★2024年2月21日更新 亡き母も愛でていた枝垂れ梅を見に行く~ボタニカル・ライフ⑤【植物・枝垂れ梅】

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枝垂れ梅・・・枝垂れ梅花言葉は柔らかさ、華やかさ。

花言葉:潔白、忠実、高潔、気品、清香、上品な美しさ。

先日、友達から「○○町の枝垂れ梅が咲いたよ」と写真を見せてもらった。

ああ、そうだった。あの見事な枝垂れ梅を今年こそ見に行かなくっちゃって。急いで友達に場所を聞き、日本晴れの今日、絶好のタイミングで鑑賞できた。

この枝垂れ梅は、6年前に亡くなった母も近所の友達と毎年見に行っていた。母は友達と見に行く枝垂れ梅を毎年、それはそれは楽しみにしていた。

枝垂れ梅の鑑賞後は、近所の喫茶店でみんなで淹れ立てコーヒーを味わう。

そんな楽し気な姿を写真に撮ってもらい、遺影にしようと準備をしていたほどだった。

だから、わたしは母の大切な日に割り込んだりはせず、ずっといつかひっそりと枝垂れ梅を見に行こうと思っていた。

しかし、忘れていたんだ。一昨日までは(笑)

で、久しぶりに会った友達からの情報に、急に色めき立ったわけ。持つものはよい友達よね。感謝しています。

個人のお宅の横(敷地内)にある巨木で、周辺には道祖神がまつられている、昔ながらのあぜ道に見事に咲き誇る枝垂れ梅がそびえ立っていた。

枝垂れ梅を一通り撮影した後は、多摩川沿いの土手まで散歩。帰り道には白梅の畑がありここでも撮影。

今でも残る昔ながらのあぜ道には驚くほどの癒しがある。薄紅色の見事な枝垂れ梅や白梅からもむせ返るほどの香りが漂っていた。

髪や服に梅の匂いをまとって、2月19日にオープンしたばかりの近所のMacに立ち寄った。

2階の眺めのいい席でソフトクリームを食べて帰ってきた。

そうそう、枝垂れ梅のそばで、桜の開花も見つけたよ。今年は暖冬で3月18日開花予想の東京だ。

あまりの暖かさにちょっと焦っちゃったかも(笑)

まだ今月は梅を楽しみましょうよ。

今週のボタニカルライフをまとめる~国道16号沿い(神奈川県/相模原市・東京都/福生市;八王子市)にて【植物・ボタニカルライフ④】

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日テレ「沸騰ワード10」浅田真央ちゃんとタケノコ王の自然薯を探すハンター番組を今、見終わった。

沸騰ワード10/ ネイチャーまおちゃんとは?→将来、自給自足生活をしたいと語る国民的アスリート・浅田真央ちゃんが、白子タケノコの量産化で1億稼いだ静岡のタケノコ王に弟子入りする「自給自足生活への道」わたしの数少ない大好きなTV番組。毎回欠かさず観ている

今回も、仲間の山梨のキノコ王と鬼嫁とともに幻の食材「モンスター」を探し険しい山中へ。
古民家での冬支度も体験する。

今回もかなりネイチャーな険しい山にも挑戦し、時給自足を本気で目指す浅田真央ちゃん。今日の成果物は140㎝級のモンスター自然薯を見つけ掘り起こしていた。

いいなあ、子どもの頃、裏山で山芋掘っていた頃を思い出したよ(笑)

● 2月初旬のボタニカルライフをまとめてみた

わたしの今週のボタニカルライフをちょっとまとめてみた。ほとんど、仕事が終わってから午後3時~5時ぐらいの短い時間を充てて、季節の植物や山に触れてきた。

幻ではないけれど、めずらしい品種の山野草が咲きはじめると、例年の開花と今年の開花予想を独自で立てて、仕事に支障のない中での、山野草ハンターとなる時期になった(嬉しい)

