第3の人生に入る前にすべきこと~① 断・捨・離 ② 人生100年プランを立てる 【暮らし・生き方戦略】 

ブログ更新108回

今日、仕事先で興味深いコーナーを見つけた。それは「認知症の体験談」を集めた棚だ。

今の人様の興味はこれか・・・っと、ほとんど普通の人たち、年代も30代から70代ぐらいまで幅広く、己の認知症発病から、今日までの闘病と奮闘の軌跡が描かれ編まれている。

どの人も明るく、認知症の発病時のことを語り、決まって先行き不安な自分に向けてのメッセージを送る。すでに達観された文面ばかり。

「気ちがいと言われ、職場を失った。まだ39歳の認知症男性」こんな帯の一行ですでに売れる兆しを感じる。そしてみんな弾ける笑顔のカバーばかり。大いに圧倒された。

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今日8月26日は、わたしが脳出血を発症して、命拾いをした日。

もう11年が経った。当時はよく回りから「治ったら本書いて!」と言われた。しかし、自分の歴史はまだまだだ。

命をもう一度頂いたのだから、色々と忙しいのだ・笑。

過去の闘病の余韻に浸っている時間はない。何かのきっかけで売れ筋が見つかれば書籍の発表もあるかもしれないが。

※ 以前のブログから闘病の記録をエッセイにまとめた「約束の日」をここへ。リンク先はタイトルをクリック。

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で、今後も軽く生き続けていくために必要な、第3の人生に向けての準備を書いてみようと思い立った。

ここで、第3の人生の意味合いを述べておく。

第3の人生(定年退職後)の生き方

家庭においては、子育てが終わり、社会においては、定年を迎える時、いよいよ第3の人生が始まる。

明るく、健康的に暮らすのには、自己の自立が大いに必要になってくる。自立とは、一家庭であっても一社会であっても同等に、自分のことは自分で考え、行動する中に価値がある。やりがいは自分で見つけるものなのだ。

例えば、社会の一員でいたいというならば、第2の就職先を探す(社会福祉的なボランティア、NPOなど)を通じて、社会の役に立つという視点ありきで行動する。

余暇の楽しみである旅行や娯楽、趣味なども充分に味わうようにやろう。

体、頭、心を積極的に動かせば、一日ぼーっとすることはないだろう。生きがいを生むことこそが、豊かな第3の人生そのものなのだ。(Web版 第3の人生「青春編」より)

断・捨・離から始めよう

まずは、モノの執着を手放すのに有効な、断・捨・離をする。長く生きていると所有するモノたちのスペースも取らなくてはいけないし、モノの整理は少しでも若いうちがサクサクと進んで、自分の将来を描く格好の舞台となるだろう。

断・捨・離は現代、必須のレジャーだ。

断・捨・離が終わったら、次は人生100年プランを立ててみよう

昨年2019年の気になるキーワードにも上がった老後破産という言葉。

老後の金融資産が約2000万円必要との金融庁の試算が波紋を呼んだ。自分も破産するかもしれないという不安を抱いている人は多と聞く。

 だが、将来のお金の出入りをシミュレーションするライフプラン表を作れば、漠然とした不安は解消できる。シングル、DINKS(夫婦2人、子供なし)、2人の子持ち夫婦の場合に分け、標準型、節約型のライフプランで人生100年時代を展望するのはどうか?という提案だ。

少子高齢化で公的年金制度の改悪は避けられないのに、65歳になった女性の半分は90代まで生きるとされる現代。

みんなが老後破産のリスクを意識するのは無理もない。ただ、リスクの具体的な大きさが分からないために、過剰に恐れている人が多いことも事実だ。

 年金が『今より』減るのは確実だが、今の20~50代の人にとっても老後を支えてくれる存在であることは変わらないだろう。

誰もが老後破産寸前とは考えないで!と言いたい。不安を取り除くために作るのが人生100年ライフプラン表だ。

人生100年ライフプラン表の作り方 ※とても簡単!

~いつ、どれだけの収入や支出が発生し、いくらお金が残せるかを、100歳時点まで見える化するのが目的だ~

1、ノートに手書きでも良い。エクセルとかを使ってでもよい。自分と家族のライフプランを100歳まで、仮想で書出すことから始めよう。

2、これを書くポイントは幻想や妄想を一切しないこと!(ここが重要)

3、ありのままの自分を投影して、今の現状での純資産、収入の口、毎月の生活費などをきっちり出す。

4、年金の推移、資産の運用が叶っているかなど、保有しているものの価値を洗い出してみよう。

5、こうして、毎月、いや毎週1回でも、自分を取り巻く家族や持っている資産のあり様などを、徹底してノートや表に作り上げる。

この1~5をしっかりと取り組むことで、自分とお金の関係が把握でき、あれほど不安だった将来の資産や年金などが、意外と大丈夫なことがわかる。

現代は、ITの進歩によって、想像以上にいろいろな生き方ができる。断・捨・離→100年ライフプラン表ができたら、次は働き方、趣味などにどんどん着手していこう。

この人生100年ライフプラン表は0円でできる最強ツール。自分の人生を思い描くために必要な武器になるだろう。

老後破産に打ち勝つ武器をひたひたと準備することで、毎日がワクワクの連続になる。正しい情報を自分でしっかりと手中に収めることができる。

思考停止するのは、就寝時だけという幸せを手に入れられる。

ポイントは「今、すぐ、やる」これだけ。

【暮らし・インデックス投資】お金はコツコツ貯めて大きく育てる~「3000円投資」論・初めての投資は簡単スタートで

【ブログ更新107回】

毎年、なぜだか、決まって書店頭に平積みされる「3000円投資生活」横山光昭・著(アスコム)だ。1996年7月が第1刷り、その後、毎年重版を重ね続ける大ベストセラーとなっている。

