「ケとハレ」の日~ほとんど「ケ」だから「ケ」を大切に生きる / 暮らしの基本に忠実に♪【暮らし・雑感】

【ブログ新規追加267回】

2月11日建国記念日

建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ、日本国の建国を祝う日で、日付は2月11日。1966年(昭和41年)制定。(Wikipediaより)

現在、国民の祝日に日の丸の旗を掲げるお宅はほぼ存在しなくなった。また、この祝日を皆で祝うという風習も。

ハレ=晴れの日とケ=褻の日とは

ある程度の大人ならば、何でもない日、要するに普通の日を「ケ」といい、特別な行事やお祝いごとを「ハレ」というのは誰でも知っている。

「ケ」と「ハレ」の由来・・・民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ()は普段の生活である「日常」を表している。

ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。(Wikipediaより)

お節料理、赤飯、鯛のお頭などの料理に代表されるのが「ハレの日」の特別な食事で、昔の日本では、ハレの日とケの日の境界は非常に明確だった。

それが近代化・現代化が進むにつれこの境界線が曖昧になり、いまではこのことを意識して生きている日本人はほとんどいない。

なんでも、民俗学の権威、柳田国男氏が「ハレ」と「ケ」の世界観を表記したことが機縁となっているそうだ。

人生の祭りごとが減る、歳を重ねてきて思うことは

わたしのこれまでの人生は、苦難続きであったけれど、時代の変革に軽く波乗りをし続けてきた感じがしている。

最大の「ハレ」は自身の結婚、次は子どもの誕生、次はその子どもの成長過程で、受験の合格や就職で社会の一員となり活躍するなど、あげればキリがない。家族の成長すべてが「ハレ」の日だ。

その一連をやり切ってきた。そして、登ったら降りるしかあるまい。

下りの日々には「ハレ」の日というくくりは、どんどん失われていくものなのだ。

でもね。人生、ほとんどの日が「ケ」なんだよ。

その「ケ」の日をどれだけ、芳醇に過ごせるかは、ほとんどなくなった「ハレ」の日にするインプットのことじゃないか?って、最近気がついた。

コロナ自粛でも、「ハレ」の日に外で受けた刺激を、ていねいに抽出する「ケ」の日とすれば、やることだらけでかえって忙しい、充実した日常になるだろう。

歳を重ねた今の「ハレ」の日は、仕事に出ている日であり、買い物をする日であり、オンラインで人とのコミュニケーションを取る日なのだ。

そして「ケ」」の日には、溜め込んだ本やWeb情報をまとめて読み、こうしてブログを書く。

「ハレ」で受けた刺激を、生きる活力に変えるスキルがもっとも必要不可欠だろう。

最後に。

わたしは、自分の足で歩いて買い物に出られる100歳を目指して、日々ウォ―キングやトレッキングをしている。

いつだって、「ハレ」の日を迎える準備に余念がない(笑)

そう、「ハレ」は自分で生み出し、自分を飾る最高のもてなし。

“「ケとハレ」の日~ほとんど「ケ」だから「ケ」を大切に生きる / 暮らしの基本に忠実に♪【暮らし・雑感】” への1件の返信

  1. 「初午や 分別つけて 進みたる」 清流
     初午は本来、稲荷神社の年始め祭礼のことだが、それはそれ、午年の今年はきちんとケジメをつけるための日としたい。実質的な稼働初日と執ろう。
     

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