その中で、撮りだめた写真を続けて披露して行こう。

① 梅園へ梅を見に行く(2月2日 神奈川県相模原市 相模原北公園)100種100本の梅園はまだまだ、蕾も少ない。ものすごい満開の梅を見に来月また来よう。

(今週のブログのトップに使用した、東電の花壇、北公園のガゼボは省いて紹介する。

帰りの相模原圏央道ICモールコピオ相模原でひと休みする。丹沢大山が美しい。手前に見えるのが丹沢大山。1000m級の低山だが、比較的登りやすい。

過去に一度登った経験がある。名物は丹沢山渓が生んだきれいな水を使う「大山豆腐

少し固く、しっかりとした豆腐は湯豆腐に最適。多摩地域では三和などで手に入る。

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② 福生の仕事先から望む富士山。いつも利用する駐車場から見える雪の富士山を最大Zoomで撮影。(2月4日朝 東京都福生市)

福生市と言えば、米軍基地の街。英語他、他国語で書かれた看板が何キロにも渡る。

毎月2日は仕事で訪れる。

国道16号も航空機を横目に見ながら運転する非日常が味わえる街だ。

③ ひよどり山/153m(2月5日 東京都八王子市)の福寿草を見に行く。

福寿草は典型的なスプリング・エフェメラルであり、春を告げる代表的な山野草だ。

多くは人の手で植えられたものが根づき、毎年その場所で芽吹くのだそう。ごく少数の自生先は遠く、九州、北海道やロシア、アムール川の沿岸など。

低山ハイクの途中で枯れ木を中心に写真を撮るご婦人と出会い、わたしも一緒に美しい枯れ木スポットで写真を撮った。これは新しい試み。もう、楽しくってしょ~がない。

福寿草

雑木林の枯れ木

雑木林で出会ったご婦人は、完璧な低山ハイクの装備。わたしは仕事帰りの装備なし。馴れたひよどり山でも夕方は思った以上に寒くなる。ご婦人の装備はやや凄かったけどね(笑)

今週は、山(丹沢山渓・富士山・ひよどり山)の3ヵ所を眺めたり登ったり。自然公園(相模原北公園・都立小宮公園)2ヵ所を訪ね、福生の梅の名所「神明社」にも行ってきた。

● 地味な植物に心惹かれる理由

若い時は「桜」しか目に入らなかった。

山野草好きな年配の知人から「あなたも「そういう歳」になれば、梅の美しさに気づくわよ」とも言われた。

それ、本当。

もう、「そういう歳」になったんだね。

華やかさを追い求めない清廉さとでもいえようか。

季節の移り変わりをこんなにも楽しめる「そういう歳」というものは。

我が家の前の造園の白梅がこの連日の暖かさでほころびはじめた。

家のまわりの植物もそのうちまとめてみよう。名前や由来も入れて、エピソードも添えて。

溺愛する植物や登山の季節が迫ってくる。

仕事が手につかないほどではないけど、目前の仕事をしっかりやることで、コロナ禍で遠くへ行けなくても充分過ぎるほどの息抜きが叶う。

普段、平日の外回りで行ける場所を今年は毎週、押さえてみようと考えている。自然が豊富な場所で仕事ができる幸せは計り知れない。


自分らしさを見つける行い~それは「エッセイを書くように街を歩いて見つける」(ボタニカル・ライフ③)【暮らし・植物 / 歳時記】

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● 自分のご機嫌を取るために用意したモノ

立春を晴天で迎えた。

立春は中国では旧正月。新しい年が始まったところなんだね。

わたしも、立春に今一度、「この一年を好きなことで埋め尽くし輝くため」に小さな手帳を用意した。

今さらとかは、まったく思わない。

小さな手帳に「宝モノみたいな好き」や「欲しいモノ」や「やりたいことがら」をいっぱい書き集めて、ワクワクしながら眺めている(笑)