まさしく、この小さな新書版の本は、手元の3000円で毎月インデックス投資を続ける→10年後、20年後には大きく育つことを目論むという、小さなおこづかいを大きく育てる夢のような投資本なのだ。

投資経験がゼロでも、貯金が無くても、誰でも簡単に貯められて、しっかりと増えていく方法だという。

で、今年もお決まりの書店浮上が7月。今回は書籍カバーもゴージャスに一新され、さらにパワー溢れる本となった。しかも、ビジネス雑誌「THE21」で、ポストコロナで、給料が増えなくてもお金が増える方法のトップにこの3000円投資生活が特集で揚げられていた。

さて、本の冒頭に著者の印象的な言葉がある。ちょっと引用してみよう。

 あなたは人生で、やりたいことがありますか?
人生でやりたいことが分かると、自然と「必要なお金」がわかります。でも「お金がないせいで、人生が楽しめない」「やりたいことがやれない」「夢が叶わない」。
 では、どうすればいいでしょうか。 答えは、無理のない範囲で投資を学び、少しずつお金を増やすことです。

本当にごもっとも。で、わたしも、この本「3000円投資生活」と雑誌「THE21」を元に今度こそ、インデックス投資に踏み出そう・・・と息ごんでいるところなのだ。

この3000円投資法はきわめてシンプル。まずネット証券会社を選び、本誌おススメのバランス型の投資信託を選んで、月々3000円の投資をスタート。

という工程だけ。ちょっと面倒なのが、ネット証券会社との手続きぐらいかな。実に簡単。

投資の良い所は、投機みたいに短期間で利益を得るのではなく、長期に渡り保有し、貯蓄との同時進行で安全にお金を増やせるところ、銀行より高い利回りで回せるのだ。

雑誌「THE21」ではインデックス投資のことを詳しく解説、横山氏のレクチャーによる福利効果の凄さに驚かされる。

● 月1万円の貯金と3000円の投資を続けた場合(図表)   

雑誌からの画像・THE21「ポストコロナのお金・新常識」

たった月額13000円の積み立て&投資で30年後には534万8760円!

これは、始めない手はないのではないだろうか。わたしも3年ぐらい前から、様々な投資のセミナーに参加してきたが、今一つ始めてこれなかった経験がある。

ネット証券の口座も開設してみたものの、なぜだか馴染めず。やっぱり、お金に縁遠いのかしら・・・と地団駄踏んでばかりだった。

この本と雑誌から得られる知識はの大半は「低金利の時代に預貯金だけでは絶対にお金は増えない!大きなお金をさらに大きくするという快挙にでなくても、「小さなお金をコツコツ投資して大きく育てるコツ」が網羅されている、非常に優良な書籍なのだ。

今回の新型コロナウイルス感染の影響で、様々な業種が立ち行かなくなった。他人事ではないが、本来の己の仕事の対価、業種の持つ金銭体質などを見直す絶好のチャンスだったのではないだろうか。

やはり、大きな懸けをするには大金が必要だ。しかし、懸けはせずとも、生きていかなければならないのならば、こういった小さなお金に注目し、育てることに注力するのがもっとも賢い生き方なのではないだろうか。

※ 以前のブログより「お金持ち入門」→リンク先;http://miikostyle.blog.jp/preview/edit/8fc102e617c0988fe8924b03fbdab182

たった一冊の新書と一冊の雑誌が未来の資産を作る手助けをする。

これは買わない手はない。

我が家をパワースポットにする~帰るとエネルギーチャージができる空間を作ろう【暮らし・こだわりのインテリア】

【ブログ更新102回】

我が家の照明

わたし達女性は、それ相応のこだわりを持っているおしゃれな人が多いと思うが、こと住環境においては、子どもや親などの制約が多く、なかなか自分のこだわりを暮らしに実現できない!という声を漏れ聞く。

であれば、こんな椅子に座ったら癒されるとか、窓際はわたしの特等席とか、寝室を充実させるなど、パワースポットらしき空間を作ってみては?

