流行っているもののなかに混ざる~これが家庭以外の世界を知り、社会を知り、他者を知る唯一の方法 / ひとと同じだけどセンスが違えばいいの【暮らし・センスの磨き方】

【ブログ新規追加395回】

今さら、センスを磨く?もうね。歳を取ったら、どーでもいいんじゃない?

そうだろうか?

ひとと同じものを着たい!と強烈に思い込む情熱は、センスアップのためにも案外いいかもしれないよね。

全体の3%が好き!といったものは確実に流行だそうだし。

先日、アウトドア老舗メーカー・スノーピーク社長 山井梨沙氏のインタビューを聞いた。

2020年コロナ禍の影響から第3次キャンプブームが湧きおこっているが、それでも全体の7%だと。

スノーピークでは全体の30%を、キャンプ人口の最適化を図る事業目標に置いているのだそうだ。(いつまでに30%か?の未来展望については聞きそびれた・残念)

だからそのためにいよいよ次なる行動(キャンプパーク設立など)に出ているらしい。

この話を聞き、流行をさらに際立つものにするためには、「流行っているモノの中に身を置くことが、一番センスを磨けるんじゃないだろうか?」と、わたしは考えた。

もうね、誰もわたしのセンスに対して興味もないだろうから(笑)

いよいよ好き勝手なセンスを爆発させる!最高の年代に入った。

へそ曲がりなわたしはほくそえむ。

さて、「センスを磨く」って、具体的にはどーすればいいの?と悩んだ

遥か昔のわたしのエピソードを語ろう。

                  ★  

~あれは、中学2年生の頃。

クラス替えで一緒になった「いわせくみ」という細ーいカラダの色白女子と知り合った。

陸上部でも一緒。短距離走者だった。もちろんわたしも短距離。わたしたちは、あっという間に意気投合したんだ。

彼女は、その細ーいカラダを悠に利用した不思議な走法で、あっという間に部ナンバーワンの成績を市大会で叩き出した。

そんな彼女より3番手遅れを取るわたし。

でもね。別にタイムが遅れていようと、そこに猛烈な競争心はほとんど湧かなかった。

唯一、彼女のある部分に憧れというか、真似したいセンスの一端があり、それを盗みたくて、部活に全身全霊をかけていたほど。

そのセンスとは。

1970年代後半、大ヒットした「アディダス・紺トレーナー」をダボっと細ーいカラダにまとっていたんだ。

その姿の可憐で可愛いことったらない。当時の陸上部のユニホームはあの「アタック№1」みたいな首の詰まったシャツ。その上からダボっと着たアディダスは何より可愛いものだった。

「アディダス・紺トレーナー」は当時4~5000円。とても高級品だった。しかもあまり手に入らなかった。

わたしは、その紺トレーナーをどうしても着てみたくて、ある日彼女に思い切って相談したんだ。

「ねえ。そのトレーナー着てみたいんだけど、一日だけ貸してくれない?」と。

気前のいい彼女は「えっ?いいよ」と一瞬でわたしの手の中に渡してくれた。

わたしは、速攻で家に帰って、そのトレーナーをあーだ・こーだしながら彼女みたいな可憐な雰囲気になれるだろう・・・と期待を膨らませ着てみたのだったが。

結果は、残念。

ただの子どもっぽい坊やみたいになっちゃったんだ。

その時、思ったよ「これは、幻想?同じものでしょ?でもまったく違うじゃん!」とね。

おしゃれのセンスって、ひとの内面の感情をかたどったものだとハッキリと自覚できた。

だからこそ、虚栄心や競争心をあおるものだとも。いい勉強になったのよ。

この日から、わたしは、センスという「あらゆる差異を突き付けられる苦悩」の始まりに立ったのだった~

というちょっとバカげたお話。

                 ★

今では、わたしもセンスをどう磨くかは心得てきたつもり。センスはその人の持つ人生すべてを映し出す強烈なインパクトのあるものだ。

先の話じゃないけれど、子どもの季節をとうに過ぎて、素敵なものをどう、自分らしく生活に取り入れるか?

そのあたりは、おしゃれな雑誌のグラビアとかでそれこそたくさん勉強したものだ。電車での通学なんて一番センス磨きにはうってつけだった。

反対に到底センスの及ばない、要するに手に入らないセンスを横目でスル―できる技さえ持つようになった。

そのスル―する技とは、これだけ。

「おしゃれには、魔法の粉なんてないよ」

と、この一言で留飲が下がるのだ。

でもね。今でもセンスのかけらを磨こうと

ひとを見るクセは抜けてはいない(笑)

※ トップの写真は「水切りヨーグルトと摘んだブルーベリーのはちみつがけ」を砥部焼の器で。