかった。そして、言い訳がましく、「いやあ、僕、営業ですからねえ、お客さんの資料や企画書を作るために参考になるようなビジネス書を読むのがやっとで、そこまで手が回らないんですよ」と返した。

その言葉を聞いた社長は真顔になって、キツ~イ一言を発した。

純文学を読まないと、人間として成長しないよ」と。

藤原氏は、読んでいないうしろめたさを棚に上げ、その決めつけるような言い方にムっとした。

さて、その後、ムッとした藤原氏が取った行動は・・・翌日、銀座の旭屋書店に飛び込んで、宮本輝氏の「青が散る」(文藝春秋)と連城三紀彦氏の「恋文」(新潮社)2冊を買い、すぐに、喫茶店で貪るように読み始めたのだそうだ。

結果は、「なんということはない、無条件に面白かった。純文学とはなんたるものかということすら気にならない、エンターテイメントとして最高の作品だった」と。

そこから、宮本 輝氏、連城 三紀彦氏、宮部 みゆき氏、重松 清氏、藤沢 周氏、島田雅彦氏の作品を渡り歩いた。

気に入った作家の作品はすべて読んだ。そこから学んだのは。

純文学は、現代社会を生きる人間の心模様を活写するものなのだ。人間の醜い部分も含めた、人の本質をこれでもか!とえぐり出す。そういった文章の表現は、たいがい、まだるっこしさを感じながらも、重厚な作品へと成長するのだ。読み手とともに~

わたしは、藤原 和博氏の、この文章を読んで、ハッ!とした。

「そうか。やっぱり、文学から離れちゃいけないのね」と、気づかされた。

確かに「青が散る」の青春文学では、「三日三晩、エリートの中年オッサンに身を委ねてしまう女子大生」このあたりの描写が凄かったな。あれこそ一級の純文学。

また、女流作家では大好きな宮部みゆき氏の作品では「レベル7」が忘れられない。「ある日、目が覚めたら部屋に2000万円があった。その金は誰のもの?」医療とサスペンスが交錯する。

というわけで、純文学は、しっかり読むとそのストーリーや描写が頭にちゃんと残る。これって凄いことだ。

作家の思考や脳みその一部がストーリーとなって、自分の頭に移植されるんだから。これが「小説には敵わない」と、思わせる書き手の技なんだろうな。

※ おすすめ現代純文学作家→村上春樹、村上龍、川上未映子、平野啓一郎、村田紗耶香、又吉直樹、中村文則など。

わたしは、村上龍氏の作品はほぼ読破してきた。超長編小説をひとつ紹介しよう。

半島を出よ 』(幻冬舎)簡単レビュー;北朝鮮が本気で戦争を起こすとしたら、まず、日本の長崎(佐世保)を占領し上陸を果たすだろう。その時に使う薬物兵器はなんと、ヤドクガエルという猛毒を持つカエル。カエルを使うコマンド(兵士)の驚きの訓練とは?村上氏10年の構想期間を経て発刊された。第58回(2005年) 野間文芸賞受賞

                   ★

しかし、わたしは無類のエッセイ好き。

今、読んでいるのは「星の王子さま」で著名なサン・テグジュペリ作『人間の土地』だ。

この作品は、映画監督である宮崎 駿氏が、映画の題材に使ったことで有名になった一書だ。

簡単にレビューすると、「飛行機好きのサン・テグジュペリが、サハラ砂漠のど真ん中に飛行機で不時着遭難し、三日後に奇跡の生還を遂げる」エッセイだ。

サハラの乾きと疲労にどう、打ち克ったのか・・・。そこが最大の読みどころだ。

まだ、そこまで読んでいないので、レビューはここまで(笑)

                 ★

久しぶりに純文学にハマりたい。

読み倒して、大成長を遂げる物語が書けるかもしれないしね(笑)

邪推だけども、正直な気持ち。

今、ここから試してみる。と、勢い選んだのは夏目漱石『硝子戸の中

あれ?この名作もエッセイじゃん!

無類のエッセイ好きの周辺にはエッセイが無数に転がっている。小説の道は遠いよ(泣笑)

● 最後に

決めつけないで、読みたい本を読もう!

その行動がすでに成長路線なのだから。