そんなの無理、無理とかいう場合でも、小さな棚を自分の好きなモノで飾るとかいうのも、理想のパワースポット作りに近づくもの。

秋まじか、理想のコーナー作りに挑戦してみようという提案。

ここで、我が家のモノ減らし奮闘記を紹介しよう。

● 家財道具を3分の1に減らしてのシンプルなライフスタイルにシフトする

今の家に引っ越して早や6年が過ぎた。緑溢れる都立公園にほど近く、朝は、野鳥のさえずりで目を覚ます・・・という豊かで靜かな環境が手に入った。

丁度、6年前、息子の単身での転勤が決まり、ほぼ同時にわたしの母の介護が始まった。仕事を続けながら、母の面倒をみることは、想像以上に時間も取られ、50代のわたしの体力にも限界があった。

しかし、母は最後まで一人の生活を望んだので、だったら、動けるこちらが引っ越しし、母の家から車で5分の場所に新居を求めた。

突然の引っ越しにあたり、自分たちらしく、シンプルな暮らしをしたいと、それまで住んでいた3LDKのマンションでの持ち物を思い切って3分の1に減らしての引っ越しをすることに決めた。

一番減らした物は夫の書籍2000冊!当時、上流SEを生業としていたビジネスマンだったから、仕事に使えそうな本はすべて購入していた。ブックオフに出張できてもらい、200冊を残しすべて買い取ってもらった。売った代金は引っ越し費用の一部として役立った。

12畳ほどのリビング兼書斎が本で埋まったのには壮観だった。そして、新居は二人暮らしだからお互いの自分らしい空間をつくろうね!と話合いながら、結婚生活、実に6度目の引っ越しをワクワクで進めた思い出がある。

ここで、良書の紹介を。

“>できる人のスピード整理術」中谷彰宏・著だ。

内容の要点

∼豊かな人はモノが少ない~

モノを整理すると7つのメリットが生まれる

① 決断力がつく

② 頭が整理される

③ エネルギーが生まれる

④ スピードが出る

⑤ 仕事ができるようになる

⑥ ライフスタイルが生まれる

⑦ やる気がわく 

● シンプルにこだわったモノたち

モノを減らすにあたり、それでも今まで愛用してきたお皿などはどうしようかな?っと考えた時、そうだ!色で決めようと思いつた。その時の気分は白いお皿やシンプルな器を使いたいと。

愛用の数少ない食器

で、フルセットで利用していたコレール白いお皿3枚、サラダボール3つを残して後は潔く処分した。

夫の本棚もカバーの色合いを合わせるように工夫したり、床の絨毯はブルーが基本なので、和室にも、今年ニトリNクールの接触冷却ラグをブルーで揃えたりしている。このラグでの昼寝は涼しくて最高。

Nクールラグ

また、わたし達夫婦は読書時間を楽しむことをとても重要視している。小さな書斎には、シンプルなフロアライトを選んで使っているが、こここそが我が家のパワースポットと言っても過言でないだろう。

読書や思索の時間、ゆっくりお酒を頂く時間には、優しい照明が必要だ。特に50代で暮らしたい家にはシンプルで優しい光のフロアライトは欠かせない照明器具だ。

これがあるだけで、一つ上の暮らしが簡単に手に入る。

最近汚れが目立つフロアライト

もう、毎日の暮らしに流される取りあえずの家ではなく、身も心も癒され、エネルギーをチャージできる我が家を作るのが、最高に有意義なライフスタイルだと考える。

誰に見せるわけでもないから、高級なモノもいらない。

気に入っているオーガニックワインとオリーブのチーズ

美味しいお酒・本・間接照明・それに近くの自然があれば、そこがわたしのパワースポット。

神社仏閣だけがパワースポットではない。

自然現象に支えられて暮らす~たまにはSEOから離れて書いてみる【暮らし・雑感】

猛暑だとばかり思っていたら、今日の昼から急な雲行き。で、13時過ぎたあたりでぽつぽつと降り始めた。ごろごろと、雷様の応酬が今も続いている。

でも、わたしはまだまだ営業先で仕事中。別に電車が止まらなければ、どんな雨でも平気。

雨好きかもしれない。次の客先へ向かう途中、案の定ひどい豪雨に見舞われた。仕事じゃなければ、傘を閉じて思いっきリ雨に当たりたい。

ひゃっほ~い!とか声を張り上げて水浸しになる。興奮は最高潮だ。ばかみたいなことはできる時にやらなくっちゃ・笑

自然の営みのすごさには、驚きとともに否応なしに謙虚にならざるを得ない気持ちにさせられる。


「雨」「雲」「影」などの自然現象の美しさに感動する毎日だが、そのシンプルさには特に心を奪われる。美しいものそれぞれについて書いてみた。



●「雨」の情景に想う


 私にとって雨は、まさに美しいものだ。花や草木はもちろん、道端に転がる石や、連なる家々の屋根さえ、雨は触れるものすべてを美しく変える。

家の前の造園にて

その規則正しい雨音はバッハの調べ?とも思わせるリズムがあり、濡れて嫌だけど情緒を求めて、雨の日の外出には勇んで出かける自分がいる。

「雲」が美しい理由


が美しい理由を挙げようとしてもその掴みどころのなさに唖然としてしまう。

2019年8月の入道雲

中学の頃に林間学校で登山をした時、雲より上の場所に初めて登った。一緒にいた友達も皆、あまりに動きの早い雲に導かれるようなその場の不思議な雰囲気に飲み込まれ、みんなシーンと寡黙になったことを覚えている。