自分のご機嫌は、自分でしっかり取るのが大事よ。

● 自分のご機嫌を取る行動は、光輝くお花を愛でる場所に行く

といっても、この行いは、特別な場所などではない。

日頃、外営業で回っている場所に、思いがけず美しい花壇があったり、遠くに輝く山々が煙るような時期にはカメラを車に積んでおく。

そして、仕事がひと段落したら撮影をするのが、わたしの最高のボタニカルライフ。

今日は、毎月美しい花壇を作っている神奈川県相模原市の東電へ。

ここは、知的障害や肢体障害を持つ人たちが一生懸命、丹精こめて手入れをしている街の街頭花壇だ。

今月は、パンジーストックビオラが植えられている。

だいたい、毎月季節の花に植え替えられているのが驚き。

この数年の記憶では、3月はノースポールだったかな。

香りもよく、青空に映える花たちが壮観に咲き誇る。

毎月、この花壇を見ることを本当に楽しみにしてきた。

念願叶っての今日は、一期一会に期待して2枚だけ撮影してきた。

● 自分らしさを見つけて輝くためには、ちょっと視点を変えてものごとを見てみる

平凡な日常をちょっと感動的に、色鮮やかにする方法があるとすれば。

それは「エッセイを書くように街を歩く」この行いに尽きる。

よくある日常的な事柄も、エッセイの中では、まるでドラマティックな映画のワンシーンのように描けるものだ。

もし、エッセイを書いてみたいと思うなら、自分の一日を書き出してみると良いよ。

あんまりにも書くことがない・・・というわけでもないのがわかるはず。

だって、お味噌汁の具にこだわってるかもしれないし、ご飯の炊き方にこだわりがあるかも。

ご飯とお味噌汁だけでも、充分に立派な一本のエッセイが仕上がるのだ。

その平凡だけれど、美味しいご飯とお味噌汁をどう表現するか?

好きな映画のヒロインを真似て書くとか、好きな作家の文体に寄せて書くとか、

いろいろ自由に書けるのがエッセイの魅力。

私たちの身の回りにあるごく当たり前のことが、なぜエッセイになると印象的なものになるのか?

それは作家が、私達とは違う視点から日常を切り取っているからだ。

だから、わたしみたいな普通の人でも、ほんの少し視点を変えることで、いつもの風景が特別なものに変わりうるから、文章の世界は楽しいんだ。

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パンジーやビオラは普通の園芸種。別に珍しくも何でもない。

それが、身体の不自由な人たちの「手」で愛情込めて、植えられて見事に咲き輝いている光景を、いつか写真に撮ってみたかった。

かっこをつけなくても、飾れなくても、無心に作業に没頭する彼らは充分かっこいい。

ドラマは、普通のところにあるものだ。

今年も普通の輝きをいくつ見つけられるかな。

★2024年1月31日更新 ボタニカル・ライフ②~福寿草(フクジュソウ)の花言葉は「幸せを招く」「永久の幸福」【植物・福寿草】

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昨日、夕方4時20分、いつもの場所に「福寿草」を探しに行った。

今年は、少し咲くのが遅い様子。

それでも可愛いつぼみがそこかしこに出ていた。

真冬の寒さも忘れてつぼみを写真に収める・・・ああ~しあわせ。

あんまり夢中になりすぎて、気が付いたら夕暮れが、すぐそこ。

今年も始まった、わたしのボタニカルライフ。

春の樹々や山野草に魅せられてもう10年近くになる。

毎年、必ず同じ場所に咲くとは限らない。一期一会の時もある。

人の手がかかっていない自生している山野草を見つけるハンティングも

醍醐味があるし、季節の山の美しい変貌を見られるのも最高。

⦿ 福寿草とは

フクジュソウは縁起の良い花。

フクジュソウは昔から縁起ものとして親しまれてきた。

現在も、新年を祝う花として、年末年始に販売されているものがよく見られる。

ただし、フクジュソウの本来の開花時期は2月~4月にかけて。

正月に飾られているフクジュソウは、ビニールハウスなどで促成栽培されたものになる。

                

寒い冬を乗り越えて咲く福寿草。

満開になるまで、見守っていこう。

★2024年1月15日更新 蝋梅「ロウバイ」~厳冬を彩る黄色い梅林を見に行く/ 東京都町田市・忠生公園蝋梅苑にて(ボタニカル・ライフ①) 【植物・冬の植物】

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1月、一番に咲く花の色は黄色だそう。

日本水仙や早いところでは菜の花、もう少しすれば、福寿草など。見るだけで元気をもらえる黄色い花。

2021年は、毎月、美しい季節の樹々や山野草をこの植物コーナーで紹介していこう。

1回めは、香りと色が素晴らしい春一番の梅「蝋梅」

黄色い花の代表は、この植物ではないだろうか。

蝋梅「ロウバイ」と呼ばれる、まるで蝋燭みたいに、薄い乳黄色の梅。今日はその中でも、最も黄色い「「満月ロウバイ」を中心に蝋梅の林を訪ねてきた。

ここ、町田市忠生公園は、仕事先の目と鼻の先。今日は、昨日とうって変わってとても寒かった。

曇天の中、約30分ほど、蝋梅の林で写真を撮り続けた。

蝋梅は、独特の香りがすごく強い。

寒気が山肌を覆う早春、ロウバイの芳香が漂ってくるとホッとした。

2年ぶりの訪問で、ああ~帰ってきた・・・という気分が高まった。

人を幸福にしてくれる香り。

甘くフルーティで、微かに石鹸のような清潔感がある香りは春の予感さえ醸し出す。

さて、蝋梅の林をご覧ください。


蝋梅の簡単まとめ

冬のため花の少ない時期だが、暖かい太陽のもと散策するのもいいものだ。(今日はあいにくのお天気・泣)

