手書きとタイピングの違いとは?~インプットとアウトプットの関係【紙上講座・手書きのよさ】

【ブログ新規追加852回】

ペンを使ってノートに書く・・・この行為はわたしにとって最も重要なもの。

一方で、PCを使い仕事をこなすことやブログを執筆することも同様に大事なことなのだ。

紙に書くのもキーボードでタイピングすることも同じ「書く作業」だが、この二つはまるで影と陽向のように異なり、またセットでひとつという感覚がある。

呼吸に例えると、ペンで紙に取るメモは「吸う」だと思う。とにかく入れたい!入れたい!の連続だから。

意外にも、そこいらの紙に書いた大事なメモが結構溜まってしまうんだ(笑)

そして、PCで書く文章は、絶対に「吐き出す」ものだね。

必死で取った忘れたくない言葉やちょっとした気づきを文章に認める作業そのものが、息を吐き出し続けているように感じるのだ。

ペンを使って書く作業は文字通りインプット(入れる)だ。

あっ!いい言葉を見つけた!とか授かった!と感じた時に数秒でその風を捉えることができたら上出来でしょ?

だって、そのままにしておいたら、完全に忘れてしまうものだから、メモを取ることって瞬間を切り取る重要な作業だと、つくづく思う。

手を動かしてメモを取る。すると、頭じゃなく身体で記憶できる。要するに記憶が定着するんだ。

だから、書くこと自体に最大の意味があり、書いたものはそのまま捨ててしまうなんてことも多いよ。

かの、宮沢賢治の「雨にもマケズ」は、小さな紙きれに書かれたメモだったのは有名な話。

賢治はこうやって、メモを大量に書いては捨てていたんだろう。

どんなメモがあったのか、ポケットの謎を知りたい。

すべてをアウトプットするのではなく、何かに導かれたかのように見つかる宮沢賢治の詩。

また、イタリアには田舎の小さな村にレオナルド・ダヴィンチの描いた小さな壁画が見られる教会があるそうだ。

偉大な人たちが残した小さな功績を探しに行く旅がしたくなった。

賢治もダヴィンチも書いた(描いた)瞬間に頭と身体が記憶しちゃってるんだろうから、残すことに深い意味を持たなくなったんだろうね。

天才だけが持つ感覚ではなく、人間の記憶の経路を最短で利用した例だ。

だから、書き留めた紙きれも教会の壁もいわば保険のようなもの(笑)

どうしても思い出せない時に戻る場所だ。なくなっちゃったら、それはそれでノーカウント。

いやはや、すごいな。

わたしなどは、必死で書き留めてからPCで文字に起こすんだから、完全にそれはアウトプット作業だ。

キーボードを打ちながら、頭の中にある知識や情報、感情などを再構築して、言葉を紡いでいる。

手で書いたメモが生きるのは、一瞬でつかんだいい言葉が自分なりの表現で落とし込めることなんだろう。

ブログを毎日書くのは、入れたら出すという、自然の原理に基づくものなのだ。

せっかくのいい言葉も知識や情報も出さなければ詰まってしまうじゃない!

メモを取ること(入れる)と、タイピングする(出す準備)とは、いわば知識の呼吸ってことかな。

常に新しく新陳代謝を続けるブログでありたいとささやかに願う。

「今、ここに生きているわたし」を表現することに没頭できる間は賢治やダヴィンチの心情に近づけるかも?(笑)

~ささいなことでも手書きで書く~

では、また。

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“手書きとタイピングの違いとは?~インプットとアウトプットの関係【紙上講座・手書きのよさ】” への1件の返信

  1. 「颯爽と 独立自営の 秋征かむ」 清流子
     今日で9月尽、ここを境に世間の空気が変わる気配がします。いよいよ本当の意味での個人主導の時代。思案中の俳句シリーズも新たな段階へ。よろしく!

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