それにしても、時に心を落ち着かせる穏やかな雲の様子はこの上なく美しく、また不安をかきたてるような不気味な雲も美しいものである。

「影」が織りなすアート


は実に芸術的だ。その実在無縁な姿そのものがアートである。「知識があればあるほど、いろいろなものが目に入るようになる」とは中国の孔子の言葉。

それぞれの民族が同じ目や心で見ることはできない。韓国人は影の存在をとても重要視しているという話を聞いたことがある。それは、人生、哲学、美学すべてに影の影響を受けていて、空間を崇拝していると聴いた。

だからか、韓国の住まいの中ががらんとしているのは、人生に不要なものを排除しているのだとも。家も人生も心も空間がなければ埋めることができない。

光と影のように、正に対する副的なその存在は、正副で1セットであり欠かせないものなのだろう。影だけではなく空間もまた存在を際立たせるための「必然」である。適度な影や空間は平穏な清らかさがあり、またアートなのである。

また人間の体にも、進化の中で得たシンプルな構造とその躍動感と美しさに驚嘆する。

「美しい手」


 高校の同級生に手をとても大切にしていた友人がいた。いつもハンドクリームを欠かさず、血管が浮き出るのを嫌がり丁寧なマッサージを施して、手の動きにも注意を払っている彼女の手の表情を見るのがとても好きだった。

顔と同じくらい、手はその人の個性や魅力、そして美しさを映し出すと思う。

友達は手の仕草が見た目に及ぼす影響を、どのくらい深く理解していたのかしら?もし、分かっていたんだとしたらすごい。

「心身を美しく保つために歩く」こと

画像を拝借


 なんら目的もなく、ただ歩くために歩く。この楽しみはたやすく手に入れることのできる贅沢だ。

まあ、実際に贅沢とは思っていないが。歩くことは心の旅でもあり、この世界が絶えず変化していることを教えてくれる。

また歩くことで様々な事実や考え方をまっすぐに受け止められる気持ちになることもあり、ある意味歩くことで軌道修正できるのだ。

矛盾したことがらを抱えている時などは、私は率先して歩くことにしている。自分を取り巻く事実と自分の心を受け止めるために歩く。

風に吹かれながら考えることが感受性を高め、洗練された気持ちを取り戻すのにウッテツケなのは間違いない。

● 最後に

画像を拝借

美しいと感じる事柄を感じるまま、きままに書いてみた。シンプルなものは、時として面白みに欠けているように見えるかも知れないし、刺激も少ないようにも思う。

しかし実際は、心の求めるところ、誰でも手に入れられて等しく美しかったと感じたり、気持ちが良いと感じられる現象だったりする。

それは特別なことではなく、ありふれた日常に溢れていることでもある。そのシンプルな美しさを見つけ出すことが大人の贅沢な「遊 び」になるのではないだろうか。

ああ!夏休み~コロナ禍だからこそ今までとひとあじ違う休み方の提案【暮らし/健康/その他・事前計画】

【ブログ91回目更新】

奥多摩・鳩ノ巣溪谷

新型コロナウイルス感染防止対策で、引き続き東京都民は越境自粛を小池百合子都知事から要請されている。

わたしは、百合子都知事に言われたことは、超真面目に受け止めてこれまでやってきた。

彼女の言動のひとつひとつをよく聞き、よく考えて行動してきたつもりだ。

そして、今年どこにも出かけてこなかったが、意外なほど、焦燥感もなく、クサクサせず自由な気持ちで過ごせてきた。

ひとつは、こうして気ままに独自ブログに表現の場を持っていること。

もうひとつは、我が家のまわりに溢れるほどの自然があることだ。

ブログ&自然 このふたつが手元にあることで、仕事のストレス解消や、癒しの効果が得らえてきたことは大きい。

こうなったら、徒歩で行ける自然公園や、車で1時間以内で行ける溪谷、昔ながらのレトロな町探訪と、読書やブログを書くことで充分に楽しく休みが過ごせるはず。

東京から出ませんよ・笑

2020年 遠くへ行かないわたしの大人夏休み計画

10日間の夏休みにやりたいことを事前に書き出す。ひとつひとつにテーマを持ったタイトルをつけてみた。

♪ お出かけ2編

近所の公園

① 0泊1日の東京弾丸島旅・・・これはまだ手つかずでこれから仕込む。消滅あり得る(泣笑)

② 緑あふれるレトロな町~探索と水遊び・・・奥多摩周辺とか近所の公園とか・笑

♪ お料理2編

① 簡単で失敗しないカルボナーラを作る・・・糖質制限をどうやって取り入れて作るかの思案中。

② 自分で作る温かみのあるデザート・・・塩を使ったお菓子を作ろうとレシピを用意した。

♪ 学び2編

夏休みに読む本

① ある語学習得・・・音大でしっかり勉強したイタリア語をブラッシュアップしたい。今、すぐ必要じゃないけど、昔取った杵柄で、短期間で成果の出る学習法を覚える。

②恒例の読書・・・この夏はエレガンス&可動域を広げるをテーマに関連する書籍の読み込みをする。

と、お出かけ、お料理、学び という3つの軸で今日までに事前計画(日程など)を立ててみた。

そして、ひとつ終わったら、ブログに書こう。

やっぱり、前もって決めておかないと、当日になってからだと消滅しかねないものね。楽しみにも全力で!