ロウバイの花は小さな花だが、逆光のなかで観察すると花弁が透けて、とても綺麗に感じるもの。

花の由来は唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。

別の説では花被片が蝋細工のようであったことからそう呼ばれる。

中国原産で早春に芳香のある黄色い花を咲かせる。「ろう梅」と書きますがウメと違ってバラ科ではなく、ロウパイ科という小さな科に含まれる。

ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。

1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。

ロウバイの基本種は、花びら(花被片)は黄色で内側の花びらは暗紫色。
また、花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。

ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)などの栽培品種がある。

よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。また、初夏に咲く同じロウバイ科のクロバナロウバイがある。
WEB記事より

東京都町田市・忠生公園(蝋梅苑)→https://www.townnews.co.jp/0304/2019/01/17/465448.html



蝋梅苑(ろうばいえん)には、現在、見頃のソシンロウバイやマンゲツロウバイなどが約84本近く植えられている。

ロウ細工の質感を思わす花からは、ほのかな甘い香りが漂う。

どこか懐かしい香りに包まれて幸せ感、倍増よ(笑)

★2023年12月12日更新 枯れ木も山の賑わいを楽しむ~冬ならではの植物の風景【植物・冬の風景】

【ブログ更新211回】

枯れ木も山の賑わい」とは、日本古来のことわざ。

つまらないものでも、無いよりはましであるということ。

また、役に立たない者でも、いないよりはいたほうがましだということのたとえ。

それでも、春には芽吹き、満開の花を咲かせる植物たち。

一年のうちに、誕生→生育→満花→熟成→枯れる・・・と。このルーティンを淡々と繰り返す、植物の静寂な力強さに魅了され続けている。

今朝も、もう春を思わせる「白モクレン」の芽吹きを写真に納めた。すぐそばには「金柑」の実がたわわになっている。

枯れ木も山の賑わい」は使い方を真重にせねばならない。

自分を謙遜して言う言葉なので、他人に対して使うのは失礼にあたるなど気をつけたい。

いつか、わたしもパーティーのお誘いを受けた時に、こんなことわざを使う場面があるのだろうか?

まったく、教養の引き出しが必要だよ(泣笑)

紅葉(もみじ)狩りに行ってきた~京都でもなく、近所で紅葉(もみじ)終わりを堪能する【植物・紅葉(もみじ)狩り】

【ブログ新規追加209回】

秋になると、紅葉の鮮やかさ、色の奥深さに毎日の外営業が楽しくて仕方がない。

今日、午前中のオンライン会議を終えて、すぐにカメラ片手に近所の都立公園へ紅葉(もみじ)狩りと、しゃれこんで来た。
 
 
秋になると、わんさか外国人観光客が京都に押し寄せるのを毎年TVで観ている。そしてその激込みを避けて京都へは出かけてきたものだ。

京都の神社・仏閣ほど管理と手入れが入念にはなされていないものの、この都立公園の紅葉(もみじ)の見事なことったらない。

紅葉(もみじ)が森の古い神社や古池に映えているだろうから・・・と、わくわく、いそいそと、真っ赤に燃える紅葉(もみじ)を撮ってきた。


日本人は万葉の時代から紅葉を愛でてきた。現代でも、桜と紅葉は天気予報でお知らせがあるほど大切な行事。
 
紅葉狩り(もみじがり)」という名称も古風極まりないがいい。

● 桜は「見る」・紅葉は「狩る」のはなぜ?
 