ヤマユリも見に行こう

何事も事前準備が必須でしょう。

ビバ!夏休み~(^^♪

● おまけの話~白いお砂糖について

小さなエッセイを。

わたしは、去年の夏から白砂糖をお料理に使わなくなった。この件は以前のブログで書いたのでそのうち登場させようと思っている。

でも、コンビニやスーパーで売っているデザートやチョコレートを食べないわけではない。お料理に使わないだけなのだ。

白砂糖は身体にとって負担の大きい冷えと中毒性があることを知ったから。自販機のジューズなども全く買わない。

でもね。悪役白砂糖にもちょっといい側面があることを最近知った。

それは、白い砂糖には心が満足する美味しさというものがあるのだそう。

何でも茶色いものが身体にはいいのだけれど、心が満足する甘さが今一つ、足りないのかもしれない。

全部除去しなければいけないものだったら、売っていないと思う。

自分の心にも美味しい!という感覚が必要なのだ。だから、少しは取り入れてみようか・・・と、グラグラ気持ちは揺れている。

だって、心のためのおいしさに必要なものなんだから。

お砂糖の話。

マイ・ミュージック・ライフ~真夏こそ音楽を楽しむ絶好のチャンス~いい音で聴くには【暮らし・音楽の聴き方】

我が家のスピーカー

ブログ更新87回。真夏の外回りではカーステも夏仕様にする。70~90キロぐらいを走る日が続く。

その距離を辛くなく、かえってドライブを楽しめる小道具が音楽なのだ。

で、真夏仕様は先週のオンラインライブがすでに伝説となりつつある山下達郎氏、T-Squareなどのアルバムを数種類、スマホのミュージックボックスに落とす。専用ケーブルでスピーカーとスマホをつなぐ。

スマホの音源もさほど悪くはない。外営業は季節感を楽しまなくてはね。

そう、スピーカーの話をしよう。

以前、某音響メーカー数社の主催する「スピーカーの音聴き比べ」という無料イベントに招待されたことがあった。

音楽に関わる男女10人で、スイングジャズを聴きながら、お酒を頂くという至福の極みのようなイベント。当日はバーボン(メイカーズマーク)のソーダ割りを頼んだ。

サンスイビクタータンノイボーズなど名立たる有名メーカーと無名の自作スピーカーも余興で登場した。

10曲をそれぞれのスピーカーでどんどん聴いていく。1時間ぐらいぶっ続けで流し続けるのだが、あまりにいい音ばかりでもう、この部屋から出たくない!と思うほどのクオリティーだった。覚えているのは往年の名曲。

イン・ザ・ムード(グレン・ミラー)

シング・シング・シング(ベニー・グッドマン)

スターダスト(アーティ・ショウ)

A列車で行こう(デューク・エリントン)

ラプソディ・イン・ブルー(ガーシュイン)

※曲名と作曲者名


わたしが、特に気にって持ち帰りたいぐらいだったスピーカーは、サンスイのもの。音に包み込まれるような感覚で、空気を纏った温かい質感を持った音づくり。音がずっと寄り添ってくる感動で鳥肌が立った。

もうね、一発でやられてしまった・笑

とてもBGMで聴くような音じゃない。もう津々と毛布にでもくるまって、美味しいお酒を頂きながら聴くジャズ・・・至福でしょう。あっ、モダンジャスが好きだけどね。と、最高な時間をスピーカーから頂いた経験。

ヘッドホンやイヤホン、でひとり音楽主流の今。ソーシャルディスタンスが日常になりつつある。

そんな今だからこそ、いいスピーカーを持って、いい音に触れることが上質な日常のはじまりだろう。

猛暑が続く今年の8月。エアコンの効いた部屋でネットサーフィンばかりではつまらない。真夏こそ、音楽に親しむチャンス!

そこに必要なのは、いい音、好きな音が聴けるデバイス。せっかくだから、身の回りの音楽環境を整備してみよう。

きっと、あたらしい音に出会えるだろう。そうやって音との暮らしを楽しむ人生がいい。

真夏に聴きたくなるジョン・コルトレーン「私のお気に入り」を挙げる。(音源が古いので音は籠ってるけど)

ぜひ、聴いてみて♪

そうそう、作家の村上春樹氏は、ジャズ好きが高じて、ジャズ喫茶を経営し、ジャズ評論も執筆していた。お気に入りのスピーカーはJBL

ノルウェイの森の一コマをここに。

文中より~我々はバスに乗って新宿の町に出て、紀伊国屋の裏手の地下にあるDUGに入って、ウオッカ・トニックを二杯づつ飲んだ。「ノルウェイの森」村上春樹・著

※ ちなみに、ジャスcafe DUGのスピーカーはJBLプロシリーズだった。


                              