 調べてみたところ、諸説は色々あるようだが、いくつかを組み合わせて言い伝えられてきたようだ。

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もっとも有名どころの話では、長野県戸隠の「紅葉伝説」で「鬼女」退治をした「紅葉狩」という題材があるのだそう。

能や歌舞伎の演目にもなっている話だが、これは平安時代の平維茂の話なので、紅葉狩りの言葉より後にできたもの。

そこへ行くと、かの万葉集には、すでに、樹の花を愛でる所作について「狩る」と唱えられている。

庶民の最大の遊びであった「花見」を「桜狩り」と言っていたと。

思うに、「桜」は月や雪と同じ、目で見て楽しむ雰囲気がある。一方の紅葉(もみじ)は秋の収穫時期と合いまって、鑑賞することを「狩る」と、表現したのだろう。

様々な、文献をひも解いてみたが、どの説も、ごもっとも!

● 明治の俳人・与謝蕪村の名句を紹介

与謝蕪村は、松尾芭蕉・小林一茶とならんで称される江戸三大俳人の1人。

「江戸俳諧中興の祖」といわれている。

~山暮れて 紅葉の朱を 奪うけり~ 与謝蕪村


 


 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
 
 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

わが町のイチョウを見に行く~風物詩「おつまみ銀杏」の作り方あり【健康・植物/イチョウ】

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晩秋の連休二日目、晴天に恵まれた朝。

わが町の「イチョウ並木」を早朝、見に行ってきた。昨日の強風でずいぶんと葉が落ちていた。やっぱり、先週末ぐらいが最高のきれいさだっただろう。

お目当ての銀杏拾いも、もうほぼ無くなっていた感じ。もちろん銀杏落としのイベントがあったのか?わからないけど。

まあ、コロナ禍でそぞろ歩きをするつもりはなく、いちょう祭りの終点「多摩御陵」の綾南公園に車をとめて、御陵付近のイチョウやさまざまな植物を楽しんできた。

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もみじ祭りが始まっている高尾山に近い多摩御陵は、高尾山同様に美しいもみじの紅葉も見られる。

帰りに「道の駅 滝山」に寄り、銀杏を購入。今晩の酒の肴になる。季節を味わう絶好のチャンス。

で、「おつまみ銀杏」の作り方を紹介しよう。

 おつまみ銀杏 ※レンジで作る一番簡単な食べ方(2人分)

[材料]

生の銀杏・・・適量

塩・・・ひとつまみ

紙封筒・・・茶封筒や普通の白封筒でOK

[作り方]

① 銀杏を茶封筒などの適当な封筒に入れ、500Wのレンジで40~50秒チン。数個が破裂すればOK。

② 破裂しないで殻が割れていないものは,キッチンバサミ等の殻割り部分で割って塩を振って食べる。

◎ 尚、銀杏は食べ過ぎに注意しよう。

1日に10粒以上食べると体調に悪影響が出るケースがあるよう。

イチョウに含まれる『メチルピリドキシン』という成分が体内のビタミンB6の働きを邪魔する。

ビタミンB6が働けなくなると、嘔吐、下痢、呼吸困難などの症状が出て、 やがて、中枢神経に異常が 起こる。

くれぐれも、言い伝えのように「歳の数以上は食べない」ようにしたい。

わたしは歳の数じゃ、すでに食べ過ぎ!だから、10個だけ・・・と決めている。

できたての美しいエメラルドグリーンの銀杏に今年も逢える。

ああ~楽しみ♪

秋花巡礼~日本画(屏風絵)から探す秋の七草【植物・美術エッセイ】

【ブログ新規追加187回】

秋の七草・・・萩・すすき・オミナエシ・桔梗・撫子・葛・フジバカマ

「秋の七草」は、奈良時代の歌人、
  山上憶良(やまのうえのおくら)が
  万葉集において選定した。

 「秋の野に 咲きたる花を
  指折り(およびをり)
  かき数ふれば
  七種(ななくさ)の花
  萩の花 尾花葛花 撫子の花
  女郎花 また藤袴
  朝貌(あさがお)の花」

※ 朝貌(あさがお)は桔梗。

春の七草は「七草がゆ」にして食を楽しむものだが、「秋の七草」は花を愛でて楽しむもの。

● 日本画で秋の七草を見つける

秋も終盤の15日は、我が街の美術館にて、日本画を堪能してきた。

そこで観た作品の映像から、ハッと!気づいたのが、「古の画家たちは、足元の季節を切り取って作品を作ってきた」という真実だ。

● 横山大観「春秋」

屏風画はその大きさからスマホで撮り切れず。残念。

左隻の「」だけを撮ってみた。今回の展示は撮影OKの作品が多く、それを目当てに来館される人も多そうだ。

【作品紹介】横山大観「春秋」

右隻に春のしだれ桜とたんぽぽ。左隻に秋の楓とりんどう、おみなえし、芒が描かれる。左右に季節の風趣を対比させて、没線主彩、たらしこみなどを用いながら、琳派風に描いたもの。