梅雨が明けたら~部屋の模様替えをして・海を見に行こう【暮らし・写真で綴る旅/ショートエッセイ】

ブルー&ホワイトの美しい部屋


どの部屋にも合う色の配色を1つ推薦するとしたら、私はまちがいなく青と白を選ぶでしょう。青と白は時代を超えて好まれている配色です。


もし一番好きな色の組合わせを尋ねられたなら、多くの人が青と白だと言えることでしょう。

明るくさわやかで、微妙でやわらかくもあり、いつでも私たちの気持ちをリフレッシュして、穏やかな気分にしてくれます。

ヴィクトリア編集部より~ 編集責任者 ペギー・ケネディ

奄美の海で遊んだ一枚

私がいつも仕事をしている書斎の絨毯の色は深海を思わせる深いブルーだ。
インテリアショップで一目惚れして購入したお気に入りでもう、

20年以上、使い続けている。


木目のフローリングの床にとてもマッチして、癒やし効果もあり、何しろ気持ちが落ち着く。

青に囲まれたお部屋は憧れ。ある古い雑誌の影響で、今年はブルー&ホワイトの部屋をひとつ作ろうと思いついた。

お部屋の模様替えにぜひ!→リンク先 https://matome.naver.jp/odai/2134484394395533401

梅雨の間にソファクッションやカーテンなど揃えて観葉植物の鉢も白で統一する。梅雨明けが楽しみだ。

以前のブログからエッセイをひとつ。(2015年6月)

梅雨が明ける前に

影のわたし

6月30日、梅雨明け前の海に行ってきた。

初夏のとても暑い日だった。
早朝の湘南は、サーファーの絶好のポイントで、たくさんのプレイヤーが波乗りに夢中。

本当にひさしぶりの海で、砂浜をはだしで歩くのがなんとも気持ちよく、勢いついて波うち際まで行ってみた。

引き潮の引力の強さに驚き、一瞬ひるんで、足が動かなくなってしまたった。

そのときだ。

ざっぶーん!と波がきて、膝まで浸かってしまった。

でも、怖いと感じたのは初めだけで、もう、何だか嬉しくて楽しくて、何度も何度も波を感じて遊んだ。

海の夕陽

 週末、朝早く出かけてきてよかったなあと、素直に思った。
平日は時間に追われるように、仕事中心の生活。

週末はいつもとは違うペースで過ごす時間がなにより贅沢だ。

浜辺をおしゃべりしながら歩いたり、波に入って遊んだり、流木を集めたりと楽しみは尽きない。


もう水着は着ない。それでも海は楽しい遊び場だ。

https://www.youtube.com/watch?v=OwyApMy6B6E

コロナ禍の今年は海へは行けるのか?気苦労が絶えないようなら、潔くあきらめよう。

だって、海はいつでもそこにあるのだから。

趣味を持つこと~熱中できる幸せはカメラが教えてくれた【暮らし・趣味編】

              「人に会うのが、私にとって最大の趣味だと思う。」
                  田原総一朗 ・ジャーナリストの情報術より 2016年 BRUTUS 6/1号 

職場での休憩時によく出る話、「最近、何かやってる?」「趣味は何だっけ」「何かそこそこ続けられる趣味が1つほしいんだけど」等、
何か、やりたいけど、これと言って思いつかないみたいな話に花が咲く。

画像を拝

時間を忘れるほど熱中できる趣味が見つかった。それは一昨年のこと。

ブログを書くために、スマホで自前の写真を撮り歩いていた。毎日、営業で出歩いているから、撮るものに困ることもない。そんなわたしを見て夫が、そんなに写真が好きだったら、今、使っていないセミ一眼を貸してあげるよと。

貸す?それはもらったも同然だ。小さめのボディが仕事にも持って行きやすかった。カメラマンではないから、大きなレンズやボディはどことなく気恥ずかしい。

ここから、わたしのマイ・カメラ生活が始まった。ブログに載せるためだけに撮るベストショット。

本当の趣味を持ちたいから、こだわり続けることとは

自分のブログや、SNSの投稿ページを一生懸命飾る楽しみに毎日興奮冷めやらず。しかも、わたしのこだわりは、あくまでも趣味の範囲に留まること。

ここを逸脱してしまうと、本来の物書きになるという願望に対して熱中度が下がることや、文章に親しむ時間が減ってしまうという恐れもあった。

だから、躍起にならず撮りたい時に撮って、自己満足の視点で充分だと考えていた。


しかも没頭できることへ。一つ抜きん出たねえ、なんて褒められながらやれたらいいなぁと思うのはわがままかな。


そして、何事もできるようになるまで修行に時間がかかり、好きになるにもちょっと大きな山になるものがいいなと感じていたからカメラはピッタリだった。

ある程度上達したら、他人に提供でき、共有できて一緒に楽しめる時間を持てたらいいとずっと考えていた。

ある日、ふっと2015年にアカウント登録してまったく死んでいた「note」というコミニュケーションサイトを思いだした。

そして、3月24日から自宅待機となった。いったいこの先、どうなるんだろう・・・と、不安が募った。鬱々とした気分を払拭してくれたのは、早朝散歩で撮る一枚の写真だった。

朝の露や霧、朝日なんかをカメラに納めるのが自粛中の日課になった。

そんな時、「note」の企画のひとつに、みんなのフォトギャラリーというものを発見した。昨年から、今、毎日撮っているものと撮りだめてきたフォトを、WEBサイトのnoteに出展するようになった。

無数に存在するクリエイターさんが、作品のタイトルバックに選ぶ一枚になる企画だ。出展数も見切れない枚数が出ている。綺羅星を探すように見つけ出してもらえたら嬉しいな・・・と、こんな心境だった。

予想に反して、3月末から5ヵ月間21枚のフォトで、141作品を飾った。こんな形で趣味のカメラ撮影にもわずかだが、やりがいと他者との作品の共有とコミニュケーションを持てるように変わったのだ。

今は現状に満足してはいるが、趣味って本当に熱意がいるもの。

しかもわたしの場合はコスパ一択なんで。

雨の日を活かす術~カラダもココロも休んでいい日【暮らし・雨の効用】

雨に図書室
図書館にて

● もうすぐ梅雨明けか~でも大雨がふるらしい

今週頭に帰ってきた息子。この一週間ずっと雨降りで仕事(営業職)がきついと漏らしていた。わたしも、毎日雨の中、意を決して出るのだが、帰ってきてぐったり。

それもそのはずで、一日中マスクしてるじゃない。あれが、かなりキツイのだ。サングラスの視界が狭くなるみたいな感じで、完全に自分の世界に浸りながら仕事をしている。

最近では、くぐもった声にも慣れてさほど会話にも不自由しなくなっている。慣れってすごい。

 来週半ばからの連休。まだ梅雨明けしそうにない。今朝のTVで26日頃・・・とか。来週の連休は、事前の天気予報をよく見て無理な外出予定を立てずに、家で楽しく過ごせるように準備している。

とか言って、準備している物は、何冊かの小説や美味しいお菓子、ワインやビールなどで、いつもの週末と何にも変わらない。毎日外へ出ている分、休日はドップリと家にいたい。

だから雨続きでも、雨の日は雨の日なりの過ごし方を徹底的に堪能したいと思案を重ねている。例えば、恒例の10時間睡眠を実施すると、どれだけ心やカラダを癒せるか・・・それはもぅ、計り知れないぐらいだもの。

ちょっといい美容液やサプリメントを取り、これでもか!と良~く寝る、美容のために栄養を存分に与える、それが連休最大の楽しみ♪

雨のカフェ

 ほんとのところ、わたしは意外にもの日が好き。なぜか?と自問自答してみたら、雨の日は自分自身を身近な自然と同調させ、疲れた心とカラダを癒して力を蓄えることが可能な、要するに”恵みの雨”なんだと気が付いたからなのだ。

なので雨の日は、自分のカラダをすみずみまで愛する時間を与えてもらったと思って、せっせとお手入れもしている。

 先日、こんな話を病院の待合いで、あるご婦人から聞いた。婦人曰く、「雨が降ると、休んでもいいんだよ~~~!って神様に言われている気がして、気兼ねなく休めてホッとするわ」と。

なるほどね。仕事の外回りで雨に濡れたわたしを見て、いかにもちょっと休みなさいよ-と、言わんばかり。その時はただただ黙って聞いていたのだけれども。

恵みの雨
画像を拝借した
雨のドライブ
画僧を拝借した

雨のもたらすカラダへの良い影響とは

 雨の捉え方一つでも、ずいぶんと気持ちが違うもの。雨がしとしとと降り続くなか、雨音を聞きながらの読書はなんとも心の落ち着くもの、夢見心地でついうたた寝してしまう。

 雨の降る音のリズムには、人に安らぎや快感を与える 1/fゆらぎ になっているものらしい。そして、雨の降る音は雑踏をうまく掻き消すマスキングの役目も果たし、人の交感神経への刺激も減るのだそう。

そうそう、小川のせせらぎ音滝の音なんかも同等だと。行く場所も、できることも限られてしまいがちな雨の日だが、そのぶん集中した最良の時間が手に入る。

 雨だからうっとうしい。洗濯が乾かない!とか色々ネガティブになりやすいものだけど、ちょっと視点を変えて、雨の日を最高のリラックス日・癒しのインプット日にすることで、いつもの喧騒から一時的にでも解放してくれるのが雨の効用だ。

雨の一風景
猫画像を拝借した

雨について、何だか改めて書いてみると、とってもありがたいものに思えてきた。雨の日は、雰囲気も変わり、自分を変えるまたとないチャンス!自分自身のために有効活用したい。
 これからもまる1日休めるんだったら、やっぱり雨音を聴きながら思いっきり昼寝かな~。(笑)

ピアノを愛す~変わらぬクラシック音楽で生老病死の苦悩も超える【暮らし・音楽エッセイ】

わたしは音楽大学でピアノを専攻して最初の職業がピアニストだった。クラシック音楽を幼いころから湯水のごとく聴き、弾き続けてきたが、未だにまったく飽きない。それどころか、もっと、もっとと、深淵なる世界への誘いを求めてしまう。

そんな愛すべきクラシック音楽は300年もの時を経て今でも音楽家たちを魅了し続ける。

基本的にクラシック音楽は楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。また、その演奏方法が何百年も変わらないのだ。