余白を大きく残すなかに、凛と咲くたんぽぽ、真っ青なりんどうが双方の画面を引きしめ、さらに落ちかかる一葉の楓が一瞬の時の流れを意識させ、静寂な雰囲気を与えている。

五浦時代に描かれた優品のうちの一つ。

一枚の屏風の右側に「春の花」、左側に「秋の花」を配置。このことからもわかるように、日本画の真骨頂は、反シンメトリー。左右対称ではない自由な画風が好まれたのだ。

今回の展覧会で秋花の魅力に感化されて、急いで、我が家の近所の自然公園に出向いた。

● 自然公園で見つけた秋の七草たち

もう、冬まじかで秋花も終盤。秋の七草のフジバカマはそこかしこに咲いていた。ノコンギクやオミナエシ、すすき、紅葉、竜胆(りんどう)を見つけることができた。大観の屏風絵にはやはり、桔梗ではなく竜胆(りんどう)が一輪描かれていた。

竜胆(りんどう)は公園内のある場所にまとまって咲いていた。ここは、毎年おさえている場所で、今年もその場所で可憐な青い花と出会えた。

とても幸せ。

大観の屏風絵にあった紅葉。公園でもばっちり紅葉していた。まさに同じ風景。屏風画と自然公園のマッチングを大いに楽しんだ秋の休日。

大観(水戸出身)もこの武蔵野に住んでいたのでは?と思わされる素晴らしい作品との出会いだった。

ぜひ、季節と美術作品のコラボを見つけてみて。

カラスウリは真夏の夜の夢【植物・エッセイ】

【ブログ更新109回】

カラスウリの花

● 憧れの音楽大学時代の生活


わたしの音大時代は練習につぐ練習とレッスンに明け暮れる毎日。

学校内にある小さな練習室(30室あまり)の予約を取るために急いで学校を目指し、ダッシュで予約を取り、そのまま、朝練習して、授業を受けて、その合間に個人レッスンを受ける。


ランチは時間が惜しくていつも、学食(小泉今日子さんの姉が勤めていた)のわかめうどんかカレー、売店のメロンパン、帰りは宿題をこなすために寄るマックでハンバーガーとコーラ。おやつはガーナ・ミルクチョコ(笑)ほぼこればっかり食べていた。

そんな、わたしの栄養不足を心配した友達が何人か、代わるがわる下宿へ呼んでくれ、野菜とお肉の手料理を食べさせてくれた。まったく感謝だよ。

お返しは、オペラの伴奏をしてあげていた。みんな尻込みする伴奏。それは有名な歌手の方々(○○久美子さん、中嶋○○さんや友竹○○氏)などのそばでレッスンするから。わたしにとっては非日常が堪能できるキラキラな時間だった。

だいたい、みんなが嫌がることを買って出ていると、毎日が楽しく力もつく。

夢中になってピアノや大学の勉強に熱狂した日々。
 

わたしの音大での毎日は、ピアノ、声楽、アルトサックスと週3日の個人レッスンがあり、それを受けるためには膨大な量の曲をこなさなければならなかった(毎週10曲程度)そして、普通に一般教科の授業、音楽関連の授業と殺人スケジュールだったもの。

だから毎日が練習の主戦場だった。普通の授業もこなしながら演奏家になるための修業をするという現実を、身で体験した後にはどんなキツイ仕事でもやり抜ける自信がついたものだ。

要するにしぶとくなったのだ。

● 西田ゼミで学んだ旅と卒論


もっとも頑張った勉強は、意外にも「卒論」! だってまさか音大でも卒論があるなんて思いもしなかったから。無知よね。

その頃わたしの属する西田ゼミは西洋音楽史を基本に様々な音楽のジャンルを超えて、自由に研究するといった遊び?!がメインの素敵なゼミで、わたしはそこに入れて貰っていた。

西田教授はロマンスグレーのやっさしい叔父様だ。そこに二十歳そこそこの女子大生がワッと集まった。

とても人気のあるゼミで男子生徒はほぼゼロ(笑)先生の研究室というか談話室ではいつもお菓子とお茶が用意され、話が弾み、いい雰囲気の音楽も流れていた。

わたしは、ゼミに顔出しをする日は決まって、校内の就活センターを訪れた。このまま就職するか、専攻科へ挑戦するか・・・毎日悩んでいたのだ。

今でこそ、リベラルアーツ的学問が認知されている時代とは違い、即実践で役立つような技術や教壇に立つための指導法ばかりを勉強する毎日に、ちょっと疲れが出ていた。

専攻科でどうしてもやりたい研究とかがみつからなかった。己の知識の泉が浅すぎて湧き起こらなかったから、平凡なピアノ教師の道を選んだ。

唯一の励みは演奏家として舞台に上がるためにコンクールへの応募を挑戦すると決めて卒業までの半年を戦った。

しかし、夏休みになると、もう、就活のことなんか、ピッと忘れちゃって、日本中で遊ぶ~遊ぶために稼ぐバイトと、予定でいっぱい。


実はわたしの旅好きは、この西田先生との旅絵ハガキのやり取りから始まったのだ。

先生は1年のうち半分を山中湖の別荘に滞在していた。授業がある時は、山中湖からキャンパスのあった厚木のビジネスホテルに泊まるんだと聞いた。

いつも他愛もない個人的な話を絵ハガキで知らせてきてくれていたのだ。ちょっと信じられないけど。

先生から届いた、紅葉の美しい山中湖の絵ハガキはわたしの宝物だった。


私と言えば、神津島に行った時や、仲間たちと富士山に登った時などに現地から絵ハガキを先生に出していた。

先生は生徒からの絵ハガキを何よりも楽しみにしてくれていた。

そんなやり取りも2年を過ぎ、いよいよ秋。「卒論」の話がみんなから出て来た時分に先生は、テーマが決まったら持って来なさい!と。

で、早速、持っていったら、「あなたは、原稿用紙60枚以上は書きなさいよ」と、驚き。

「それぐらいできるでしょ!」っと、軽くあしらわれてしまった。

「普段、あなたとの会話の中にはオモシロエピソードが溢れているんだもの、あれだけしゃべれるのなら、ぜひテーマに沿った文章をしっかり書いてみたらいいよ」と、いつになく真剣だった先生。

テーマは「音楽の持つ普遍性と消耗品への動向~これからのポップスの行方」と決まった。

先生は、「長文を書いておけば、絶対、将来役に立つよ」と自信満々で言っておられた。

そうか!それならと、調子に乗ってその日のうちに原稿用紙を100枚買い込み、音楽雑誌を20冊、各種様々な音楽のLPレコードを20枚、音大内の図書館で借りて、友達の車で家まで運んだ。

それから約2週間、まったく遊ばず、閉じこもってLPを聞きまくり、構成を練り、雑誌を読みまくり、その後、延々と書きまくった原稿は結局200枚にもなった。無我夢中でね。

推敲に推敲を重ね少々無駄をそぎ落とすも、160枚で脱稿。

結果は苦しみながらも見事、優の成績で無事卒業できた。

その後、出遅れた就活でも大手音楽産業メーカーへの就職が一発で決まり、意気揚々な音大生活の終焉だった。懐かしい36年前の話。

ちなみに160枚の原稿は学内の優良原稿として写し保管されたが現物は潔く捨てた・笑

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● カラスウリの花は真夏の夜に咲く

                 

今でも西田先生が長文挑戦への道を開いてくれたのだと感謝に堪えない。

西田先生、いっつもカラオケはユーミンばかり歌っていてごめんなさ~い。

いつも先生が言っていた「若い時って何でも躊躇なくできちゃうもの~あんまり深く考えなくてもね」と。

本当にそうだった。

いつもあまり寝てなかったけど。

先生の持つ教養は最高だった。

今日、家の植え込みに咲いていたカラスウリをみつけた。

この不思議な花は、夜になるとどんどん糸を垂らして、

グルグルと旋回しながら咲き誇る。

まるで、36年前、卒論と戦った真夏の夜の夢のよう。

からすうり

  卒業写真  荒井由実    ♪ 悲しいことがあると開く皮の表紙  ♪