それでもたいがいの演奏家は口を揃えて言う。変わらないのが面白いと。演奏家の端くれであるわたしもそう思う。

クラシックの名曲には、偉大な作曲家のが込められている。その魂の力で300年前の楽曲が、現代でもまったく色褪せないのだろう。

長い時を経ても衰えない。迫力がある本物の世界。一方で変化変化の渦中に生きるわたし達。インターネットが普及してからは、新しい環境、新しい製品が簡単に手に入るようになった。

しかし、今では最新の情報や製品でさえも、すぐに古くなる。しかもそのサイクルはどんどん速まっているのだ。

ここで、変わらぬクラシック音楽を生業にしてきたわたしが感じることは、いかに技術が進歩しても、人間の生き様に関わる生老病死みたいな根本的な悩みはなくならないということなのだ。

だからこそ思うのは、生きた哲学にも通じるクラシック音楽を生活の中に取り入れてみたらどうか・・・という提案だ。

出身の音大ホール

誰でも、一曲ぐらいは、親しみのある名曲がきっとあるだろう。300年もの間、人々に愛され続けた曲。苦しみや悲しみを癒す曲など。

たった一曲持つだけ。これで深淵なクラシック音楽の愛好家になれるはず。

ちなみに、わたしの究極の一曲 バラードOp,2 ショパン作だ。これを弾くために音大へ進んだ。卒業演奏では、恩師の勧めでポロネーズを弾いた。これも時の運。

いつまでも憧れが尽きないクラシック音楽。ぜひ、一曲どうぞ。

ここで、以前のブログからエッセイを1本。

~ピアノを愛す~

●10年前の脳出血での後遺症による体の麻痺で、最近はピアノも前ほど弾かなくなっている私だが、演奏家としてだけでなく教育者としても弾けなくなってしまったあの大病。あの時、私の人生の支えだった音楽家としてのポジションが、心の中でがらがらと音を立てて崩れ去ったのだった。

突然の失意だったが、ハッと!気が付いたことがある。わたしは改めて見直すと、音楽にしみついていただけだったのではないかと。しかもその当時は、生活の糧でもあり、質より量をこなしていた。

音楽教室の運営にも刷新が必要な時期だったこともあり激務をこなす毎日。しばらくして、まったく別の出版社の営業職という形で、ビジネスウーマンとして働くことに決まった。そして発病。

それからは音楽が自分にとって純粋に精神的な支えとなってきたと感じている。

● もう、音楽の仕事にはしがみつかなくてもいいんだ、演奏を自由に楽しもう!と肚に落ちた事だったから、悔しくても後悔することは、当時ほとんど無かったと思う。それからは、毎年、秋には新しい曲を弾くために楽譜を用意する習慣ができた。自分だけの楽しみ。誰かに聴かせるわけでもなく、一人難曲に挑戦する至福の時間だ。

● 楽器が演奏できるということは、言葉にならない自らの思いを音楽に乗せて表現できる事だ。そうする事で、人生をより一層、豊かに魅力的に輝かせてくれるもの。

まるで、野に咲く花のようである。自分の手元になくても、そこにいけば厳然とある。決して摘んだりせずに眺めて楽しむことで十分な世界。音楽も手に取れない。でも音だけが流れる時間がそこにはあって所有しなくても躍動している。

 わたしはそこに深い価値を見出せたから、心豊かに人生を奏でられる音楽を愛おしくずっと携えていける財産だと心から思えるのだ。

● わたしの母は、わたしが学校に行っている時間にひとり弾けないピアノを良く奏でていたと、晩年になって本人から明かしてくれたことがある。

 そういえば、子どもの頃「いいねぇ みーちゃん(私の呼び名)はピアノが弾けるんだもんね」と、良く言っていた。それは自分が弾きたかったんだと思うし、でもだったら習えばいいじゃない!とは、一度も言えなかったわたし・・・。

 多分、厳しい練習やレッスンの現場を、わたしを通して長い間見てきたから自分には到底無理なことだと思っていたよう。また、父が副業で作った零細企業の雇われ社長を任されていて、人も雇っていたから時間的にも無理と諦めてしまったのかも知れない。

もうすぐ新盆なので母のことを思い出して加筆した。

● わたしにとっての楽器とは、特にピアノは弾く楽しみだけでなく、聴く楽しみも与えてくれるもの。偉大な作曲家の書いた楽譜を新たに一から勉強すると、また一つ新しい世界が開けてくるのだ。

 一生かかっても弾ききれない曲の数々。そこから新たに弾きたい曲を、仕事とは関係なく自由に選んで勉強できるだけの素養を、音楽大学で学ばせてもらった。本当に両親には感謝してもしきれない。

 私の専攻したピアノは一人で合奏できる多様な楽器、とても雄弁だな~とつくづく思う。自分の自己表現の手段としても、大切にして行きたい数少ないわたしの無形財産だ。

 6歳から初めて、もう約50年近くも一緒に生きてきた私のピアノ。今でも始めの1音を出すと全身の毛穴が全開するような錯覚に陥る。

そこから始まるわたしだけの音は、やっぱり誰にも譲れない最高の自分時間なのだ。